【要約】J・プレイス「フィルム・ノワールの女たち」(Janey Place, Women in Film Noir, 1978)
男性の幻想の産物たるヨーロッパの神話・宗教・文学・芸術において、「ダーク・レディ」や「スパイダー・ウーマン」は、非常に古くから、そのアルター・エゴである「処女」・「母親」等々とともに女性の二大原型を形づくっている。現在(1978年現在)、大衆文化としての映画がかつての神話に相当する役割を果たしているといえるが、中でも1940年代から50年代半ばにアメリカで人気を博した、明瞭で一貫したスタイルをもつ映画群、すなわちフィルム・ノワールの中にも、そのように神話的な女性像が——ただし「時代」等々の拡大されたコンテクストの影響下に——登場する。
特に、第二次世界大戦中、兵役に取られた男性たちに代わって工場労働者として社会進出を果たした結果、女性たちが経済的に自立することとなり、戦後、帰還した男性と社会や職場で衝突することとなった――つまり男性にとって恐怖すべき存在となった――のだが、その影響がフィルム・ノワールにも見て取れる。つまり、当該映画群の中にはダーク・レディやスパイダー・ウーマンの特徴を受け継ぐ「ファム・ファタル」と呼ばれる女性たちが現れ、男性登場人物を性的に惹きつけると同時に破滅に導くのである(フィルム・ノワールには「無垢な女たち」も登場するが、彼女らは単にファム・ファタルたちを際立たせるための存在でしかない)。
フィルム・ノワールにあっては、男たち——彼らはしばしば探偵であり、善と悪の間で己の立ち位置を見失う——のアイデンティティやモラルは常に相対的なものでしかありえないが、それらを最もよく攪乱するのが暗闇から突然姿を表わすファム・ファタルである。常に画面の中心に置かれるファム・ファタルは、照明やカメラの機能によって男を支配する女として作られ、表現されて、映画の中の男たちのみならず、観客をも誘惑した。とはいえ、彼女たちは、男たちに対し一時的に性的魅力・セクシャリティを積極的に駆使することを許されるものの、結局は(男性)社会の要請によって(映画の中ではカメラに対する影響力を失い、物語上では男性たちからの反撃を喰らい)敗北せしめられる。
こうして、とにもかくにも、フィルム・ノワールは、ある時期、男性社会が受け入れることのできない神話的原型としての女性(ダーク・レディ、スパイダー・ウーマン)に声を与える源泉となった。その結果、ファム・ファタルは単に神話的原型であるにとどまらず、性的魅力にあふれた力強い存在として今日、再認識され、人気を博すことになったのである。かかる現象は、アメリカ映画の意味を問い直す上で、一考に値するだろうと思われる。
出典:ジェイニー・プレイス「フィルム・ノワールの女たち」E・アン・カプラン『フィルム・ノワールの女たち―性的支配をめぐる争闘』水田宗子訳、田畑書店、1980年/Janey Place "Women in Film Noir" in Anne Capulan, Women in Film Noir, London: British Film Institute, 1978, 86-118.