見出し画像

アタッキング・フットボール〜崩壊、そして未来に繋ぐべきもの〜

ルヴァンカップは敗退したが、今季はまだ残り10試合ほどある。

つらい状況の中、残りの試合でマリノスをどう観るべきか?何に注目すべきか?

その答えを見つけるために、今までを振り返り、必要な情報を整理し、考えていきたい。

まずは、アタッキング・フットボールについて考える。
次に、名古屋戦の感想を少し。
最後に、今シーズン残り試合をどう観るべきかについて書く。


1. アタッキング・フットボールの定義


アタッキング・フットボールについて語るためには、少なくともこのnote上での定義をはっきりさせなければいけない。
このnoteでは以下のように定義する。

「アタッキングフットボール(抽象的)」

攻撃的な・魅力的な・興奮させるようなサッカーという"抽象的な概念"と定義する。 
(抽象的=攻め方や動き方などのような具体的なサッカーのプレー内容ではないという意味)

「アタッキングフットボール(具体的)」

"具体的なサッカー、プレー内容"と定義する。
(ハイ〜とか、偽〜とか、縦に速いとか、ポステコグルー時代のサッカーや今も続いているものも含めた具体的なプレー)

定義が難しいのは、具体的なサッカーのプレー内容の中で、どこまでをアタッキングフットボールとしていいかわからないからだ。

抽象的⇄具体的と分けた理由は、単純にわかりやすいから。
抽象的な方に反対するサポーターは1人もいないだろう。
そして、このように抽象的⇄具体的と定義したことが、この先のnoteをよりわかりやすくするはず。


ここで"具体的"の部分に言及しておく。
ハイテンポ、ハイライン、ハイプレス、偽サイドバック、縦に速い…   これ以外にも色々あるけど。
ポステコグルーがこれらを好んでいるのは間違いない。選手時代、そして監督になってから色々考え経験してきた中で、これらが最適解だったから採用している。それだけなのだと思う。
それがポステコグルーのアタッキング・フットボール。

アタッキングフットボールのもとになったのはポステコグルーのサッカーだが、
ポステコグルーのアタッキングフットボールがアタッキングフットボールの絶対的な正解ではないという考えで進めていく。

(矛盾しているように見えるが、自分の中では全く矛盾してないと考えてる。他の人にちゃんと伝わるのかはわからない)

そう考えると、これら具体的な部分はアタッキング・フットボールを実行するための手段でしかないのはわかるだろう。

具体的な部分はアタッキングフットボールの本質ではない。
だからこそ、私は「アタッキングフットボール(抽象的)」の方を重視すべきと考えている。

一方で、マリノスのフロントは「アタッキングフットボール(具体的)」を重視しているような気がしてならない。

この問題については、「アタッキング・フットボールの何を継承すべきか」という章で詳しく書く。


(補足)ポステコグルーについて

ポステコグルーが「アタッキングフットボール(抽象的)」をもとにチームを作っているとはいっても、彼にもサッカーの好みはある。
ハイテンポ、ハイライン、ハイプレス、偽サイドバックなど、どのチームを指揮している時にも観られるものが多い。
また、選手がポジションにとらわれない動きをするサッカーを求めている。
形にこだわりはなさそうに見えるが、おそらく433が好みだったはずだ。マリノスの最初やセルティックでは433だった。
一方で、トッテナムに行ってからは4213に近い。
そして、サイドバックが積極的に上がることを許し、ライン間にいることも珍しくない。そして、組み立てにも参加。
サイドバックに重要な仕事が多すぎではないか?

ポステコグルーは頭がおかしい。
その理由の1つとして、彼のチームのサイドバックも頭がおかしいからだ。

Diario de F.Marinosに掲載されている海外メディアのインタビューの翻訳によると、

「彼ら(マリノスの選手たち)はこう教えられていた。
“自分はサイドバックだからここにいる必要がある”、“自分は10番(=トップ下、アタッキングハーフ)だからここにいなくちゃ”、あるいは“ゴールキーパーもボックス内にいないといけない”、と。

だが我々はそれを忘れるように言った
我々は我々のサッカーをする。我々のサッカーとはボールを奪うことであり、スペースに侵入することであり、チームとしてひとつになることだ。
今や彼らがピッチ上で互いにコーチングしている様子を見ることができるだろう。誰がどこに行くべきかを互いに話し合っている。だが、まだ改善の余地がある」

https://ddfm.pw/?p=5117

マリノスにおいて、ポステコグルー期のサイドバックは自由度が高い、自由奔放って感じで、まあまあおかしかった。(ボランチとサイドバックののポジションチェンジ、フリーになるために落ちくるマルコスとか、全体的に流動的だったけど)

マスカット期になると、みんな大好き2022では、以前のような自由奔放さはなくなったものの、それでも自由度は高く、サイドバックとしてはかなりの裁量権が与えられていたはずだ。
そこで生まれた龍太や永戸の動き方は間違いなくポステコグルーのトッテナムと似たものがある。
龍太や永戸のプレーは、ただの彼らの個性というだけではなく、サイドバックというポジションに通常求められる以上のタスクや自由といった「ポステコグルーが作った文化が形として現れた」結果だと考えている。

サッカーの歴史については詳しくないが、監督の流派やその中での進化、ポジショナルに対するマンツーマンやハイプレスといった"流れ"がある。
ポステコグルーは、サッカー界の正統な流れ・進化の中にはいない異端児であるが、数年後にはポステコグルーの採用するものの1つが正統なものになるのではないか?

上記のポステコグルーのコメントの意味が、最も顕著に表れるポジションがサイドバックではないか?

数年先、数十年先には、サイドバックが今以上に自由で重要になる時代が来るかもしれない。

実際、ポステコグルー自身も、
「チーム構築は5年先を見て進めている。流行を追っていては、周囲を模倣することになる。私は他に誰もやっていないことがしたい。
 〔…〕
私の理想は選手をポジションの縛りから解放したトータル・フットボールにさかのぼる。」
と語っている。

 これ以上は引用できないが、気になる人は『アンジェ・ポステコグルー 変革者』を買って読んでみて欲しい。

サイドバックの自由度の高さは、ポステコグルーの大きな遺産の1つだろう。


ちなみに、現役時代のポステコグルーは攻撃参加が大好きなサイドバックだったらしい。
また、攻撃的なサッカーを志向するプスカシュのもとでプレーしていた。

参考
(トッテナムの試合はYouTubeにあるものしか観てないので、知ったかぶりで語ってます。)


2. アタッキング・フットボール崩壊の歴史

マリノスのサッカーは奇跡的なバランスの上で成り立っていた。
奇跡的とは言っても、偶然見つけたものではない。監督・選手の努力や試行錯誤によって見つけ出したものだ。

奇跡的なバランスとは何か、すごく感覚的な理解なので説明するのは難しいが、
原点回帰をしたはずなのに、マリノスはなぜここまで失速しているのか?については少しは説明できそうだ。

例えば、守備の酷さが勝敗に大きく影響するようになったのはここ1,2年の話だ。
少なくとも「敵陣で攻撃する時間を長くする」と「切り替えの速さ・全員守備をサボらず」をやってれば、守備の酷さ(明確な裏のスペースや自陣守備のやり方、選手の判断など)は変わらなくともここまで酷い状況にはなってない。
逆に言えば、上の2つで誤魔化してきた部分はある。

大きく変わったのは2022→2023だろう。
いくつか例を挙げると、

・岩田がいなくなる

・2023で攻め方が大きく変化
・(ブライトン式)
・🇧🇷3トップ主体の攻撃
→チームで攻撃というよりも🇧🇷単体or少し周りを使いつつも最終的には🇧🇷メインの攻め
→🇧🇷の自由度・力が増す

・ウイングには攻め残りが許される
→結果的に🇧🇷の自由度・力が増す

・押し込む・崩すが少なくなる
→攻め方の問題、🇧🇷の問題

・オープンな展開が増えた
・攻め方が変わってボランチがさらされる展開が増えた

上の例の中で、現在のマリノスの弱さにつながっているのは、「ウイングの攻め残り許容」🇧🇷3トップ起用」だろう。

攻め残りについては、許したというよりも、マスカットが狙いを持って攻め残らせていた方が正しいかもしれない。
ただ、これによって明らかに🇧🇷の自由度は増したし、守備意識の文化も失われた。
(日本人ウインガーも例外ではないが)

また、🇧🇷3トップによって、攻撃時に複数人の絡みが失われたこと。
2023の攻め方ではしょうがない部分もあったが、ハッチンソンの原点回帰路線に戻ってみたら
失われていたと気づくことになる。

🇧🇷がボールを持つと、2人の関係性になってリターンパスがメインの崩しになる。少しは周りを使っても、最終的に🇧🇷にボールが戻ってくる→🇧🇷のラストパス、クロス、シュートになってしまう。
崩しという概念がなくなったという感じがする。

🇧🇷の影響力が大きいのは事実だが、彼らだけに責任を押し付けるつもりはない。
また、全体的に選手同士が繋がれていないのは、崩しに限った話ではないけど。

キューウェル時代と違い、自由でイキイキとしたアタッキングフットボールを取り戻せばマリノスのサッカーができるという簡単な話ではなかったのだ。

上の例は複数ある原因の一部でしかない。
対戦相手なども考慮すると、より複雑になる。
もちろん、これらが絶対に正しいと主張するつもりはない。

ただ、確実に言えることは、
「マリノスが"マリノス"であるために必要なもの、ポステコグルーの時代から繋いできたもの。その重要ないくつかが失われた」ということだ。

少し言い換えると、
「アタッキングフットボール(抽象的)」ではなく、「アタッキングフットボール(具体的)」をするうえで必ず必要なものが失われてしまった

原点回帰を志向しているが、原点はどこか?という問題がある。おそらく2019だろうが2022だろうが変わらないものこそが原点の重要な要素なのだと思う。
そして、マリノスは原点に戻れてすらいないのだ。
急失速した理由はこれだろう。

欠けてはいけないものが欠けてしまった。
それは、奇跡的なバランスの上で成り立っていたアタッキング・フットボールの崩壊を意味するのではないか?


3. アタッキング・フットボールの何を継承すべきか

マリノスのフロントは「アタッキングフットボール(具体的)」を重視しているような気がしてならない。
これはキューウェルが解任された時に感じたことだ。彼の解任理由は成績不振と断言できない。
なぜなら、中山社長は「選手がイキイキとアタッキングフットボールをやりきれていない」と言ったからだ。

そもそもキューウェルの目指すサッカーが今までと全く違ったこと、選手の能力が圧倒的に足りていなかったため、その状況で選手がイキイキとプレーすることはなかなか難しいだろう。

中山社長の言葉をあえて悪い方向に捉えるならば、
「キューウェルの目指すサッカーはアタッキングフットボールではない」
と言っているような気がする。
改めて解任時のヨコエクや船木さんのnoteやその他記事を読んで判断して欲しい。

キューウェルのサッカーのような進化は、「アタッキングフットボール(具体的)」というフロントの重視する部分に反する。
フロントにとって、彼のサッカーはアタッキングフットボールの正統な進化には見えないのかもしれない。
だからこそ中山社長は、
「アタッキングフットボールの原点に立ち返る」という言葉を使ったのだろうが、今のサッカーは限界を迎えたうえに、ポステコ派監督もほぼ使い尽くしてしまった。

来年は確実に新しい監督が来る。
監督のタイプは2種類か。
欧州基準を仕込むしっかりしたタイプか、今のマリノスのサッカーを土台に手を加えていくタイプか。
後者は、成功例であるマスカットの時のように大きな変化はないはずだ。

前者、つまり欧州基準を仕込むしっかりしたタイプのサッカーは、「アタッキングフットボール(具体的)」とは正反対に見えるだろう。
求められるサッカーに対して能力が足りない、そして今までのような自由も与えられない。その状況でイキイキとプレーできるはずがない。


新しいサッカーに取り組む中で、
フロントや選手は、それを心の底からアタッキング・フットボールだと言うことはできるのだろうか?

フロントは何も気にせずアタッキングフットボールという言葉を使い続けるだろうが、
フロントの定義では、もし新しい監督が上手くいかなければ、またキューウェルと同じ理由で解任する可能性があるということだ。

サッカーが変わってもアタッキングフットボールと言い続けることはできるし、逆にアタッキングフットボールではないと言うこともできる。
ただ、クラブのアイデンティティとしてアタッキング・フットボールという言葉を使い続けるならば、「アタッキングフットボール(抽象的)」を全員が理解すべきだ。

これはフロントや選手だけの問題ではない。

サポーターも新しいサッカーを受け入れることはできるのか?

2018年とは違うのだ。
今では強いことが求められている、求めているのはサポーターだ。
そしてマリノスも必ず上を目指しているはずだ。

曖昧なアタッキングフットボールの定義、大きくなりすぎたポステコグルーのイメージ、2度の優勝、ACL決勝での敗北、キューウェル解任、原点回帰。
様々なものが状況を複雑にするが、その中でも強さだけは常に求められている。

前者タイプの監督ならば、おそらく最初は絶対に上手くいかないことは予想できる。

そんな状況で、フロントは、選手は、サポーターは、今度こそ監督を信じ続けることができるのか?


4. ハッチンソンの評価

個人的には、ハッチンソンを評価していない。
唯一評価できるのは、(大きなことだが、)ACL蔚山戦から選手の守備意識が変わったことくらいだ。

監督として色々やったのに上手くいかなかったならまだわかるが、そうではないから責められている。

原点回帰が求められていた中での就任であり、ハッチンソンも基本的に変えるつもりはないらしい。
その選択が正しいかどうかは一旦置いておいて、結果に繋がっていないというのは"事実"
そして、中身のサッカーも変わっていない、成長していないのも"事実"

変わらないという選択をして、成長していない、結果につながっていないなら、何もしていないと責められてもしょうがないと考える。

しかし、ハッチンソンは「アタッキングフットボール(具体的)」を実行する最後の監督なのだ。


5. ルヴァンカップ名古屋戦の感想

名古屋戦の感想は少ししかない。

まず驚いたことは、天野のボランチ起用だ。
ここ最近の停滞感の中で、ボランチにより攻撃的な能力を求めたのだろう。
「攻撃的な」というのは、何を指すのか?
ポゼッション時のマリノスのボランチは、極端に言えば「チームのバランスをとること」「ボールを繋ぐ」ことしかしていない。基本的にボールを受ければすぐはたく、繋げるだけ。加えて、ドリブルで剥がすどころか、その場から移動することも少ない。
そんな中で、ドリブルで運ぶ(移動)こと、パスで打開すること、前線への飛び出し、FWとの関わりなど、今まであまりやってこなかったプレーを求めていたはずだ。


さらに驚いたことは、小池龍太のボランチ起用だ。
ボランチの方がサイドバックより負荷が少ないということを考慮した可能性もあるかもしれないが、少なくとも復帰してずっと右SBとして出場し続けていたのにおかしな話だ。
しかも、山根や山村がいたにも関わらず、龍太が選ばれた。
これもおそらく天野の起用理由と同じで、攻撃的な能力、今までのボランチとは違うプレーを求めたからだろう。
ハッチンソンの龍太に対するなんとなくのイメージで起用された感じがするが…

喜田の扱いはわからないが、少なくとも渡辺皓太は不動のボランチで、相方を誰にするか?
天野のような攻撃的なタイプか、山村やジャンのようなタイプか?
おそらく、榊原は柏レイソル戦で、山根はルヴァン1stlegで評価を落とした可能性が高いのは非常に残念だ。(個人的には榊原に攻撃的な部分を期待していたのだが)

ここにきて、ハッチンソンは変えるという決断をした。人を変えることで、変えるつもりらしい。
次の試合にはいつも通りに戻っているかもしれないが…


6. マリノスの何を観るべきか?

ハッチンソンは名古屋戦でボランチを変えるという選択をしたものの、今後それ以上の大きな変化はないだろう。
残りの試合も今までと同じ試合内容かもしれない。

それでも、ハッチンソンは「アタッキングフットボール(具体的)」を実行する最後の監督なのだ。

そして、私たちサポーターは「アタッキングフットボール(具体的)」の終わりを見ることになる。

そのことに価値があるのではないか?

私たちが改めてアタッキングフットボールについて考える機会であり、
今までマリノスのどんなサッカーを観てきたのか?
どんなサッカーが好きなのか?
どんなマリノスを観たいのか?

それぞれ整理するタイミングだと思う。

今シーズン残り数試合、どのようにマリノスを観ればいいのか?
その答えに繋がるものをこのnoteに書くことができただろうか。


7. 最後に感想をちょっとだけ

それが正しいかどうか、誰が判断するの?

マリノスは「アタッキングフットボール(抽象的)」を重視していくべきだ、そうあって欲しいと思って書いたものの、実際はそう簡単な話ではない。

「アタッキング・フットボールだから○○」という使い方をすることがある。
それが正しい使われ方をしているなら別にいいんだけど。
時々その使い方が、やらないこと・考えないこと・間違っているのにそのままにすることに対する免罪符的な使われ方をしているのではないかと感じてしまう。
「アタッキング・フットボールだから○○」で終わって、サッカーをちゃんと理解しようとしていない

このnoteでは抽象的⇄具体的なアタッキングフットボールという定義で、簡単で抽象的な説明だが、本質的な部分を説明をしてきたつもり。
でも、現場レベルでは、もっと具体的なレベルで認識されているはず。このnoteでは難しくて定義に入れなかったが、「アタッキング・フットボールだから○○」という使い方をする"その考え方"は選手たちに浸透しているはず
主体性とか信じるとか、個人的にはその精神的な部分は理解しきれていないためわからないが、これもアタッキングフットボールの一部なのだろう。

アタッキングフットボールの定義をするとして、正しく定義する作業、定義を拡張する作業がある。
どこまで含めていいのか?何が正しいのか?を誰が判断するのっていう問題。
そんなことができる人はマリノスに1人もいない。


だから、アタッキングフットボールという言葉を使い続ける限り、今と変わらないのではないか?と思ってしまう。
アタッキングフットボールという言葉を使わない、卒業するということも選択肢の1つなのかもしれない

感想

残り数試合、マリノスをどのように観るべきか?その答えに繋がるものを書くことが1番の目的でした。
実際に書いてみると、アタッキングフットボールの整理やポステコグルーについてが圧倒的に多くなってしまいました。
個人的には書きたいことが書けてとても満足ですが、当初の目的とズレたnoteになってしまって申し訳ないです。

2.の「アタッキングフットボールは奇跡的なバランスの上で成り立っていた」の部分は忘れてもらった方がいいかも。
キャッチーな文章にしたくて採用したけど、なんか違う気がする。

あと、
「面白いからというだけで、このサッカーをやっていない。勝つ確率が1番高いからやっている」みたいなポステコグルーのコメントがあったはずなんですけど、どこにあるか知ってる人いませんか?

来年は、欧州基準を仕込むしっかりしたタイプの監督が来ると予想してこのnoteを書いたけど、
これだけ色々書いたのに、来年の監督が今のマリノスのサッカーを土台に手を加えていくタイプだったら、ちょっと恥ずかしいな。もしクラモフスキーだったら死にたくなるレベルで恥ずかしいですよ。

いつかわからないですが、また何か書いてみるつもりです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集