ずみランの陸上物語(高校は卒業してから!)
今日書いたnoteに自分の事を書こうと思っていたのでかきますねねね。。
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始めたきっかけとしては、たまたま地元に陸上クラブができ、妹が運動神経抜群だったのでお父さんが陸上やるかって聞いて妹がやるといい、運動もそもそも走る事も遅くて、嫌いな自分はなぜか、お父さんに「お前もやってみるか?」
と言われ始めました。
始めた学年は小学生5年生の終わりくらい
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そんな中、始めた陸上です。
最初は短距離をしていたのですが、圧倒的に才能が無く、妹とそんなに差がないくらい遅かったです。
なので、長距離はなぜか自信があったのでやりました。
適当に練習をして、最初の試合は2kmの地元のマラソンでした。
タイムは7分47秒
速いのか遅いのか分からないタイムですね。
けど同じ学年の大阪の子は6分50くらいで走ると
言われどうやって勝つねんってなりましたね(笑)
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そこから、小学校対抗の駅伝大会があり、そこでも
走りましたが、区間11位
クソ遅いんだなと思いました。
その後初めてのトラックで800m
2分35秒
アホなんで67秒でいき、88秒2周目かかります。
そこから突っ込むのをやめて、着実にタイムを
伸ばしていきました。
短距離も少しやっていたんで、短距離も速く
なってましたね。
そしたら大阪1番の実力になってました。
小学生のPB
100m13秒61
800m2分16
1500m4分52秒
2000m6分34秒
3000m10分14
他にもいろんな距離出てますが微妙だったりするのでわかりやすい距離で行きます。
ここで自分は早熟なんかなって気づき始めます。
まさにその通りでした。
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華やかな中学生時代
中学も入学して、本格的に陸上に対する熱も上がりました。
少し話は外れますが、ここで初彼女ができます。
(中1の五月くらい)
もう当分できていませんが、そろそろ欲しいです。
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天国から地獄への中1
大きな結果で言えば、1番出してると思います。
通信で優勝、近畿大会出場と中々の成績です。
大阪でも1番だったので近畿とかに意識が向いてましたが、大阪総体で転倒をかまし、大阪勢に負けます。
その後に、もう陸上に対して熱が引き全く練習をせず、諦めていました。
けどなんだかんだ続けていましたね。
学校生活でいうと、ふざけてばっかで先生に怒られていましたね。勉強もそこそこしかできていなかったですし、1番最悪な一年だったと思います。
中1のPB
800m 2分11秒
1500m 4分28秒
3000m 9分57秒(ロード駅伝)
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とりま挑戦心な中2
1500mを一旦やめ、800mに力を入れた時期。
コロナウイルスが流行って自粛期間が長かったあの頃、僕はサボりにサボってました。笑
その結果、筋肉が衰えていざ走ったら肉離れを起こします。
その怪我が治ったと思ったら、片方の足もやばくて、初戦の200mと800mに出場したのですが、
200mでやられ、800mで撃沈怪我からのスタートです。
26.99と2.18😂
その後、自分は中学校の練習で練習相手がおらず、基本1人とお父さんとワンツーマンでやっていたのですが、限界があり、陸王ACに入りました。
そこからしっかり練習するようになり、仲間と練習できる楽しみを感じながら伸び伸びやっていました。
そしたら2週間後800m2分09秒
10秒切る予定だったのでなんとかでした。笑
そこから、通信が始まり、決勝を残るのが目標。
予選で2分5秒を出して通りました。
決勝は撃沈し2分11秒で最下位の8位。
周りが3年生だけだったのでなんとも思いませんでした。笑
そこから、距離もちゃんと踏み始めて冬には少し走り込んでだと思います。
2年
800m 2分5秒
1500m 走ってない
3000m 9分39秒
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本当に中身が濃かった3年
3年生となり中学ラストイヤーで、しっかり結果を
残してやる。一つ目標があり
800mで全中に行く事
これだけを意識して練習をしてました。
と言ってるわけですが、初戦の800m2分9秒
間に合うんか?ってなりました。
焦りに焦っていましたが、着実に練習を積むしかないと、思い6月にはなんとか2分4秒
そこに年下のS.Kに負けて、初めて年下に負けました。
けど、目標は切る事だったので気にせずいきました。
そして、迎えた本番
予選はハイペースでいき
2分3秒
ほんと悔しかったですね、
お父さんにごめん、と謝ったと思います。
一緒にきれなかったS.Y君も悔しがっていて
明日一緒に切ろうと言ったと思います。
そして、決勝また同じペースでの展開でしたが、
自分は疲労に打ち負け最下位の2分6秒
S.Y君はあとわずかで全中に届かず何もできませんでした。
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しかし、まだチャンスが後一回
大阪中学選手権でした。
また、これは3位以内だと近畿大会へと行けます。
これがラストだと思い、
予選から狙いに行きましたが、
2分3秒
予選ではトップでしたが、切れず涙
明日にかけて準備しました。
そして決勝60秒の入り、そこから上げないとと思いましたが、届かず2分3秒で4位
全中の夢がここで途絶えました。
ショックで何も考えれませんでした。
ですが、なぜか切り替えれたのです。
まだチャンスがあるってここで終わりじゃないって
都道府県対抗駅伝
これだけしかないと思い、1年半ほどかけてきた800mの練習から絶えて、徐々に距離を伸ばしました。まずは1500mを走ろうと、1500mに向けて
練習をしました。8月中旬と下旬にあるやつに向けて、練習をしました。
長野の木曽の方に別荘があるので伊那の競技場で
練習をしました。
伊那駅伝と同じ場所ですね。
そうして、練習を積み
まず中旬の方中距離グループの主催の
twolapsさんの試合でした。
トップアスリートに引っ張ってもらい
4分17秒
意外といけるじゃんと思いましたね。
その後の下旬の方に枚方で試合がありました。
その時はM.Aの力を借り800mから独走で
4分15秒でした。
67-68-68だったのでほぼイーブンでしたね。
そして順調に距離をふめて3000m
9分25秒でしたね
このままじゃ勝てないと思いましたね。
実際、K.C君にラスト競り負けました。
やばいなと思った挙句、大阪総体へ
予選9分23秒
決勝9分30秒 8位
また負けた、もう嫌になりましたね。
挑戦を諦めようと思いました。
その1週間後に記録会があって、棄権したいなと思いながら結局走りました。
しかし、あれ?意外と走れると思い
9分17秒
意外と順調に伸びてきていると思いました。
そのまま、選考会まで練習しました。
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中学校で駅伝を組んでましたが、それを蹴ってまで
都道府県にかけてました。今で言うと結構クソな事してるんですけど、自分の目標に相当集中してたんだと思います。
そして迎えた本番、K君とS君が8分台を出していたので勝負で勝つしかないと思いました。
しかし、圧倒され失速し負けました。
もう、終わったなと思いました。
ですが、進学する高校が自分に火をつけてくれました。
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大阪高校駅伝です。
その時に火をつけられました。そん時には
大高に進学決定していましたが、
ギリギリまで清風と迷ってました。
速い先輩達をみて
あんな選手になりたい。
中学と違った圧倒的な走力と駅伝に魅了され、
距離を踏んだりして下積みをしておこうと
12月からしっかり練習をしました。
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普通は、距離を2月から3月上旬あたりにかけて踏むのですが、2月にはスピードを入れてました。
3月のスプリング大会でラスト試合で1500m
で結果を出すためです。
その時には受験が終わっていたため、
学校から帰ったら、8キロ先の枚方競技場に
水曜日は自転車で行ってましたね。
それぐらい意欲がありました。
ドラゴンフライもその時初デビューです!!
200mを29〜30秒あたりでインターバルを繰り返してました。
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最後の試合
もう、純粋に楽しもうとそれだけを考えていました。そしたら走る前も笑顔でそのままスタートしました。
今までにないハイペースでしたが、あれ?意外といけると思い、一回前に出ようと思いますが
結局、上げられて4位
4分09秒
目標は10秒を切る事でした。
涙を流しましたね。親も動画で必死に応援してくれていて、自分も楽しかったと思える試合でした。
中3
800m 2分3秒
1500m 4分09秒
3000m 9分17秒
1000m 2分39秒
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めちゃくちゃなことが多かったけど、楽しかったと思えた3年間でした。学校生活も特に3年生では
男女仲が良く毎日が楽しかったですね。
今でも、ふと思い出したら戻りたいと
思うくらいです。
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最後に、
今は大高で都大路と全国IHを目指しています。
中学時代の過程などが無かったら今、頑張れていないなと思います。
気づいたらもう、高校もラストイヤー!
本気で頑張りたいと思います。
高校のnoteはまた卒業したら!!!!!
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