神がいるならなぜ世界中で紛争が起きる?神がいるなら信仰深い病人を治せない? 神の愛について
明日 全国のほとんどの劇場で最終上映になる「呪い返し師 塩子誕生
モロ師岡さん演じる 無神論の大学教授
自然界に起こる不思議現象を追いかけていたはずなのに 唯物論になってしまって 毎年何千にんもの学生を教育して 世に唯物論に染まった人々を送り出して行きます。
ここで その教授に対して お前が「無間地獄」行こうが知ったことではないが 神を信じる者を傷つける行為は許されないと塩子が一喝します。
教授は
「神がいるなら なぜ 世界中で紛争が絶えない 信仰深い人間の病気も治せない!?」という言葉をぶつけるのですが
それに返す塩子の言葉
なぜ 地球には 水がある 空気がある
人間に住むのに適した環境なのか
最初聞いたときは 唯物論者を論破する言葉にしては非常に弱いと感じたのです。
そんなの当たり前 だと 思うだろうし、偶然だと思うだろうから。
ところが 考えていくと「 当たり前 」というのは 本当に「当たり前」なのだろうかと思えてきました。
食べたり飲んだりするものを栄養素として吸収し 老廃物や毒素を尿や便として排泄するのも 生物としての当たり前ですが 病気をしてみると それが阻害されたとき どんなに苦しいかが分かります。
普通に呼吸が出来ることも 健康なときは当たり前ですが 呼吸困難で人工呼吸器をつけねばならない人もいます。
普通に生きている…ただ それだけでも、「当たり前」の状況に環境があるということは ある意味大きな奇跡なのです。
「当たり前」に万人に与えられている環境そのものに 大きな愛が 隠れている。
神仏の愛というものは 大きければ大きいほど 当たり前すぎて逆に見えなくなってしまっているのではないかと思えてきました。
愛について悩むとき 他人と比較してより多く与えられているか与えられていないかの【相対的な愛】の世界で生きてきたことに気がつきます。
自分が認められ、尊敬を受けたり 経済的に豊かであったり 異性から好意を持たれたり 家族間の関係が良好だったり という理想の世界を求めています。
でも 大抵の場合は 望むもの全てを手にすることはできません。
万人に与えられている、人間に生きるのに最適な水や空気がある環境というのは【絶対的な愛】が前提にあるのではないか。
塩子の言葉は その絶対的な愛の世界には気がつかない人間の愚かさを一喝する言葉なのではないかと思えてきました。
そして、なぜこの世から紛争が絶えないのか 病の苦しみがあるのかも 答えも
この世に 私達は魂修行に降りており、この地上は 仮の世界であること 肉体を去った あの世こそが実在界であるからでしょう。
どんなに長く生きても この世で100年を越えて生きることは稀です。本当の世界は霊的な永遠の世界にあるのだと思ったとき、
この限られた時間のなかで 多くの苦難や困難があったとしても、 それは 過ぎ行くもので そのなかで 学びとらねばならない教訓を得る為にあるのかもしれません。
当たり前過ぎることのなかに 神の愛を発見していく旅路であるかもしれません。
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