
自己紹介(2025年1月の振り返り)
あっという間に1か月が終わった。
2025年1月もいろいろなことがあった。
こうして振り返りでもしないと、今年もあっという間に過ぎていく気がして、なので少し振り返ってみようと思う。
ただ、この振り返るというのはなかなか体力が要るし、贅沢な時間でもある。なぜなら、今ある仕事を片づけるのには直接役立たないから。
常に常に、追われるように、目の前にある仕事、今後迫りくる仕事へ事前に準備し(学校で言えば「予習」)実際に取り掛かることによってのみ「仕事をしている」ことになり、「生活の礎」を保つことに繋がるのであって、順調に過ぎて行った過去を振り返ることだけでは、とてもじゃないが、「生活の礎」を保つことはできない。生活の礎を保てない、要するに、収入にはならないということ。
だから、振り返るという行為(少し違うが、学校で言えば「復習」ということになろうか)はとても贅沢に感じる。そして、振り返ることにだって体力は使う。エネルギーを消費する。頭を使う。振り返り終わったとき、なんとなくやり切ったという達成感も味わうことだろう。それでも、目の前の仕事は1mmも進まない。それでも、1月を振り返ってみようと思う。
一般的には、同じ失敗をしないため、生活改善・業務改善のために振り返りは必要とされる。もちろん、思い出を振り返るという感傷的な意味合いもあるだろうが、私は特に何か特定の思いを持つことなく、このまま振り返ってみたいと思う。
・・・
1月は年の初め。今年は暦の関係で一般的に長いお休みとなった。かくいう私も「人と会う仕事」「人と時間を合わせて行う仕事」こそない日々が続いたが、休日だったかといえばそんなことはない。
1月31日(金)までにおよそ40ページ程度の執筆を終えなければならなかったため、頭の中は常にそれでいっぱいだった。それを進めるために準備をする。準備せずに、事にあたるのはよほどの天才の所業か無責任のすることだと思っている。
本日はすでに2月2日(日)であり、1月31日は2日前のことだが、当然ながら、その執筆は無事終えている。そして、これまではその余韻に浸ることも無かった。せっかくなので、今この瞬間に味わってみたいと思う。
・・・
試してみたが、浮かんできたのは「この執筆物は完成ではなく、このあとまた修正が入るだろうし、それに対応しなければならない。ゆくゆくはこれに合わせた動画も作成しなければならなくなるかもしれないな。」という気持ちだった。どんなに振り返ろうとしても、そのときの気持ちや困難には焦点が合わないらしい。集中して過去を振り返ろうとしなければ、すぐに未来のことを考えてしまう。私はそういう質(たち)らしい。
だから、時間があっという間に過ぎていくのだろう。過去を振り返らないのは最大のストレス対策だとも思う。未来には不安はあるが、解決しなければならない不安であり、「動け動け」とまくし立ててくる。しかし、過去はほっておいても、何も言ってこない。さぁ、振り返りを続けよう。
・・・
いろいろやっているので、何か一つに焦点を具体的に絞るというのは倫理的にも問題があるので行わないが、一つとても印象に残っている言葉がある。
それは、「当初はリモートだということで、大丈夫かな、役に立つのかなと思っていたのですが、実際してみたら、本当に利用してよかったです。」という感想を頂いたこと。
私は実際に現地にも行くし、リモートで関わらせて頂くことも多い。実際、今日現在の通算研修回数は721回だが、対面が586回でリモートが135回なのだ。リモートはコロナ禍以降の回数なので、数字は急上昇している。そして思うに、リモートでもできるということ。それは研修に限らず、会議・打合せ・相談・カウンセリングも同様にできるということ。
会議・打合せ・相談・カウンセリングの回数はこれまで残念ながらカウントしてきていないが、感覚的に研修の5倍以上はしていると思う。もっとかもしれない。それらはいずれも、言うなれば、成功していると思う。要はやりかたが重要だということ。
・・・
2025年1月は遠方で言えば、高知に1泊2日、愛知に日帰り出張をした。その他はリモートで大阪とつないだり、高知とつないだり、愛知とも頻繁につなぎ、千葉には直接行ったり、リモートでつないだりした。相変わらず、お会いする全ての方が重要で、素晴らしい方々しかいないということ。これは不思議でもなんでもない。自分がそう感じるのだから。自分の性格的なところもあると思うが、自己理解をしている結果とも言えなくもない。それにしても、本当に素敵な方しかいない。本当に1人も「嫌な人」がいない。ただ、今一生懸命探してみたところ、「仕事をしない」「役割を果たさない」人というのが浮かんでしまった。しかし、その方でさえ、人間としては愛すべき存在だ。いろいろある。その人にだっていろいろある。すべてをどうこうできるわけではないので、その人のあるがままを見守るしかないときもある。
【追記】もう一言余計なこと言うとすれば、人には「強み」も「弱み」もないということ。就職面接で「あなたの強みは?」という鉄板の質問があるが、あの質問はどう答えたってNGだと説明することだってできる。たとえば、私は「忍耐力があります」と言えば、私は「つらくても我慢できます」と解釈できる一方、「言わなければならないことがあっても、ぐっと耐えることができます。たとえ、相手が違法なことをしていても私は指摘せず我慢できます。」と解釈されてしまう可能性もある。要は、世の中に強みや弱みと言われるものは、ありかたの1側面に独自の解釈をほどこしているだけであって、その場にあるのは強みでも弱みでもなく、特徴でしかないということ。そう思えるようになると大変に楽だ。そう思えるようになるには、性格もあろうが、必要な知識や技術もあろうかと思う。
・・・
そろそろ耐え切れなくなってきた。やはり未来を見たい。2月はまず大阪と愛知に行く。本当に楽しみだ。仕事で伺うのだが、楽しみでしかない。そのために役割を果たす(仕事をしっかりとする)のは当然で、楽しむためにも役割を徹底的に、期待以上の水準でこなす。期待以上の水準でこなし続ける、これまで大事にしてきたことだ。
その他、2月もいろいろとあるが詳細は書かず、頭の中で巡り巡らせておこうと思う。
今回のnoteは振り返ることをメインにしてみました。何か、皆様にとって印象に残る記述がこの中に含まれていたら、ありがたいです。
タイトルも決めずに書きましたが、書いていくうちに「自己紹介」になるなと思い、2025年1月の自己紹介としました。また、しようと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。