こんにちは、こんばんは。 一番初めに書いておきますが、私は占い、宗教、風水のようなものには関わりたくありません。 勧誘するようなコメントはやめてください。 このノートでは、私がこれまで「うつ」を患ってきた中で感じたこと、苦しみ、体験、それ以外でふと感じたことなどを書きたいと思っています。 誰しも心の中では持っているようなマイナスなことを、オブラートに包まずに書く予定です。 ポジティブ、プラス思考、改善策、PDCA、アドバイスなどといった前向きなことはエネルギーをかなり
辛い辛い世の中。 私自身の人生も長く苦しいものでした。 命を終わらせたいと、心のどこかで思いながらも、なんとか今日まで生きてきました。 親や知り合い、友だちは、結局のところ私の気持ちを理解してはくれませんでした。それでもみんな、口を揃えて「生きろ」とはいうのです。 なぜ? なぜ、あなたたちにそんなことを言う権利があると言うのでしょう。 あなたたちは苦しむ私に手を差し伸べてくれたのでしょうか? いいえ、あなたたちは何もしてはくれませんでした。 あなたたちは、何もかも
うつ病になった経験がたまにフラッシュバックすることがあります。 人生の全てに絶望したあの日々を、今でも思い出すことがあります。 現在は、なんとか日々の生活を過ごすことができていますが、うつ病になる以前の自分とは、頭の思考プロセスが根本的に変わっているように思います。 よくスポーツ選手が大怪我を負う前と負った後で、感覚が全くと言っていいほど変わってしまったというお話を聞きます。怪我を負うと、それまで当たり前のようにできていた動きができなくなると聞きます。 それと似たよう
道徳も倫理も、人を欺くための一過性のまやかしに過ぎない。
「何者も利用し、屍を踏み越えて、矢面に立てる人が素晴らしいのです」 「這い上がるためには、社会の競争に勝っていけるだけのメンタルが、非情さが必要なのです」 なぜ、学校でこれを教えないのか。 いや、こちらが覚えてないだけかもしれないが。
嘘をつくことは駄目です。 ではなぜ、大人が嘘をついたり他人を利用することは「逞しい」と評価されるのか。 本音と建前を使い分けろと、暗に社会は訴えかけてくる。
「〜さんは優しいね」 「〜さんはまじめだね」 その言葉が憐れみの言葉だと、なぜ誰も教えてくれなかったのか。 皆、その良心を利用し、去っていった。
先へと続く、長く暗い道。 振り向くと、さっき自分が通ってきたはずなのに記憶がない。 いま、まさにこの瞬間、生を受けたかのよう。 誰もいない、前にも後ろにも。 ただ、自分だけがその世界の空気の冷たさを感じている。背中にのしかかる確かな重みも。 私は静かにその道を歩き始めた。
本に書かれていることを実践しても、うまくいくとは限りません。 文字で書かれていると、それが本当であるかのように錯覚してしまうものです。 この世の中には、聞こえのいいことを撒き散らしてお金稼ぎをする人間が数多くいます。そういう人にとって本は金のなる木です。 実際、特に内容のない本でも売れればお金になります。 それで何万部か売れれば、自分の実績としてPRの材料に使えます。 インフルエンサーはある程度有名になると本に手を出し始めます。嘘ではないしそれが著者の実体験かもしれな
社会ではメンタルが強いことが美徳とされています。 色んな状況の矢面に立てるだけの人材を、どの業界でも欲しているからです。 最前線でのプレッシャーに耐えられるのであれば、そこに経験上のノウハウがあるのか、あるいは単に鈍いだけなのかという区別はないように思います。 そう考えると、鈍いというのも一種の突出した能力なんだなと考えさせられます。 私のような敏感な人間は、メンタルを強くするよりも繊細さが要求される場所を見つける方が幸せになれるかもしれません。
最近になって「価値観を認める」という言葉が蔓延しています。 ネットではそんな流行りの言葉が、何の中身も説得力もないSEO記事に乗っかって流れてきます。 違う価値観を認めるということは、自分が苦手な、あるいは嫌いな人間の欠点さえ認めるということです。 他人を認めた方がいいなんてこと、みんな頭ではわかっています。ですがそんなに簡単に他人を認められるわけありませんよね。 長所は他人からよく映るので自ずと認められています。だから、「価値観を認める」という言葉の背後には「嫌いな人の短
人生は孤独な旅だと思っています。 友人や恋人がいても家族に囲まれていても、最終的には孤独に苛まれます。 価値観が同じ人などいません。そのせいでものすごく寂しくなる時もあります。そうやって考え込んでいると、いてもたってもいられなくなって、外を歩いたり夜空を見上げて思いに耽るのです。
時代とは、人間の集団意識が生み出した価値観のブーム・流行のことを言うのだと思います。 何一つ当たり前のことも優劣も、普遍的なこともありません。 今の時代も、やがて昔の古い考えだと言われるようになります。
世界は、徹底的に不平等です。 不平等を解決することも慣れることも、根本的にはできないと思います。 他人より勝ちたい、優位に立ちたいと皆心の中で思っています。 本当の本当に、他人と自分を比べずに生きている人はいません。 競争社会やスポーツ、学問、芸術、社会がこれまで発展したのは他人より優位に立ちたいという気持ちです。 権力を欲したり、国が戦争をするのも人間が競争から逃れられないからです。 平等ではいられない、それが人間です。
でも実際は、、、世界は本音と建前でできています。 言葉ではこう言っているけれど「でも実際はね、、、」と言葉の裏で言っています。 日常的に生きていて建前に触れない日はありません。 建前がよく見える世界がマスメディア、芸能界、政治だと思います。 本音だけで生きている人間は社会から「身の程を弁えない」とか「世間知らず」と言われて排斥されていきます。 排斥している側は、そうして大多数に属している優越感と心地よさに浸っているんでしょう。 そういうアンテナを感じれない人も、逆に感じ