信仰と病気の治癒 「奇跡のガン克服法」と家族の気持

奇跡のガン克服法という書籍は 私がガンに罹患する前から読んではいたのですが、
知識として 文字として頭を通り過ぎただけした。

再発してその後2度の手術を受ける事になった後も 言っていることは理解できるだのだけれどと心には届いていなかったのです。

ところが 最近 再び読み直してみると 全く違った感じがしました。

それは 4度目の手術の後 後数時間遅れたら 手遅れになっていたということを手術後の医師から家族が聞かされていたこと。

自分のこの世の生命は 何か 生かされているのだという感覚が深まったことと関係しているのかもしれません。





2018年の6月に便秘薬を飲んだ後に酷い腹痛で8時間ほど動けなくなって
それで便秘外来のあるクリニックに行きました。


便潜血検査2回と レントゲンの後 すぐ大きな病院で検査をするようにと紹介状を持たされました。


紹介された病院でCT検査はすぐにしたと記憶していますが 必要だと言われた内視鏡検査は法事があるので 7月の末に受ける事になりました。


内視鏡検査のその日は検査を終えて帰れると思っていたのですが、そのまま入院 絶食して手術という運びとなりました。

癌が腸を塞いでいて内視鏡が奥まで届かなかったようです。


クリニックで大きな病院に行くように言われてから 内視鏡検査までの間に 闘病ブログやユーチュブ動画、それと近藤誠先生の 「患者よがんと戦うな」という本を読んで 治療に伴うリスクの方に目が向いていた私は

その時点で薬も手術もしないと言い張ったので 家族も医師も困ったのだと思います😅

心配した妹が 所属していた幸福の科学の支部でリーダーをしていた看護婦さんと一緒にお見舞いに来て説得してくれたのですが
その時に

信仰で治そうとしているの?


と問われました。

いやいや そんなつもりはないし 信仰で治せるほどの篤い信仰心はない とその時、そう思っていました。


病院での治療を受けるようにと看護婦さんをされていた幸福の科学の信者さんが説得に来てくれたように
西洋医学での治療を幸福の科学は否定しているわけではで 全くありません。
合理的な判断は大切にしているのです。

私は 「信仰で病気を治すつもりなのか」というこの問いかけに 戸惑ってしまいました。


私は 信仰云々ではなく  
その時の個人的な情報収集の結果 標準治療に消極的になっていたのです。

近藤誠先生の大腸がんに対してもステントで 閉塞した部分を開通させることができるというものを読んで そういう方法もあるんだだと思っていました。

後にこれは腸を穿孔してしまう危険性もあり 腸閉塞と同様にリスクが高いものだと知りましたが。


ただ この「信仰で病気が治るのか」

という問いに 私は 何度も 何度も
自分自身で考える、答えないといけない事になりました。

その当時から
私は 信仰で治る人もいるだろうけど
治らない人もいる。

信仰心がそれほどでもない私は後者であろうと思っていたのです。

奇跡のガン克服法にはこのようにあります。


病気というものは、ある意味では、本人自身に対するSOSであり、「危ない」という警告を体が発してくれているわけですが、別の意味においては、本人の、この世での失敗の部分をみごとに説明してくれており、本人を保護する役割も果たしています。
何を保護しているかと謂うと、プライドのところです。人間はプライドを失うと、やはり、生きていく気力がなくなってしまうのです。「自分に実力や才能がないため、人間関係や仕事でうまくいかなかった」などということを、どうしても認めたくないと、その気持ちを代弁しようとして、自然に病気が現れてくることがあります。なぜなら、病気ができると、それを理由にして、「自分は本来、それをしたかったのに、病気のせいで、できなくなってしまった」という言い訳が立つからです。
 したがって、内面の葛藤などが原因である病気のばあいには、ある日を境にして本人の心がクラリと変わると、病気が治ることがあります。

奇跡のガン克服法

やはり、心の何らかの不都合を体が表現するのです。心は芸術家であり、キャンバスに絵を描くように、自分の体に意思表示をします。

病気ができると、それを理由にして、「自分は本来、それをしたかったのに、病気のせいで、できなくなってしまった」という言い訳が立つからです。


特にこの辺りの指摘は当時の私の心の中で大きかったのかもしれません。
自分が いろいろとできないことばかり目にいって苦しかった時期でもありました。


ガンに対する簡単な対処法
①まず感謝の心を持つ
それでは「どうしたらガンが治るか」ということについて、簡単な対処法を幾つか述べましょう。
まずは、「感謝の心」を持ってください。ガンに罹っている人には感謝の心が足りないことが多いのです。
特に両親に対する感謝の心があまりない人には、感謝の心が足りないことが多いのです。特に、両親に対する感謝の心があまりない人は、ガンに罹りやすいように見受けられます。親の恩を「当たり前だ」と思い、両親に感謝していないことが多いので、ガンなどに罹ったら、両親に対する感謝の心を持たなくてはなりません。また、家族、友人や知人、法友など、いろいろなな人に対する感謝の心を持ってください。これが大事なことの一点です。

②自分が責任を取れる範囲について反省をする
大事なことのもう一点は「自分の責任の範囲でできる反省を、きちんと行う」ということです。

③人間関係の修復に努め、相手の幸福を祈る
また、人間関係においては、現実に修復できるものは修復することが大事です。そして、修復が可能でないものについては、心のなかで祈ってください。例えば、「〇〇さんと、いろいろと不行き届きなこと、言いすぎて傷つけたことがありました。ごめんなさい」などと、心のなかで詫びるのです。あるいは、明いての幸福を祈るのです。
 このように、「感謝」「反省」「祈り」を実践してください。

④できるだけ笑顔をつくる
そして、できるだけ笑顔をつくる訓練をしましょう。笑顔がガンを治すので、笑顔をつくるとよいのです。ガンの治療では笑顔が゛特効薬゛なのです。

人生には、いろいろなことがあり、悩みや苦しみもありますが、できるだけ幸福な面のほうを向き、笑顔をつくることです。与えられているものに対して感謝することです。足りないものに目を向けることよりも、与えられているものに感謝することです。
そのように、一般的には両親に対する感謝を中心とした感謝行と反省行が必要です。また、相手との人間関係を修復できる場合には、それを行い?それができないようであれば、心のなかにおける祈りで、お詫びの気持ちなどを伝えます。そして最後には、笑顔を治療薬とすることです。こういう方法でガンと闘ってください。

奇跡のガン克服法

もちろん「最大の治療薬は信仰心がである」ということも知ってください。当会以外の宗教でも病気がたくさん治るのです。ましてや、当会はエル・カンターレが指導している宗教なのですから、もっと病気が治らなくてはいけません。信仰心のところは宗教としての文化なので、今後、当会の信者の信じる力がますます強くなってくれば、もっと数多くの病気が治るようになるのです。

奇跡のガン克服法

「治らない病気など、あるわけがない」と思ってくだされば結構です。

奇跡のガン克服法

信仰心が病気を治すということは戦前から宗教では言われていますが、現代は薬機法という法律があって
〇〇で病気が治るといってはいけないのだそうです。こうした この世の法律との絡みがあって 信仰によって病気が治るということにも一定の規制がかかっていることを知っていると その思いから ある制限もかかってしまいます。

さらに、所属していた支部で胃ガンのステージ4であった信者さんが 反省行と感謝行を実践されて 治されたことを知っていた妹が しきりに 反省と笑顔の実践をするように やかましく言ってきたので ちょっと退いてしまったのです。

こうしたガンなどに罹った患者さんには経験があるかもしれないのですが 健康な人から あれが良い これが良いといろいろと勧められても かえって閉口してしまうことがあります。
善意が善意として受け取ることができず 病気になった者の気持ちもわからない癖にという 反発心が出てくるのです。

こういう時、果たして 宗教の本を勧められてそれをどう受け止められるでしょうか。
こうしたことをも考えてしまう自分がありました。

そして、その思いは自分には果たして信仰心があるのかという問いかけにも繋がりました。




この奇跡のガン克服法に次のような箇所があります。

信仰心が立たないうちは、宗教では病気はあまり治らない。
私が、従来「病気治し」をなかなか説かなかったことには理由があります。
それは結局、信仰心が立たないと、宗教では病気はあまり治らないからなのです。信仰が立っているかどうかが、まず大事です。キリスト教の『聖書』を読むと、イエスは「汝、われを信じるか」ということを繰り返し言っています。「信仰があるかどうか」ということを相手に問いかけ「信じているとおりになれ」と言っています。信仰心が立たないと治らないのです。なぜなら、「信仰心が立たない」ということは、この世ならざるもの、あるいは、この世を越えた、はるかなる「偉大なる力」を信じようという心がない証拠だからです。

この世だけに閉じ込めて考えれば、どうしようもないのです。近代医学では、人間の体のことをかなり唯物論的に考え、本当に、車の故障のように身体を扱ってしまうことがあります。

ところが、人間の体には病気を治癒する能力があるのです。
病気の治療では、手術をしたり、薬など、さまざまな゛道具゛を使ったりします。しかし、それだけでは駄目で、本人自身に治癒能力が備わっていなければ、病気はなおらないのです。
「手術をしたら治る」というのは迷信です。手術では肉体を切りますが、昔で言えば、これは割腹自殺に近いものです。体を傷つけ、本来なら出血多量で死ぬようなことをして「治る」と言っているのですが、本人が「手術をしたら治る」と思っているから、治っていくところもあるのです。
医者は「悪いところを切除すれば治る」と考えますが、「その悪い部分をつくれる」ということは、もともと、そういうものの製造能力が体に備わっていることを意味しています。
そのため、どこを切除されても、別の部分に同じものをつくろうとすればつくれるのです。これを「転移」と言ったりもします。したがって、根本のところを治療しなくてはならないのです。


「悪いところを切除すれば治る」と考えますが、「その悪い部分をつくれる」ということは、もともと、そういうものの製造能力が体に備わっていることを意味しています。


説得されたことと 腸管ステントにもリスクがあることを知って 手術を受ける事にしました。

大腸を30cm?ほど切除したのですが 筒状になった腸管を切除して どうやって繋ぎ合わせるのか これも考えれば不思議でした。
ホースを切断して繋ぎ合わせてもそれがくっつくことはありませんが 人間の体内にある腸管は切除されてもまた細胞同士が新たに生まれて切断されたところ同士が再び繋がります。

その事自体が 奇跡だと 私には感じられたのです。
人間のからだのなかにある治癒力を強く引き出すもの  それが信仰の力だとも言えます。

神仏への信仰がない人でも 薬や手術に効果があると信じている方が効果があるのはそのためで プラセボに効果が出るのは、薬そのものの力ではないはずです。自然治癒の力を引き出しているからでしょうか。

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