「別れ」に慣れるな
大人の別れ
日本全国どこでも3月は
別れの季節だ。
こと久米島の3月は
フェリーから投げられる紙テープを受け取る季節だ。
今年もそう。
4年の間、島の子どもたち、学童に関わり、特に最後の1年間はタビノネ正規メンバーとして一緒に汗水流し、様々企ててきた“りょうちゃん“はそれを投げ、僕や子どもたちがそれを受け取った。
寂しさ隠せないが、旅立つその姿は旅人そのものであった。(さらにおもしろ人間になって帰ってくるんだろ?)
他にも、友人や数年学童でともに時間を過ごしてきた子どもや保護者も島を離れた。
学校の先生は数年経てば転勤がある。
先生の子どもたちは別れを意識しながら島の生活を送る。
毎年必ず誰かの別れに立ち会う。
「一生の別れではない」
それはわかるが、沖縄那覇から洋上100キロに位置する離島久米島からフェリーで旅立つ様は、、
内地の転校や転勤とは違う「もう会えないのか」という気持ちを一層引き立てる。
だけれど、毎年必ず誰かの別れに立ち会う。
そして大人の私は「あゝ今年もこの季節が来てあのテープを受け取るんだ」とただ寂しく思う。
子どもたちの別れ
大人はこの別れの季節を寂しがるが「そういうもんだから仕方ない」とどうにか自分を納得させて日常に戻る。別れも慣れていく。
教員家庭の多い島の学童の子どもたちは、毎年のように放課後ともに遊んだ仲間が誰かしら島を出ていく。そのしんどさたるや想像しきれない。大人は強く意識した方がいいと思う。大人は背景を汲み取り「まあ仕方ない」とできても、子どもはそうは行かない。送られる子側も送る子側も抗いようのない現実をただ眺めることしかできない。
去年までは島を離れる子たちの心配が先行していたけど、見送り続ける子どもたちの寂しさが今年はとても色濃く、ハッとさせられた。
別れは仕方ないかもしれない。
けれど別れに慣れてはならない。
大人のペースで
大人の解釈だけで
別れに慣れるな。
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あと、先生たち、異動が早すぎるぜ…
長く地域の一員としていてほしいぜ…