未来は決まっているか?
答えは、「未来は決まっています」。
証明してみましょう。
①過去は決まっていますね。逆に変えることはできません。
②明日は未来ですね。
③明日は明後日からみれば過去ですね。
④明後日になれば明日は必ず過去になる運命ですから、
・・・明日という未来は決まっています。
いかがでしょうか。
詭弁(きべん)っぽいですか?
「未来は決まっていない」と思いたい方々からみれば、たとえば「自分の未来は、自分でいかようにも変えることができる」という一種の自尊心からでしょうか、当然の反応でしょう。
また、「未来が決まっているなら何の努力をしなくても良くなる」と思い浮かべてしまって、「肯定したくない気持ち」になる、ということもあるでしょう。
さらに、「明日の競馬の結果が決まっているなら、決まっている結果を予め知りたいなぁ」という実利に結びつけるケースもありませんか?
こうした方々は、とても助かります。
「未来は決まっているが、決まっている未来を人間が予め知ることはできない」と説明すれば、少し納得してもらえそうです。
「次の瞬間」にどうなっているかは、「一種の化学反応の連続なので、決まっている」とすれば、「その瞬間の連続にすぎない未来も決まっている」と説明したら納得して下さいますか?
いわゆる決定論に乗っかっているわけではありません。
仮にそうだ(決定論は正しい)としても、「人間には未来を予め知ることはできない」のです。仮にいくら量子コンピュータの計算能力が向上したとしても、「ほんの一瞬あと」ですら、全ての情報を集めることや化学反応の有り様を全て勘案して計算することなどできっこないですし、それを知る人間の認知の限界も待ち構えているので、文字通り不可能です。
「未来は決まっている」ものの、「その決まっている未来を人間が知ることは不可能」なので「人間にとっては決まっていないのと同じ」なのです。
人間の能力には限界があります。
「決まっているなら、知ることができる」などという全能感はとても危険です。
実力以上に自分の能力を思い込んでしまうと、周囲に迷惑をかけますし、自分自身に危険が及ぶこともあるでしょう。
時間は切り刻めません。
「朝7時」や「17時45分」などという「時刻」は存在しません。時刻は、人間が理解する都合で創り出した概念にすぎません。時間はつながっているので、切り刻めないのです。
同じように、空間もつながっています。
いわゆるホーリズム、日本語では「全体論」といいますが、全体主義とは似ても似つかぬ意味です。
京都の市営地下鉄烏丸線、北行きの終点は『国際会館』という駅です。
この駅で降りて地上に上がった出口の近くに、湯川秀樹博士の「世界は一つ」の石碑があります(写真参照)。
ノーベル物理学賞の頭脳が、切り刻んで様々な物理の研究実績を世界的に認められた人が、「世界は一つ」と書いているところが、ただならぬ重みがあって、仮に偶然としても、とても面白いですね。
まさにホーリズムでしょう。(この碑文には、他の解釈もあるようです。)
人間は、物事を細かく切り刻んで、それぞれに名前を付けて、それぞれの性質を記憶して、それぞれの再現性を頼りにして、他者と情報を共有し、生活をし、貢献をして、報酬を得ています。
これも、人間の能力の限界です。
本来「切り刻めない」ものまで、こうした人間の能力の限界という都合上、何でもかんでも切り刻んで、名前を付ける必要があるのです。
そして、名前を付けるときに言葉を用います。
名前を付ける対象が「モノ」ならばマシですが、「概念」に名前を付ければ、その名前が意味する概念は「人によってマチマチ」とまでは言えなくとも、かなりの幅を持っているものと思っていた方が安全です。
また、一つの名前が複数の意味を持っていることもあります。
さらに、音(オン)だけの場合、似たような音を持っていることもありますから、そこで聞き間違えることも頻発します。
私たち人間のもつ、こうした限界を知っておけば、「コミュニケーションを丁寧にしていこう!」という姿勢が生まれませんか?
「書き言葉」であれば少しはマシなのですが、「話し言葉」はかなり危険です。
ちなみに私(筆者)は、「7」のことを、「しち」「ひち」とは発音しないように注意しています。
必ず「なな」と発音するようにしています。
「7時」は「しちじ」ではなく、「ななじ」というのです。
多少不自然な話し言葉になってしまいますが、「しちじ(7時)」は「いちじ(1時)」と聞き間違える危険性がありますから、あえてこのような選択をしています。
「最初から、我々にとって、コミュニケーションという行為は、かなりの高度な、無理なことを強いられているのだ」と心得ているだけで、そして、もし全員がこの恐怖感の下に丁寧な配慮(言葉選び、発音、繰り返し、喩(たと)え、などなど)をしてくれれば、無駄な時間が大幅に削減されるでしょうし、無用の感情の縺(もつ)れもなくなることでしょう。
少し疲れますが、努力する価値はありますよ。ぜひお試しを!(*^_^*)