ウグイスカグラの話
お菓子類が溢れている現在と違い、私が小学生の頃(昭和30年代)は、柿・栗・枇杷・唐柿(イチジク)等の他に、通学路や近くの野山に自生する果実や野草もおやつになった。今も目にする物もあるが、見られなくなった物もある。
春、日が当たる山中で、小さな赤い実を見つけて食べていた記憶がある。名前は「センリョウ・・・」と言っていた。
ネットで画像検索して、聞いたことのないウグイスカグラらしいことが解った。実物を見たい気持ちを抑えられずにネットで注文した。
届いた段ボール箱を開けると、既に赤い花を数輪付けていた。長い間逢えずにいた友人に再会した如き感動を覚えた。
もしやと思い昔その木があった場所に行ってみると、それらしい木があった。茂った木々にうずもれ、花は付いてなく、断定はできなかった。
もやもやした気持ちで上の大師堂にお詣りすると、境内の低い土手に、50㎝足らずの、花をつけたウグイスカグラを見つけた。こんな身近にあったのかと驚いた。その後、すぐ近くで実の付いたウグイスカグラが見つかった。嬉しくて、鳥に食べられてなるかと、防鳥ネットを買ってきて被せた。赤く熟れるのが待ち遠しかった。
地区の年配者2人に写真を見てもらい、「オオバンコバン」と呼んでいたことが解った。我々の年代は「センリョウマンリョウ」と呼んでいたことも確認できた。十年足らずの間に名前がすり替わったことになるが、いずれにしてもたいそうな名前だ。その意味を色々推察するのも楽しい。春先の赤く色づいた若葉が大判小判に見えなくもない。
年が明け、今年(令和3年)は実物の付きがいいようにある。旧家の梅や山桃、自生するウグイスカグラや細葉紅葉イチゴもたくさんの実を付けている。
5月20日、ウグイスカグラの実も熟れてる頃と思い行くと、防鳥ネットにアオダイショウ(ヤータレ)が絡みつき、身動きできなくなっていた。どうすることもできずそのままにして家に帰った。
翌日は雨で、その翌日、脚立と鋏を持って現場へ行き、網を切り破り、蛇を網ごと作業しやすい屋敷の坪まで運んだ。蛇を網から引き抜こうとしたが、小鳥を飲んだのだろう、骨らしきものが出っ張っていて抜けなかった。そこで鋏を差し込み、網を切り広げて何とかヘビを救出できた。ヤータレは大きく口を開けて威嚇してきたが、放すとすぐさま草藪に逃げ込んだ。
現場に戻り、食べる前に写真を撮ろうと反対側に回って、ギョッとした。もう一匹大きなヤマカガシ(カラス蛇)が網に絡まっていた。この蛇も小鳥を飲んだのだろう、腹が膨れていた。同じように網を切り開いて救出、草の上に放るも逃げようとしない。棒でつつくと、その都度少し動くがやはり逃げない。怒らせると、コブラのように鎌首を持ち上げ平たくなって威嚇のポーズをとるのだが、危害を加えないことが解っていたのか、はたまた弱っていたのか⋯。
若かりし頃なら、小鳥を飲んだヘビは極刑に処しただろうが、今はそういう気にはならない。カラス蛇には一度咬まれたことがあるし苦手だったが、よく見ると意外とかわいい顔をしていた。
脚立を取りに行って戻ってくるともう居なかった。「ヤマモモの木にはマムシが居る」と子供の頃聞かされていたが、あながち方便ではなかったかもしれない。娘に「蛇の恩返しがあるかなー」と聞くと笑っていた。
実を啄まれないように被せた網で、小鳥が命を落とすことになろうとは、可哀そうなことをしてしまった。
半年後の11月中旬(13日、18日)、放蛇した屋敷の坪で、二度カラス蛇を見かけた。近づくと少し逃げ、又近づくと少し逃げて止まった。あの時の蛇に違いないと思うと、なんだか嬉しかった。