たとえ一時間後に死すとも揺るぐことなき人生観を持ちなさい 1983年 の霊言より
1年以上前に書いていた文章ですが
大川隆法総裁専制の霊言集で
心の琴線に触れた言葉のひとつです。
これは、空海に衣鉢を譲った中国の恵果和尚の言葉です。
幸福の科学の団体が生まれる前の時点で この活動の使命を問うた時に 恵果和尚が答えられたなかにあった言葉です。
恵果和尚の霊訓は1983年に収録されています。今から41年も前で この頃はまだまだ平和な時代であり 日本にも活力があり自信があった頃です。
その後に 日本にこれ程大きな地震や自然災害が続くとは 思ってもいませんでした。
北海道の地震
阪神淡路大震災
東日本大震災
長野地震
雲仙普賢岳噴火
熊本地震
能登半島地震
少し思い出すだけでもこれ程出てきますが 台風による被害や洪水等も数多く日本を襲っています。
今年1月の能登半島の地震でも 被災された方の中には一瞬にして愛する者を喪った方々もいらっしゃることを思うと胸が潰れるような思いになります。
平成から令和の時代は 天変地異がこの日本でも相次いでいます。地震大国でもある日本は大きな災害を乗り越えて復旧を果たして来ましたが
個々の人々の生活や心のうちは
いかばかりであろうかと思うのです。
そのような なかで 人を救うというのはいったい何を意味するのかと考えてしまいます。
救援物資を送ったり、ボランティアに駆けつけたりということで 助けに入る事はとても大切なことだと思います。
それと共に やはり 心のなかの恐怖心
愛する者達の生命が突然 奪われてしまうことに対する恐怖心を どう救っていくのでしょうか。
そのような疑問に 恵果和尚が答えているのです。
この世でより良く生きることが
地上の肉体を去ったあとの幸福にも繋がる道を教えるのが 真実の宗教の役割だと思っています。
けれども この地上で生きているもの全ては
いずれ この世を去っていきます。
肉体の生命を救うのではなく 霊的な永遠の生命をを救うのが 宗教の最終的な役割のように
私には思えます。
この世的な幸福、不幸 ではないんです
根本的な人間の生とはいったい何であるか
天変地異に 心が揺れるとき
愛する者を喪うのではないかという
恐れを抱くとき
この事を 再度 自らの心に問い直したいと思います。