アダルト業界の夫婦に生まれた私の"壁"
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こちらは #創作大賞2023 応募作品です📖´-
「親のハダカを見て育つ」のダイジェスト版です✍️
拡散いただけると幸いです🙏♥️
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両親とストリップ劇場を転々と巡業しながら育った私は、ずっと退屈だった。
大した娯楽もなく、ステージの時間に沿って生きる生活。
ステージの合間に買い物に行ったり喫茶店に行ったりパチンコに行ったり。
公園で遊ぶ親子を羨ましく思った。
あの人たちはあっち側。普通の人たち。
私はこっち側。
家族で出かけるのは巡業先の観光地やディスコにカラオケ。
どこに出かけたって私の視線の先にはいつも”あっち側”の人たちがいた。
いつも見えない壁を感じていた。
でも幼稚園入園を機に、私は祖父母と過ごす日々が増えた。
「裸の仕事をするなんてマトモじゃない。
普通の仕事はできないのかねぇ」
と涙を流す祖母に、”誰よりそれを望んでるのは私なんだけど”と白々しい気持ちになった。
大人の中で育った私は、中身はじゅうぶん大人の感性に染まっていたのだと思う。
もちろん幼稚園でも同級生に馴染めるわけもなく、結局一人ぼっちだった。
それに幼稚園に通う子供たちは、みんな”あっち側”の人たちだったし。
普通の親が普通の仕事をしていて、帰宅すると親がいる、お日様の下で生きてる人たち。
子供だった私の小さな心が折れたのは、母の出産だった。
両親の仕事柄、それに夜な夜な私の横でおっ始める両親のせいで”性行為”というものを漠然と理解していた私には、赤ちゃんの誕生が生理的に受け付けなかった。
赤ちゃんの誕生が、というより母の授乳姿に強い嫌悪感を覚えた。
だってそれ仕事で使うやつじゃん。
お客さんのおじさんが触ったりするじゃん。
汚くない??
その上、子供ながらに両親がAV男優とAV女優であることを知ってしまった。
ストリップ劇場で「女優」って紹介されるのはそういう事だったのか。
父の書斎にあったAVの中には、ストリップ劇場で知り合ったお姉さんたちの作品もあった。
ショックというか、やっぱりどうしたって生理的に受け付けなかった。
当時は日活ロマンポルノとかピンク映画とか呼ばれていたらしい。
AVとの区別は今の私にもついていないし、正直子供の立場から言ったらそんな違いどうだっていいんだけど。
でも父はその職業を誇りに思っているらしかった。
「そんな父の”誇り”とやらが私の子供時代を奪った。」
なんて言ったら大げさなんだろうか。
小学生になったところで、近所の子供たちからは
「こいつの親エッチな仕事してるんだぜ~」
って石を投げられたり
「なっちゃんとは遊んじゃダメって言われてて・・・」
と同級生に言われた事もある。
ただただ泣くしかできなくて、惨めだった。
そして父が逮捕された。
父一人で地方に行っていた先での出来事だったので、詳しい罪状は知らない。
祖母は特に泣いて怒り狂ってた。
「なっちゃん、パパが犯罪者になっちゃったよ。
犯罪者の子供はね、普通の仕事に就けないし、普通の結婚だってできないんだよ」
”普通の暮らし”だけが憧れだった私は、望むことも許されないらしい。
そんな父は、家に戻ってきてから働かなくなった。
仕事を選り好みしているらしかったし、時を同じくして世の中はどんどんアダルト業界に厳しくなっていた。
やってらんない。
生きてる意味もわからないし、孤独だし、誰も分かっちゃくれないし。
少しでも反抗的な態度を取れば叩かれるし、裸で外に出されたりもしたし。
「そりゃママは裸になる事に抵抗がないんだろうけど、私は違うんだよね」
と言ってやりたいところをぐっと我慢した。
殴られるのは大して痛くない。
っていうか殴られ過ぎて死んだって構わなかった。
「親から愛されたかった」とも別に思わない。
孤独だけど、家族の愛なんていらなかったし、知らなかった。
でももはや、そんなもの解りたくもない。
そうやって心の中にドロドロした黒いものを抱え込むようになった私が見つけた一筋の光。
それはアニメだった。
私の初恋の悪役は言った。
【所詮この世は弱肉強食 強ければ生き、弱ければ死ぬ】
【生まれがどーのこーのじゃねェ お前が弱いから悪いんだ】
私はそこに光を見た。
学校や大人たちは道徳を教えたがったけれど、そんなもの何一つ私を守ってくれないじゃん。
もう”食われる側”はいやだ。
嗤われて、蔑まれて、石を投げられるなんてうんざりだ。
”普通の生活”ができないなら、もうそれでいい。
それなら私は”食う側”にいく。
こんなしみったれた田舎、絶対に出て行ってやる!と心に誓った。
それからの私はきっと、少しだけ明るくなった。
自分の本音は話せないものの、アニメや音楽を通じて一緒に過ごす友達ができたから。
習い事も学校もサボっては友達と過ごした。
それらがバレてはボコボコにされては「恩知らず」「金食い虫」と母に言われたけど。
親はまだストリップ劇場の巡業と、怪しげなネットワークビジネスにハマっていたので不在がちなのが救いだった。
淋しいけれど、家族といたいわけじゃなかった。
なんの作品だか知らないけどスクール水着で撮影されたり、すでに生理が始まっていたのに母にタンポン突っ込まれたり、とてもそんな話は友達にはできなかったけれど。
嘘に嘘を重ねて"普通の人"のフリをして学校に行く。
嘘と現実のギャップにまた心がすり減る。
黒い感情が溜まりすぎて、死にたくなったり、両親を殺してやろうかと思う瞬間は多々あった。
そんな私をいつも留まらせてくれたのは、アニメや音楽と「こんな所で人生終わらせてたまるか」っていうハングリー精神だった。
中学に入って、友達も少し増えて、ようやく自分の居場所を実感していた私を再び地獄に突き落としたのは、両親のバラエティー番組出演だった。
【この中で元AV女優は誰だ?】ってクイズ企画だったと思う。
もちろん何度もやめてほしいと懇願した。
「食わせてもらってる立場で偉そうに」
「世の中にこういう仕事があるから犯罪が減るっていうのに」
と、私の意見は聞いてもらえなかった。
翌日からはまた昔の私に戻ってしまった。
他人の目に怯え、自分の噂がどこまで広まっているのかわからない恐怖に震えた。
”普通の親”がいる友達が妬ましかったし羨ましかった。
インターネットや携帯が普及してなかった時代だったって事だけが、不幸中の幸いだったけれど。
いつも心の中では「死にたい」って気持ちと「こんな所で死ねない」って気持ちが葛藤していた。
学費・交通費・食費を自分で支払う事を条件に、私は地元の子の来ない遠い公立高校へ進学した。
私の事を知る人も、私の親を知る人もいない場所。
ようやく家族と少し離れられた私は、恋愛で現実逃避を図るようになった。
それでも黒い感情は膨らんでいく。
普通の家で普通に学費を払ってもらってる同級生や彼氏が憎らしい。
こっちは家では夫婦喧嘩が多くて安らげないし、バイトに行かなきゃ学校にも通えないっていうのに。
言葉にできないフラストレーションを溜めこんでは、プチ家出を繰り返した。
その度に母は警察に駆け込んだ。
「自分だけ逃げようと思うのか」と叱責された。
この人は私が心配なんじゃない、手元に置きたいだけなんだ。
笑えた。
もう悲しいなんて感情はなかった。
親の夫婦喧嘩でさえうるさい・ウザい・どーだってよかった。
家の中ではいつもウォークマンで音楽を聴いて、現実から目を逸らした。
てっとり早く金が欲しい。
でも母親と同じようにカラダは売りたくない。
高校を出たら金を溜めて出ていきたいって願望は膨らんでいく。
それなのに学費や定期代の支出でなかなか溜まらないフラストレーションで苦しい日々。
なんとか高校を卒業した私は、既に疲れ果てていた。
在学中毎日のように働いて、同級生には嫉妬して、歳の離れた弟もいるし、私が出て行ったらどうなってしまうのか・・・
母はストリッパーを引退して、怪しげなネットワークビジネスと保険屋やスナックで働き、父は働かない。
業界最盛期の時に建てた豪勢な一軒家のローンは返済を滞り、家計は火の車だった。
「電気がとまった」とか「ガスが止まった」とか、惨めすぎて思い出したくもない。
でもは母はヒステリックに泣いたり叫んだり死ぬ死ぬ詐欺を繰り返しても、「子供のために離婚はしない」と繰り返した。
バイトや恋愛に逃げていた私に母は言う。
「普通は親の背中を見て育つっていうのに、あんたは何を見てきたの?」と。
「親の背中っていうより、裸を見てきたかな!」
と答えたら本気で殺されそうになった。
炊飯器くらいの大きさの箱で殴られた。
我ながら上手いこと言ったもんだと思ったんだけどな。
今思えば私の反抗期らしい反抗期って、この事件くらいだった気がする。
反抗期を過ぎた私は、大人になろうと決めて両親に土下座をした。
「お願いだから、もう離婚してください」と。
本当はもっと早く引導を渡してやるべきだったのに、私が”子供だから”と逃げたせいでここまで来てしまった。
ごめんね。
きっと両親は、私が思うより子供だったのだと思う。
私は自分の環境を呪うんじゃなくて、向き合うべきだった。
ってキレイに終えられないのがお金の怖い所。
詳しく知らなかったけれど、父親名義ではもう自己破産を経験しているらしくお金が借りられない。
母の方も借金がMAXあって、家を売って新居に入るだけの資金がなかったのだ。
つまり、離婚するしないに関わらず、もう打つ手がなかった。
「絶対いつか返すから」
その約束で、私の名義で消費者金融をハシゴして借りられるだけお金を借りた。
離婚は成立して私と弟は母と暮らし、父は夜の世界へ帰って行った。
そこからは簡単。
よくある転落人生。
自己破産をした母のヒステリーは酷くなって、マンションの10階から突き落とされそうになったり包丁をつきつけられたり。
私は借金返済のためにキャバ嬢になった。
母は更年期もあってか、ヒステリーは日に日に酷くなっていく。
夜中に目覚めると、将来を悲観した母が包丁を持って枕元に立っていたりもした。
「でもきっと殺される事はない」と思った。
「そこまでの度胸はない、離婚もできなかったんだから」とわかっていたものの、私もストレスのせいか過呼吸を繰り返した。
「このまま水商売続けるなら縁を切って」と言うので、私は戸籍を抜いて(除籍)キャバクラの寮に転がり込んだ。
段ボール2箱と、この身体ひとつ。と、たくさんの借金。
でもようやく家を、地元を離れられた。
戸籍なんて紙切れ一枚だけど、それでもじゅうぶん心は軽くなった。
そんな私にのしかかるのは、大きな孤独感だったけれど。
母は私が本当に除籍するなんて思ってもみなかったようだ。
ケータイには鬼電・鬼メールが酷くて、使うのも怖くなる程だった。
だからケータイは新宿駅東口のゴミ箱に捨てた。
友達の連絡先もわからなくなるけど、全部捨てた。
新しい自分で新しい人生を歩みたかった。
11月の冷たい空気が、ようやく肺にまで入り込んだ気がした。
でも借金まみれじゃキラキラした新生活なんて送れるわけがない。
空っぽの部屋で、本ばかり読んで過ごした。
テレビもなかったし。
毎日のお金の計算に心を病んだり、借りた覚えのない闇金の取り立てに怯えたり、こうなったらもう風俗行くしかないか!と自暴自棄になったりもした。
ホストと付き合ってみたり、DVされて警察沙汰になったり、まぁよくある三文小説みたいな人生。
”普通”とはほど遠い、”普通”とは真逆の生活。
ご飯を買うお金がない、仕事に行かなきゃ。
仕事に行く電車賃がないや。
残飯でも漁る?
でもそこまでして生きてたくもないし、もういっか。
空腹も孤独もお友達だ。
身体は痩せ細ってアバラが浮き出て、生理は止まった。
時には耳も聞こえなくなって、リンパが腫れておたふくのようになった。
金がなくちゃ病院にも行けない。薬も買えない。
フリーでついたお客さんには「ヤク中?」と疑われた。
そんな金あったら苦労してないっつの。
そんな私を救ったのは、キャバクラの専務だった。
「とにかく話してみろ」と、見た目はヤクザでしかない専務に淡々と説明した。
この街じゃよくある話だし。
母がよく言っていたように
"根性も努力も足りない"って言われるんだろうな。
でも、専務は私の境遇に怒った。
怒って店のカウンターに拳を叩きつけた。
「一人で抱え込まずに何でも相談しろ」と言って去って行った専務だったが、翌日には見ず知らずのお客様が私を指名して来店し、シャンパンを入れてくれた。
空っぽだった寮の部屋にはテレビとテーブルが届いた。
系列店にいた先輩方が、私を気にかけてくれるようにもなった。
おそらく全て専務の計らいだ。
専務にお礼を言いに行くと、「俺は何もしてない」と言ったが、拳に包帯を巻いていた。
怒りに任せて拳をカウンターに叩きつけたせいで、骨にヒビが入ったらしい。
先輩たちと笑い転げて涙が出た。
「妬み・嫉み・孤独はガソリン」と虚勢を張って夜の街をいく。
専務や先輩たちに助けられ、私はめきめきと売上を伸ばしていった。
夜の世界には私以上に過酷な環境を生き抜いてきた人たちもたくさんいたから、卑屈になって病んでる場合じゃないよね、と自分を奮い立たせた。
”私もこんなところじゃ死ねないし”
キャバクラという空間で好意を金に換えて、私という存在に価値が付くのは、男という生き物への復讐のようで気持ちよかった。
私には特技も美貌もないけれど、嘘みたいな不幸自慢ならたくさんあったから話のネタには困らなかった。
自分の不幸さえ食ってやる。
食ってのしやがってやる。
騙し騙され、ようやく闇金の借金は返し終わって縁が切れた。
やっぱり私は闇金に行った覚えもなければ、借りた覚えもなかった。
父が私の身分証を使ったとしか思えないが、それももはやどうでもいい事だった。
そこでようやく私の中の炎が消えた。
たぶん、怒りや憎しみの炎。
怒りもまたエネルギーなのだ。
ハングリー精神だけでなんとかやってきたけど、それを糧にするのは限界らしい。
つかれた。
私は不幸だって思ってたし、周りや環境を恨んでた。
でも、そんな私が生きることの向こう側へ行かなかったのは、その時々で出会った人たちの優しさがあったからだ。
ギリギリの所でいつも踏みとどまれた私は、決して不幸なんかじゃなかった。
そんな当たり前のことに、ようやく気付けた。
最初のキャバクラのオーナー・アリ。
歌舞伎町のキャバクラの専務、同僚のリサ、先輩のマオちゃん。
戦友として相方になった音ちゃん。
ずっと見守っていてくれた親友。
きっと一人でも欠けていたら、私は生きる事を投げ出していた。
怒りも恨みも憎しみも、もういいや。
もういいよ。
そこからは夜の世界と並行して、OLとして昼の世界で社会を学んだ。
水商売の友人から債務整理という手段を教えてもらい、法的に手続きをする事にもなった。
ようやく”普通”に生きられる。
でも、お付き合いしていた彼の両親からは交際を反対された。
まぁそれが普通か。当然だよね。
無我夢中で走ってきたけれど、気が付けば25歳を過ぎて、水商売の賞味期限はすぐそこまで迫っていた。
普通の生活をようやく送れると思ったけれど、もうアラサー。
誰とも結婚もできないかもしれない。
そんな私に残された道は、水商売を続けるのか、お店を持って独立するのか、愛人契約だった。
でも人生でたったひとつ”普通になりたい”という夢を捨てきれなかった。
そんな時に口説いてきた地元の同級生に
「結婚して子供を産んで普通に生きてみたい。
それなら付き合う」
と打ち明けたら、結婚に至った。
同級生も同級生で普通の生い立ちではない。
でも自分の事を話せない人だから、詳しくは知らないけど。
”普通”じゃない私たちの結婚は、衝突を繰り返しながらもなんとかやっている。
「そして二人は、永遠に幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」と言えたらいいんだけど。
お互いの毒親はまだ健在だし、亡くなったらどんな面倒事が降りかかってくるかわからないし、いつだって不幸は突然やってくるから今だに気が抜けない。
「もし生まれ変わっても、私に生まれたい」なんことは微塵も思わない。大丈夫です、間に合ってます。
でも、こんな私にも、眠れない夜に守ってあげたい存在ができたから、もう少し生きてみるよ。
子供たちに”普通の生活”をさせてあげられてるのか毎日不安でいっぱいだけど。
「”普通”なんてない」とか世の中言うけどさ、明日もわからない生活は普通じゃないって。
そう思うから、「明日のご飯がある」「温かいお布団で眠れる」「悲しい出来事から守りたい」って最低限の”普通”を守っていきたいよ。
世の中、見なくていい世界なんていくらでもあるからね。
私の苦悩は、きっと死ぬまで終わらない。
こうして書いてみると子供の頃から”普通”に囚われて、成長してないな~わたし。
でもいいの、もうこれが私だし。
誰かが「あいつの人生よりはまだマシか」なんて思って元気が出たら、笑ってくれたらそれでいい。
だから今日もこうして文字を打つ。
こんな経験をして良かった事なんて数えるほどしかないけど、傷ついた分だけ、人に優しくできるようになった気がするよ。
自分が誰かに寄り添ってほしかったように、今度はいつか私が誰かに寄り添える日が来ますように。