楽しむ倹約、質実ライフへ
このところ、「倹約してエレガントに暮らす」ことを実践しようと、試行し始めています。
なぜ、倹約、なのか?
経済成長という言葉があります。
経済成長をすることは「良いこと」とされてます。つまり、経済成長率が高ければ「良い」とされ、低いと「悪い」とされます。
もっと身近に「景気が良い」という言葉があります。
でも、この「景気が良い」とは具体的にどのような態様なのか、謎です。
おおよそでは「モノがたくさん売れて、お金がたくさん流れている状態」でしょうかね。
でも、これが「良い」のでしょうか? ここが「謎」です。
むしろ「罪」の面が大きいのではないでしょうか。
「資本主義の矛盾」などという難しいことはよく分かりませんが、「モノがたくさん売れる」ためには「たくさんの資源を使って」「たくさんのエネルギーを消費して」「たくさんの人々の時間を奪う」ことに直結するという「罪」を背負っているではないかと思ってしまいます。
ならば、「景気が良い」のは「良い」ことではなく、むしろ「悪い」ことともいえますよね。
もちろん、これは現代の先進国「日本」に住む私(筆者)の目線です。
平和で、餓死することもなく、ある程度の自由と衛生状態で心身の健康が保証され、まずまずの治安で互いに信頼しあえる関係が実現されている、そんな日本の住民の私見です。
途上国や後進国では、「より豊かな生活を手に入れる」ために、「目前の危険や不幸から逃れる」ために、発展の継続が不可欠なので、「景気が良い」ことは「良い」ことなのでしょう。
この話題は、後ほど再び触れたいと思います。
ところで、人々それぞれが、「自分の労働生産性を最大化したい」という欲求にしたがった行動をすることは、とても自然なことです。
言い換えれば、「同じ労働なら1円でも多く賃金をもらいたい」「同じモノなら1円でも安い方を買いたい」というのは自然な行動パターンですね。
そこで、このところ、「倹約してエレガントに暮らす」ことを目指して、実践を始めています。
少しばかり頭を使って、ちょっとした手間を惜しまずに、ちょっとした工夫を積み重ねているだけなので、自分ではそれほど負担感はありませんし、何よりも楽しんでいます。
以下、具体例に触れたいと思います。
①「買わない」ことを楽しむ。
そういえば、最近「欲しいモノ」がなくなってきました。
消耗品以外は、すっかりモノを買わなくなってきました。
最近の耐久消費財は、とても丈夫になって、長持ちします。
基本的に「まだ使えるモノ」は買換えません。
そのうえでモノを買う際に考えるのは、「本当に必要なのか」「代用は利かないのか」「我慢できないか」「技術や工夫でカバーできないか」といったポイントで、ときに熟慮することもあります。
「本当に必要なのか」について掘り下げると、「今困っているかどうか」あるいは「なければ困るか」「(買わないと)より多くの出費につながるか」「健康を害するか」といった尺度で判断していることに気づきます。
②「払わない」ことを楽しむ。
いつでも、「少しでも安いこと」「コスパ(=コストパフォーマンス=費用対効果)」を追求しています。
これは、日常的に買物をしている方々であれば、誰もが身につけているルーティーンでしょう。前項で「買わない」ことを基本にしていれば、「払わない」「お金を使わない」ことは素直な行動となるものです。
15年ほど前から、私はタクシーを使わず歩くように心がけています。バスも使わず歩きます。電車も駅の料金が上がる直前に降りて歩きます。
また、その副産物として、健康状態の改善にも役立っています。ちなみに、私(筆者)は15年前から歩くことを始めたところ、タクシー代が100分の1以下(ほぼゼロ)になったほかに、体重が25キロ減のダイエット効果につながり、さらに、コレステロール値が約50ポイント下がって、薬が1種類減りました。(*^_^*)
もちろん、価値・値打ちの尺度を吟味することは大切です。「1円でも安いモノを買う」のは、「同じモノであれば」という大前提があります。
正しい尺度としての「安全な食品」「安心できる食品」は、その典型です。たとえば、「国産のウナギ」が「外国産のウナギ」の2倍の値段が設定されても国産を買う人がいても不思議はありません。
反対に「単なる見た目」は愚かな尺度です。見た目が多少悪くても、安全性や美味しさや新鮮さが同等以上であって、そちらが安いのであれば、こちらを買うべきですね。
③「減らす」ことを楽しむ。
その出費が必要不可欠なことなら、回数や量を減らすことを考えます。
たとえば、家の中の照明を、「活動している人数」プラス「1名」に収めるように心がけています。たとえば家の中に2人いる場合であれば、(2+1=)3カ所の照明が点いている状態なら合格、4カ所以上なら失格、という具合です。
ただし、健康や衛生面において問題を引き起こすほど、度を超してはいけません。エアコンを使用しなかったり、設定温度を無理な節電モードにしてみたり、確かに節電効果はあるでしょうが、体調を壊しては元も子もありません。
言うまでもなく、治療代や薬代は、プラスの効果をもたらすものではなく、体調不良というマイナスの解消に支払う費用なので、こちらを少しでもゼロに近づけることを優先すべきです。
「効率を上げる」こともいいですね。
たとえば、家族全員がリビングに集まって作業をすれば、冷暖房の効率が上がりますし、掃除の手間や回数も減ります。
このあたりは、名人クラスの方々がたくさんおいでのことと存じます。
④「長持ちさせる」ことを楽しむ。
とりわけ、耐久消費財、高価なモノ、捨てにくいモノに注目して、こまめなメンテナンスをして大切に使うことで、長持ちさせるよう工夫をしています。高価な製品の寿命が10年延びれば、金銭的な効果が抜群ですから、とてもやりがいがでてきます。
昔から「一生モノ」も言いますし、「安物買いの銭失い」ともいいますね。これは「同じモノなら1円でも安く」という方針と矛盾しません。あくまでも「同じモノ」であるか否か、ここがポイントです。
高価な買物といえば、住まいですね。
最近、マンションのメンテナンス費用の高騰で「修繕維持積立金が高騰して住民が困っている」という話題がマスコミで頻繁に取り上げられています。
住まい、住宅は最高額の「モノ」でしょうから、あの手この手の知恵を絞って、長寿命化に注力するだけの値打ちがあります。これも倹約です。
決して管理会社に丸投げなどせずに、住人同士が協力し合いながら、施設・設備を大切にすることはもちろん、専門知識を勉強で補うことで、必要最小限の修繕にとどめたうえで、長く住むことができるようにすれば、建設廃棄物の削減効果にもつながります。
幸いなことに、マンションであれば仲間がたくさんいるはずです。むしろ、こうした逆境があればこそ、仲間になれるのかもしれません。
肝心なのは、住民同士の「情報の共有」と「納得」による文字通りの「自治」をしていくことです。
利益相反の関係である管理会社に任せきってしまうのは、確かに楽ではありますが、楽なだけに住民同士は互いに他人のままです。そして、気づかないうちに、費用面での負担に耐えられない世帯が増えてしまいます。仲間になるチャンスを逸して、お互いの立場の違いを主張し合うだけの敵になってしまえば、安寧な日常生活から乖離していってしまうことでしょう。
・・・いかがですか?
「ケチケチしている」ようにしか聞こえないかもしれませんが、本人はいたって真面目でして、「前向きな暇つぶし」であり、「実践的な脳トレ」でもあり、「着実なノウハウ蓄積」にもつながって、心底から楽しめています。
さて、環境禍、地球環境問題の深刻化は増すばかりです。もう手遅れという人たちもいます。でも、もちろん、諦めるわけにはいきません。
「地球を救う」、「未来の子どもたちのために」といった旗印を掲げて、世界各地で大規模な環境保全活動や啓発運動が続けられています。
私欲を超えて声を上げ続けている彼ら彼女らは、文句なく素晴らしい!
こうした中で私が思うのは、「IPCCデータで出て証明されてますよ」「すでに異常気象が始まってますよ」「未来世代にツケをまわすな」などと、”ドスを突きつける”ような「北風作戦」に、そもそも限界があるのではないかということです。(くどいようですが、現在の活動に対しては賞賛しておりまして、決して批判しているわけではありません。)
「北風と太陽」というイソップ寓話はご存じですね。
正論である「北風」が環境問題において成果を上げにくいのは、企業トップや一部の偉い人たちがキャスティングボート(最終決定権くらいの意味でしょうか)を握っている「行動パターンの変更」である点に、決定的な問題があると考えます。つまり、行動するかどうか判断する「主体・主人公」はそうした一部の偉い人たちなのです。
これに対して、「面白く倹約」「楽しく倹約」は、「多弱※」こそが行動主体になれます。
※「多弱」とは、「信じるしか選択肢がない、大多数の弱者」のことです。
「太陽作戦」とまでは言えないかもしれませんが、「北風作戦」とは方向性が異なることは確かでしょう。
この両者は二者択一ではありません。というのも、「北風と太陽」戦法と称して、多弱による太陽作戦という(全員参加の)ボトムアップの行動が、北風作戦をアシストして、企業経営者や政治家の思考回路を変えていく、そんな補完関係ができるといいと思っています。
環境問題では、いわゆる南北問題も丁寧に取り扱っていく必要があります。
日本を含めた現代先進国は、途上国や後進国が「より豊かな生活を手に入れ」「目前の危険や不幸から逃れる」ために、一定の発展に要する国際協力を継続していくことは不可欠です。
そのためにも、「先進している我々」の実生活が、放漫な浪費の連続であってはミスリードになってしまいます。
悪しき資本主義への隷属から脱却してこそ、「先進国」という名に恥じない態度だと思っています。
「楽しむ倹約」「質実ライフ」、皆さんもご一緒にいかがですか?
結構楽しいですよ。(*^_^*)