流しソウメンはその構造上身長の高い者が圧倒的に有利である。一番上を陣取るものはその気になれば全てのソウメンを独占することができる。しかしあの場にいるものはそのようなことをしない。そのようなことをたくらむ輩がいれば流しソウメンは成り立たないことをその場のすべての人間が認知しているからである。 つまり高身長のものは低身長のものにそうめんを譲るのが暗黙の了解になっている。しかし低身長のものにだってプライドはある。あからさまに譲られるとそれはそれで腹が立つ。ただ身長が低いというデ
アニメや漫画のキャラクターを愛でることはしばしば二次元を愛すると表現される。これは現実世界を三次元としていることから発想されている。しかし、果たして現実世界を三次元と表現することは適切なのであろうか。 確かに、二次元が平面であり三次元が立体であるという認識は間違っていない。一方で三次元世界には時間の概念がない。すなわち三次元は立体は立体であるが、それは不変的な立体であり変化は生じない。時間の概念が発生するのは四次元からであり、現実世界を立体世界の連続的なものであるととらえ
はじめに 秦の始皇帝といえば世間では独裁政治のもと徹底的な言論弾圧などの悪性をした君主というイメージが強いだろう。これはもちろん後世に意図的に形作られたイメージである。さて秦の始皇帝のエピソードとして不老不死の薬を求めたというものがある。これはしばしば彼の強欲さを象徴するエピソードとして語られるが、彼が不老不死の薬を求めることには他の論理があったのではないかと考えたため、紹介していこうと思う。 なお本文は一個人の妄想であることを先に断っておきます。 本文 秦は春秋戦国時代
本記事はこちらの記事の続編となっておりますのでこちらを先に読むことをおすすめします。 序論 前回の記事では、歴史を学ぶ意義は学ぶことで得られる能力が社会で必要とされる能力であるということを書いたが、具体的にどのような能力かという整理に欠いていたため本記事で補足する。 本論 歴史を学ぶことで鍛えられる能力は次の二つである。 事象に対して多角的かつ連続的な視野で分析にあたる能力 副次的または断片的な情報から一次的かつ全体的な事象を想像する能力 第一節 1については前
桃を見て人の尻に似ているなということは誰しもが思いつくことである。それは古今東西で普遍的な認識であるかもしれない。そういった前提を持って世界を再認識したところ非常にいかがわしい風景が漂う。 例えば桃源郷という中国古典で理想的な地を象徴する言葉があるが、これの桃を尻に変えると欲に忠実な男たちの姿が目に浮かぶ。そもそもいくら桃が希少であるからといってそんなに大量にあって理想郷だと喜ぶはずがない。 このようにどう転じたかはあえて語らないが、桃の比喩は転じて女性を表すことが多い
はじめに 江戸幕府はとてもシステマティックである。身分を厳格に決めて、各々の行動範囲を制限し、ともかくも世の中が安定するようなシステムを作り上げた。それ故に江戸幕府は260年続いたのであろう。 養老孟司氏は「日本人の身体観」の中で、江戸時代を制度という精神性でがんじがらめにした脳化社会であったと定義した。では、そのような脳化社会はどういった文脈を踏んで形成されていったのであろうか。 第一章 安土桃山時代の文化 戦国時代とは一言でいえば、「死」と「暴力」の時代である。すなわ
19は発狂した。しかしどうにもならないのだ。これは生まれた時から19に課せられた運命である。 俺はこの世に生を受けた。俺の一つ前には18がいた。こいつは2と3でできたエリートだ。俺の一つ後ろには20がいる。こいつは2と5でできており、その抜群の安定感から界隈では重宝されている。出だしから最悪だ。こんなエリートに挟まれて生まれたんじゃ落ちこぼれが決まったようなもんだ。 38章 俺は2と組んだ。一つ前には37がいた。新しく出てきたうぶな奴だ。先輩の俺がちゃんとかわいが
実にありがたい。先生がまたうんこを出してくださった。先生のうんこは栄養たっぷりでおいしい。さぞかし良いうんこを食べていらっしゃるのでしょう。 そのうんこはやめたほうがいい。よくわからないうんこを食べて出てきたうんこだから何が入っているかわかったもんじゃない。 あの学者のうんこは食えたものじゃない。腸が歪んでいるからせっかく良いうんこ食っても、うさんくさいうんこしか出てこない。あいつのうんこを食べるくらいならその前のうんこを食べたほうがいい。 このうんこは食べておいたほ
はじめに 昨今では少子高齢化や男女共同参画社会やジェンダーレスという名目から男女別学、特に男子校の存続が危ぶまれている節がある。男子校は前時代的な男尊女卑の巣窟であり、時代錯誤も甚だしいとまで言われている。 しかし果たしてそれは適切な指摘なのであろうか。筆者はこの時代であるからこそ男子校の存在が必要であるのではないかと考える。本文ではそのことについて論じていく。 本論 男子校には無論、男子生徒しかいない。男しかいないコミュニティでは男であるということが全く個性にならない。
雪玉は雪原を転がり始めた。縦横無尽にただ転がり続けた。大きくなるのだとただそれだけのために。 そうして雪玉は大きくなった。一回転がれば、昔よりもいっぱい雪がつく。でもその一歩が重い。雪玉はもう自由には動けない。自分の凸凹の通りにしか動けない。雪玉は後悔した。あの時ああすればこのコブはつかなかったのに。このコブさえなければ向こうに行けるのに。でももう小さくなれない。もっと大きくなるしか道はない。 ある時、雪玉は止まった。もはや動けない。ただそこに佇むだけ。時折雪玉は昔を懐
成功例 武士「やあどうもこんにちは」 富豪「これはこれは。はて本日はどういったご用事で」 武士「最近ここらへんも治安が悪くなりましたね」 富豪「最近は怪しい連中がうろちょろしてて夜も寝れたもんじゃない」 武士「あなたの土地なんか広いから警備もよほど大変でしょう」 富豪「まあそうですね。最近はうちの若い連中でも手に負えん」 武士「そんな時に土地の警備を外注したいと思いません?」 富豪「そんな便利なサービスがあるんですか!」 武士「お住いのご地域は弊社の管轄内ですので、あなたも
はじめに 上の記事では日本人の性質の根幹には小規模なコミュニティ規模での内向きの思考があり、それゆえに個人という概念が乏しかったのではないかと論じた(詳しくは上の記事にて)。本記事ではその詳細な内容を具体例とともに紹介していこうと思う。なおこの記事はあくまで個人の妄想であり、学術的根拠は全くないことをご了承のうえ、お楽しみください。 第一章 日本人の他者とのかかわり方 2021年に東京オリンピックが大盛況となったが、そのスローガンに「おもてなし」という概念があった。「おもて
はじめに 日本人とは奇怪である。日本人の特徴が何に起因しているかというものは多くの言論人の頭を悩ませている。 宗教は神道と仏教の融合でありつつも、信心深い様子は見られない。言語は文字こそ中国語由来の漢字や仮名文字を使用しているものの、音に関してはユーラシア大陸のどこかの少数民族なのかもしれないというマイナーな言語の集合体という説がある。民族で括れば、東南アジア系や大陸系から北方系に至るまで実に多種多様な説がある。 このように東アジア文化圏と括るにはあまりにも独自性がありす
はじめに 2022年度から高等学校のカリキュラムでは、従来の日本史と世界史の近現代史を総合した歴史総合という教科が必修になった。その中で、歴史教育とどう向き合っていくべきかという議論が今現在ホットになっている。こういった状況下において、学生か社会人かにかかわらず、歴史を学ぶにあたってどういった心構えでいるべきかということを提唱していこうと思う。 第一章 歴史の性質 「歴史」という名詞の次に続く動詞は「編む」である。すなわち歴史とは編集するようなものであるということである。こ