【FF14 7.1 黄金のレガシー】 続・感想戦
7.0のつたない感想を結構見ていただいているようで、正直驚いています。
7.1も出て散々言い尽くされた後の出がらしだと思っていました。やはり間が空いたとしても新鮮な感想は需要が高い…?
それは置いといて、7.1もやったので感想を書いておきたいと思います。
総括
言われなきゃ気にならない様な事ばかりで巷で言われているほどひどくなかった。
むしろかなり好き。
もう少し細かく
グルージャの冒険編
スフェーンの国葬を通して、グルージャの「母の事は知らないから寂しくない。父の事は知っているから寂しい。どっちが幸せなのかは分からない」という言葉は胸を痛めた。
確かに、繋がりが無ければ思い入れも無く無関心でさえいられるし、それでも何とも思わないのも納得出来た。
ただし、グルージャは「例え産まれた時から知らなくても、家族なんだから知りたいと思う」とメインキャラ達と調査に赴いた。立派だと思うよ。
後ほど描かれる、親に捨てられた(と本人は思っていた)ので恨みが有り、両親がどんな人か知ろうとしなかったコーナ兄さんとは対照的だったと思う。
個人的にはどちらの言い分も分かるので、比較するものでもないなとは思うけどね。
ユウェヤーワータ編
何やかんやあり、グルージャの母の手がかりがユウェヤーワータにあるとの事で向かった光の戦士達。
そこではアンブレラ社が開発したルビーウェポンのパチモンやトラルヴィドラール(トラル大陸に多大な影響を与えうる強大な生物)が待ち受けていた。あとゾンビみたいな敵。
研究施設内で敵が出てくる時は曲がり角から出てくるので、結構ちゃんとホラーしててよかった。
FF14でこういう体験ができると思ってなかったので、個人的には大変テンションが上がった。背景のガラスぶち破って登場とかもして欲しかったなぁ。
メレーを不快にさせる選手権があれば上位に食い込むであろう1ボスと、何も印象に残らなかった2ボスを超えたらファルム・アズラが見えてきてちょっとフフッとなった。
3ボスのトラルヴィドラールげっ歯類は、足元のおぼつかないヒカセンを始末してやるぞという気概に溢れていたと思う。ドーナツどころか輪ゴムみたいなほっそいフィールドで迫る範囲との鬼ごっこやフィールド半面焼きとか出てきて「やり過ぎやり過ぎwww」と笑いながらクリアした。
ナイトやっててよかったと思う。
竜騎士とか一生ジャンプできなさそうだったし、モンクはただ歩くことしか出来ないのかな。かわいそう。
グルージャの両親の話
「俺は父の事を知らない、父にとって子がどういうものが知らない、父とはどうあるべきか知らない!」と取り乱すゾラージャはとても悲しかった。
ゾラージャが悪いと思っているのでは無いし、グルージャジャの教育がどうこうという話でもない。
幼い頃から周りに「奇跡の子」ともてはやされ、それがプレッシャーとなって「そうあろうとした」彼のコンプレックスが如実に感じ取られたからだ。
(正直グルージャジャがゾラージャにどういう接し方をしていたのかはこれまで描かれてないような気がするので、次パッチ以降で描いて欲しいが…)
ゾラージャにとって、彼が納得できる「親子の姿」とはどんなものだったのだろうか。
もしかしてゾラージャがこうなるまでの、継承戦までの道程をちゃんと描いていればもっと良かったのでは?という気持ちが7.0で感じていた時よりも強くなった。
もっとゾラージャを掘り下げてくれ!
お母さん(テーシャジャ)の事も詳しくは描かれなかったけど、ゾラージャと研究主任に疎まれないように廃棄場へ隠したという行動とその際に残した音声記録からは「ちゃんとグルージャのことを愛している」ことは読み取れたのでよかった。
ゾラージャはテーシャジャのことをどう思っていたのだろうか。「障壁の中では証明したかったことを証明出来ない、つまりここにあるものは俺にとって何の価値もない。見合う結果を上げるのなら何でも持っていけ」と言っていたが…ここも掘り下げる余地がありますよ!
というか、どんどんゾラージャについて知りたくなってきている。
やはり、親があんな事になったり、あんな事をしたりした理由を知りたいという気持ちは当事者に限る話では無いと思う。こういう感情移入させる道程は丁寧に描かないといけないな、と実感した。
コーナ兄さんの両親の話
アレクサンドリアからトライヨラへ向かいたいという人達を列車で運ぶ計画だったが問題があってぇ…というお決まりのパターンでコーナ兄さんとシャーローニ荒野へ出向くことに。
コーナ兄さんが荒野のミコッテ族(トライヨラではヘイザ・アロという)という話は王位継承戦の件で聞いていた気がしていたので、どう関わってくるのか楽しみだった。
出向いてみれば、荒野に生息するロヌークという目がガンギマリの大型動物の生息環境を脅かさないようにしたいのだけどどうしようかね、という話だった。まぁよくある話だよね。
ロヌークについてはコーナ兄さんと同じヘイザ・アロ族が詳しい、との事で向かうと、実はコーナ兄さんも親に荒野で捨てられていたんだよ!な、なんだってー!?という衝撃の展開(後ほど単に捨てられたという訳では無いということが分かる)。
トライヨラの王権関係者、みんな親子関係にトラブル抱えすぎじゃない?
まぁ、先王グルージャジャのトライヨラ漫遊時代にそういう憂き目に遭った子供たちを養子にしたのがそもそもの始まりだったのでそういうモノだと納得した。
…にしてもナミーカといいなんかそういう事例多くね?と思ったが、現実での我々に馴染みがないだけで他の国では実際に起きているのだしまぁそういうものだと思う。
ここで「僕の事を捨てた親を恨む気持ちはない…と言えば嘘になりますが、嫌な思い出なので知りたいとは思っていなかった」と言う旨の発言があり、グルージャとの対比かもなぁと感じた。
グルージャがちょっと賢すぎないか、と思ったものの、バックルームで「グルージャが図らずもこんな賢く育ったことは皮肉でもあり、良かったとも言える」との話もあったので納得していた。
何より、両親というデリケートな話題なので、それぞれで反応が違うのもそりゃ当然だよなと思った。
違う人間だしね。
話を戻して、そんな両親が幼いコーナ兄さんを捨てた理由も、ロヌーク(でかい現地の生き物)の世話を通して「知りてえんだ」していく。原住民族であるヘイザ・アロ族はロヌークの住処を柵などで囲ってヒトの生き方を強いるのではなく、むしろ自分達がロヌークの生活に合わせ、そこで得られる恩恵を享受し恩返しをするというスタイルと知った。
そこでコーナ兄さんは「ロヌークも家族の一員、だからこそ何かを強いるのではなく共に生きるという訳なのですね」と納得していた。
なぜこれを描いたのかは、次項の前振りになるからです。
コーナ兄さんのメガネが!!編
前述の通りロヌークは大事な家族であり、彼らの生活環境も守って鉄道の問題を解決すべきだと志を新たにしたところで、近くにエーテルの外殻を持つロヌークの天敵が現れたとの報せを受け、現場に急行する。
そこで逃げ遅れたロヌークを庇い、身一つで天敵の前に立ちはだかったことで吹っ飛ばされてメガネが割れる。
ここで「突然動物1匹のために命を投げ出す軽率な行動に疑問を覚えた」や「メガネが割れただけで済むのはギャグだろ」という意見も見たが、ここまでの過程を見ていればある程度は納得できる行動ではないだろうか。
メガネが割れる描写が割とコミカルなもので使われる傾向がある気がする(そういうものに触れる機会が多かったという可能性も否定できない)のだけど、個人的には問題ないと思う。
自分もメガネをしているのだけど、ものがよく見えなくなるリスク(当然、そういう時にメガネが割れると困るからなぁと考える訳では無いが)度外視しての行動だったので、コーナ兄さんの「家族を守りたい」という気持ちは伝わってきた。
※立ちはだかる前に、天敵に対し数発発砲して命中させているし、それでも怯まなかったので立ちはだかるという描写だったため。
そこから何だかんだでシバき倒し、天敵の持つエーテルを指向性の警笛に転用することで、無闇に住環境を変化させずにロヌークを近寄らせないという手法で鉄道の問題を解決に導いた。このアイデアを出したのはコーナ兄さんなので、流石理王と持ち上げられていた。
個人的には後日談でいいので、それ以外にも具体的な改善案を出して解決したんだよ。例えば〜と描いてくれたらみんな納得してくれたんだろうなと思う。枕木や砂利の素材見直しは鉄道会社側が発案してた記憶…
そういう事もあったが、結局コーナ兄さんの両親はというと、過去に同じ事象があった際に避難誘導のためコーナ兄さんの両親がやむなく赤ちゃんだった当時のコーナ兄さんを安全なところに安置して誘導に向かったとの話だった。
もっと紙芝居でもいいので詳しく描くべきはそっちだろという気持ちと、現在を生きるコーナ兄さん達の問題を解決することを重視して描いているんだよという気持ちが自分の中でバチバチにやり合っている。
ただ、7.0の永久人の話でずっと「現在を生きる人達」の為の物語が描かれてきたので、自分の中では後者が勝利した。
こっちの方が描きたかったものとして一貫してて好き。
誰だお前は!!編
そうしてアレクサンドリアとトライヨラ間の人員輸送ルートを開拓することで解決し、その旨を光の戦士とウクラマトがアレクサンドリアに伝えに来たところ、アレクサンドリアの民が「死んだ人を覚えているのが悲しい」や「常に死のリスクを意識しながら生きるのは嫌だ」と不安に陥っていた。
そこへ手ずから討ったはずのスフェーンが登場し、一旦5000人だけ永遠人にして救うと言ってのけた。
ウクラマトは「(自国の民を全員救うために奔走した上、万策尽きて他の世界を犠牲にすることを選んでまで全員救おうとしたはずの)スフェーンが救いたい民を選ぶはずがねえ!!」と語気を荒げていたが、自分としては「(今更そんな事を言うと7.0での彼女の行動理念に筋が通らないので)スフェーンが救う民を選ぶはずがないだろ」と感じた。
7.1で唯一ここだけは、キャラクターに感情移入せず明確に素の自分として見てしまっていたと思う。これはスフェーンというキャラクター自体にあまり感情移入出来なかったことが原因と思われる。
まぁ何かリビングメモリーに行ったヤシュトラが7.0スフェーンを見つけたみたいだし、ここからなんか色々あるでしょきっと。多分そう。
で、これもやっぱ強い未練を残したからゴミデータとして消滅を免れたってやつですか?手ずからボコボコにしたのに?
まぁ観光案内途中で人が消えたから目的遂行できずに生きながらえたやつもいるし、適当な設定だなぁ。ということでここは置いておきましょう。
いつか納得させてくれよな!
まとめ
何かまた前回より長くなってしまった。(ここまでで4400字)
好きなものについて語ると饒舌になるよね。最後のスフェーンの件、ほとんど書いてないわ。
7.1は7.0の荒野の悪の保安官編みたいな薄味の引き伸ばしは無かったし、大変満足でした。これくらいの規模感でやってくれたら7.2以降もどんどん面白くなってくると思う。
今後にも期待です。それでは。
一点書き忘れてた。
スフェーン国葬時のコピペ参列者に気づいたときは笑ってしまったことをここに記しておきます。
もしやウクラマトとコーナ兄さんの戴冠式もコピペ参列者だった…?