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B011_対立を読み解く ~キーワードは「主観と客観」~(2)

皆様、こんばんは。暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
身近なところでも、遠方でも、noterの方にも体調を崩してしまわれている方がいらっしゃいます。全ての方が元の体調に、一日も早く戻られることを願ってやみません。

ときどき皆様からコメントを頂けること、ここであらためて感謝申し上げます。コメントという反応を頂けることが、noteを続けるモチベーションになっているといっても過言ではないかもしれません。
言い方を変えれば、「楽しい」よりも「書かねば」が勝っている心情であるということなのですが…。書くことを楽しむには…将来への不安が少しでも和らぐほどのゆとりを持ちたいところで…
「衣食足りて礼節を知る」ならぬ、「衣食足りて執筆の喜びを知る」といったところでしょうか…。なお、かく言う私は一応、衣食は足りておりまして…その点はどうぞご心配なさらず、このまま気楽にお読みいただければ有難いです。


それでは、本題。
今回は前回の続きです。(前回を先にご覧になる方は、以下のリンクへ)


そして、今回は貴重なコメントを手掛かりに筆を走らせてみたいと思います。

10works様から頂いたコメント
「対立は生産的ではなく、建設的な議論にするにはどうすればいいか」

これについて、以下、詳説します。


「生産的ではない対立」


たしかに、対立は生産的ではない場合があります。

どのような場合か。

それは、「人と人との対立」です。

ある方が意見を述べ、別の方がその意見に反対する。
その結果、何やら不穏な空気が流れ始める。
最初の意見を述べた方が、イライラしながら自らの意見に熱を込めて言い直し、別の方への説得を試みる。
別の方はそのような態度に嫌気がさし、「このような冷静さを欠く議論は意味がない」と述べ、最初の意見を述べた方を暗に批判する。
周囲は二人の険悪な雰囲気を敏感に察知し、発言しづらくなる。
その場に沈黙がはびこり、収拾がつかず、その場を穏便にまとめるために妥協点を探し始める。その結果、導き出された結論は中途半端で面白みに欠ける。

これが、生産的ではない対立です。


「生産的な対立」


では、生産的な対立とはどんなものでしょうか。

それは、「意見と意見との対立」です。
さきほどとの違いを見てみましょう。

ある方が意見を述べ、別の方がその意見に反対する。
ここまでは同じです。ここからが違います。

二人の発言はここまでとし、その場にいる他の方々が発言する順番を認めます。

三人目の方が発言します。三人目の方の発言内容は、一人目の発言内容への賛成かもしれませんし、反対かもしれませんが、それ以外の場合もあります。

たとえば、賛成でも反対でもない、他の意見です。

もっともっと具体的に考えてみましょう。

そうですね・・・ここはnoteという場ですので、
「どうすれば、noteを使って収益を上げることができるか」について話し合う場を想定してみましょう。

1人目の方がこう言ったとします。
「noteを使って収益を上げるといっても、そんなことはできるわけがない。そもそも、本当に収益を上げている人なんているのか。」

それに対して、2人目の方がこう言います。
「やるまえからできないと決めつけるのはやめましょうよ。今日のテーマはどうやって収益を上げるかなんですから、収益を上げる方法を考えていきましょうよ。」

ここで、1人目の方が発言したら「人と人との対立」が始まります。
例えば、こんな具合に。

1人目「だって、実際、収益上げてる人いないでしょ。よく分からない、あやしい記事なんかもあるし、どこまで信用できるかも分からない世界じゃないですか。」

2人目「だから、そういうことを言う場じゃないんですよ。収益を上げる方法を話し合う場であって、収益を上げている人がいるかどうかはすでに前提として『収益を上げている人はいる』で話を進める場なんですよ。」

1人目「だ~か~ら!そもそも収益を上げてる人がいないんだったら、その方法を考えたって、意味ないでしょって言ってるの。無駄なことすることになるんじゃないかってことを私は言ってるんですよ。分かりますか?」

もういいですね(笑) 2人目の方がどんなことを言うかは、想像にかたくありません。


人間だれしも、叩かれれば叩き返したくなります。

攻撃に対する防御、それへの反撃、非難の応酬…。
場の雰囲気を重たくし、その場にいる誰もが悪いストレスに耐えることを強いられる。
このような叩き合いは、非生産的です。


では、さきほどの対話。3人目、4人目、5人目の方にも登場してもらいましょう。さて、どうなるか。

1人目の方はさきほどと同じように、こう言ったとします。
「noteを使って収益を上げるといっても、そんなことはできるわけがない。そもそも、本当に収益を上げている人なんているのか。」

それに対して、2人目の方がさきほどと同じように、こう言います。
「やるまえからできないと決めつけるのはやめましょうよ。今日のテーマはどうやって収益を上げるかなんですから、収益を上げる方法を考えていきましょうよ。」

ここまでは同じです。
さぁ、3人目の方に登場してもらいましょう!

3人目「私は、noteがどんなものかよく分からないので、なんとも言えないですが、収益化というものは何をするにしても、プロセスがあると思います。古くはアイドマの法則なんて言葉もありますし、マーケティングリサーチなのかPDCAサイクルなのかインテリジェンスなのか、いずれにしても計画的に進める必要があると思います。」

4人目「私は、収益を上げるというテーマであるとしても、その収益を上げるというプロセスには『わたしたちの存在を知ってもらう』という効果にも魅力を感じます。なので、収益を上げられたら良いのですが、それにこだわるばかりではなくて、まずはわたしたちの存在を知ってもらうツールとして位置付けるという段階を持つことが大切なんじゃないかと思います。」

5人目「皆さんの意見、それぞれが面白いなと思って聴いてました。収益化が難しいことは間違いないと思いますし、実際に収益を上げてる方も全体の極々わずかなところでいらっしゃるんだろうと思いますが、それにはしっかりとしたノウハウがあるんだろうと思います。私はまずは一足飛びに収益化ということではなくて、4人目の方の言われたように『存在を知ってもらう』ということを最初に目指すのがいいんじゃないかと思います。それこそ、アイドマの法則じゃないですけど、興味を持ってもらうことを目指すべきなんじゃないかと思います。」


さて、いかがでしょうか。

これが「意見と意見との対立」です。
これが生産的な対立です。

違いを感じとっていただけたのではないかと思います。

あっという間に2600字を越えてしまったので、
この話はまた次回へ…。

もしも、コメントを頂けたら・・・そのコメントにお答えする形で話を進めて行こうかと思います。

このような進め方をもっと前からすれば良かったかなと…反省です💦


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


続きはこちら。


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