宗教の違いは 修行方法の違い
太陽の法には 悟りの方法として、仏教だけでなく、キリスト教でも、神道でも、 儒教でも、道教でも、、回教でも、なんらかの形で修行の方法というものがあります と書かれています。
太陽の法 2000年36刷版p194からの紹介です。
私たちは、どのような修行方法をとるかではなくて、なんの宗教がほんものの正しい宗教かということを考え込みはじめるのです。
世界的大宗教とされているものは、なんらかの形で、すべて仏の光のあらわれだといえます。
人の魂が 神仏に近づいていくための修行方法として 様々な宗教があるということでしょう。
10代の頃に 宗教嫌いだったのは なぜ宗教戦争があるのか、なぜ 魔女裁判のような恐ろしいことが中世キリスト教の世界で起きていたのかが 分からなかったからです。
日本では 明治維新の頃に廃仏毀釈が起こり、壊された仏像もあったと聞きます。
聖武天皇が大仏建立されたことからみても日本の神道と仏教は共存していたのだと思います。
それまで仲良くしていた神道と仏教が 明治維新の国家神道の下で切り離されてしまったようです。
大本教に対する弾圧も 国家神道の下で起きています。
明治政府が西欧社会と伍していくために、キリスト教社会の一神教的体制をとろうとしたのでしょうか。しかし、自らの信じる宗教のみが正しくて、他は悪魔の教えだとみなす信仰感覚は 日本人には受け入れ難いものがあるのではないかと思います。
宗教の排他性 独善性が 嫌いだった私でしたが、 太陽の法の
世界的大宗教とされているものは、なんらかの形で、すべて仏の光のあらわれだといえます。
という部分に とても共鳴したのを覚えています。
但し 多様性の中にも 正邪や教えの高低があるということは 真説・八正道のなかでも述べられています。
すべて正しいというものでもなく、時代や地域性の限界のなかで説かれた教えもあるということのようです。
悟りの方法とは、結局のところ、仏の境地と、自己の境地とが、融合されていくための手だてなのです。仏の心を心として生きるには、どうしたらよいのかという方法なのです。真理にそった生き方とはなにかを探ることなのです。
真説・八正道と 愛の発展段階説
そのためには、ひとつには真説・八正道の道があり、 いまひとつには、愛の発展段階説があるのです。
幸福の科学は 大きくは、
正しき心の探求や
愛 知 反省 発展 の四正道を教えています。
具体的な修行方法として 取られているのが
真説 ・八正道と 愛の発展段階説 と私は認識しています。