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【覚書】アンドレ・バザンによるチャップリン論(1953)

 アンドレ・バザンのチャップリン論「チャーリーもし死なずば…(Si Charlot ne meure, 1953)」——『小海永二翻訳撰集―映画とは何かIV』(丸善、2008)には未収録——を読む。
 バザンは、「チャーリーもの」衰退の原因をトーキー映画の登場にではなく、トーキーと同時期に出現したパンクロマティック・フィルム、つまり「灰色」をよく表現するフィルムの普及に見ている。無声映画時代に広く用いられたオーソクロマティック・フィルムは、黒白=明暗のコントラストを際立せた。チャーリーの白塗り顔はそこでこそ、その白さを保証されたわけだが、黒と白の中間で濃淡を醸し出すパンクロ・フィルムは、「チャーリーの仮面」を剥ぎ「チャップリンの素顔」を晒してしまったのだ。
 チャーリーがただの「化粧した人間」であると知れたその瞬間、「神話」は崩壊する。チャールズ・スペンサー・チャップリンという一人の「すっぴん」役者が『殺人狂時代』(1947)と『ライムライト』(1952)に主演し、それぞれ「ヴェルドゥ氏」と「道化カルヴェロ」という「リアルな」役を演じなければならなくなった所以である。さらにバザンは、『殺人狂時代』で「負のチャーリー」としてのヴェルドゥが死刑に処され、また『ライムライト』でカルヴェロが「チャップリンにありえたかもしれぬ人生」を全うするのを見るに及び、「この2つの殺人により新チャップリンが生まれた」という。そこで彼は「老人の顔」と別の仮面を持つ権利を得たと。

 以上、黒白フィルムを2種類に区別して、その移行の過程でこそチャップリンの「老い」(チャーリー神話の限界)が露呈したのだとするあたり、非常に面白く読みました。

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