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のりかな毎日エッセイ241219:DENKO IS WATCHING YOU!電気を大切にね!

2024年12月19日、23時31分。
さて。部屋がまだ少し寒い。
「六半うずくまる、かなり寒い…。うずくまる…?」
え~…。古畑任三郎でした…。
古畑任三郎 オープニングテーマ(高音質)

基本音楽はアニメのサントラしか持ってない僕だけど、古畑のサントラだけは持ってたりする。あと平成版「白い巨塔」のサントラも。
それはともかく、今日はまた一段と冷える…。
バイトから帰って即暖房を入れて、ミルクティーにドーナツ、スナックを
つまみながら休憩タイム。30分しても部屋が暖まらないけど、
デジタル時計の室温表示は今、20℃。
生命に支障はないレベル。
そういえば今年の冬も、節電指示が出てたんだった。

r6fy_touki_shouene.pdf
数回前のエッセイでも書いたけど。
「冬季の省エネルギーの取組について」

シャワーにまで口出ししてきやがる。うっせぇわ。

「適切な室温管理」ねえ。
室温が20℃は不適切だよね。エアコンの設定温度もう2℃上げよう。

https://x.com/OfficialTEPCO/status/1602105957684695040

…ヒーターの出力も上げよう。

東京電力♪

圧が…!でんこ嬢がこっちを視ている…!
2021 年 10 月 22 日に閣議決定された「第6次エネルギー基本計画」では、「2050 年カーボンニュートラル、また、野心的な 2030 年度の温室効果ガス排出削減目標の実現に向けては、徹底した省エネルギーを進める」、「産業部門、業務部門、家庭部門、運輸部門において、技術的にも可能で現実的な省エネルギー対策として考えられ得る限りのものをそれぞれ積み上げ、最終エネルギー消費で 6,200 万 kl 程度の省エネルギーを実現することによって、2030 年度のエネルギー需要は 280 百万 kl 程度を見込む。」とされ
た。また、2024 年6月の G7 首脳会合では、省エネが「第一の燃料」として位置付けられ、「クリーン・エネルギー移行に不可欠な要素」とされた。さらに、COP28 で初めて行われたグローバル・ストックテイクでは、その成果として採択された決定文書に、2030 年までに再生可能エネルギー発電容量を世界全体で3倍、エネルギー効率改善率を世界平均で2倍にすることが盛り込まれ、国際的にも省エネルギーの推進が重要視されている。
これを実現・達成するためには、国民一人ひとりの理解と行動変容を促進するとともに、産業界や政府、国民が一丸となって徹底した省エネルギーの取組を推進する必要がある。

DENKO IS WATCHING YOU

こっち見んな。

総力戦体制ごっこはここまでにして。
本題に入ろう。今22.5℃。
といってもあと5分しかないけど。
昨日は確か、おととい、ふと異世界転生について思いついたことを書いたんだけど、それについて疑問というか自己批判が生じたんだった。
一つは、エッセイで「悪口」はご法度だろ⁉という批判。
エッセイに限らず、今の世の中で「悪口」「愚痴」「自慢」は嫌悪されるそうな。とはいえ…。悪口を言えない世界はディストピアになる。
しかし悪口が人を傷つけるのも事実。だから極力、悪口の範囲を狭め、精度を高くする努力は必要だと思う。相手を侮って、相手の悪いところだけじゃなく相手自身を非難するのは精度の甘い「悪い悪口」。
「良い悪口」は幹部だけを狙い撃つ。みたいなことを書いたんだった。
医者がメスで人の体を傷つけることが許されているのは、悪い部分を除去するため。良い部分まで適当にザクザク切り始めたら傷害罪で捕まるだろうし。医師免許も剥奪される。
今の世の中は、「悪口は暴力だ」と言って、医術まで否定しているのに近いと思う。だからと言って、病気になった人を、「病気になったお前が悪い!」と幹部を狙いすます努力もせず本人ごと殺してしまう人も、SNSとかにたくさんいる。過激で爽快な発言がウケるのだろう。「○○支持者はみんな死ね!」とかね。「○○を観てる奴は皆バカ!」とか。
医者の例えが出たので、医師免許のように悪口も免許制にすべきか、という問いも出るかもしれない。それこそディストピアだと僕は思うけど。
医学と違って、何が悪い部分なのかは個々人の善悪観で違ってくると思うし。免許を与える一部の人が、善悪を判定するというのは、怖い。
でも今みたいに、「悪口を否定する風潮と過激な罵倒がウケる状態」が進展すると、だれかに規制してもらいたい、という声も高まるかも…。
僕としては、個々人が適度に悪口を言いあってるのがいいと思うけど。
適度にってなんだよ。曖昧だなあ。
でも、悪口を言わないのもずるいし、思いつくままに精度の甘い悪口を言いまくるのも配慮に欠ける。責任感が大事と思うけど。
悪口を言う目的は、相手の悪いと思う部分を修正することだし。
反撃を恐れて悪を放置するのも無責任。悪い部分以外も傷つけてしまうのも無責任。
「でも、私が不快に思っていることは、相手じゃなくて私自身に問題があるのかも…。悪いのは私の方かもしれないし…」
でもそれも、言ってみないと分からないからね。
相手から言い返されて、逆に自分の悪いところが分かるかも。
それが嫌なのかな?
自分が相手に変えられてしまうことが?
自分が逆に指摘されて、生き方を修正しないといけなくなったり。
それが嫌だから、お互い干渉しないようにしましょう、というのが今の社会の風潮、なのかな?

「お互いがお互いを見ないようにしましょう、うっかり相手の悪い部分を見てしまっても、見なかったフリでお互い干渉しないようにしましょう。
悪い部分は見間違いかもしれないし、「悪い」と思ったのは私の勘違いかもしれないし。」
この暗黙の空気を無視して指摘してくる奴、見なかったフリせず悪口を言ってくる奴は、ルール違反なので嫌われる。
…ってコト⁉

うーん…。
「あの人のあの行動は私には不快に感じられるし、直してもらいたいと思うけど、それは私の善悪観が狂っているせいでそう誤解しているのかもしれないし…」
というのは分かるけど。でもそれで…
自分の善悪観が狂ってるかもしれない状態を放置して生きていくの?
或いは、
あの人の行動に周囲を不快にさせる悪い部分があるかもしれない状態を放置し続けるの?
「自分のセンサー」か「あの人の行動」か、どちらかが迷惑をかけている。
それを「放置せよ、ほっといて!」というのが、「悪口を言うな」というルールの正体ということ?
そのルール、やばくない?
…といったところで今日はもう終わろう。長くなる前に。

異世界転生について思いついたことを書いたときに、2つの自己ツッコミが働いた、という話を今、している。
ツッコミの一つは、エッセイで「悪口」はご法度だろ⁉という自己批判。
いや悪口ではないんだけど…。
悪口ととられるリスクは避けろ、という内なる声が聞こえてきた。
でも逆に、なんでそんな規制が内面化されてるんだろう、と僕自身に内面化された時代の空気を掘り下げてきたのが今日。
もう一つの自己批判は、異世界転生漫画とかアニメとかろくに観ない門外漢が思いつきを書くな、という声だった。ましてや悪口を書くなんて。
「観てない奴が文句を言うな!」という批判の声が聞こえた。
いや別に誰かにそう言われたわけじゃないんだけど…。
「当事者でもない奴が首を突っ込むな問題」。
そして多分、観たら観たで、「褒める」以外は許されない。
「文句言うなら観るな!嫌なら観るな!」
これってどうなんだろうね。この言葉も自分の中のトゲになっていて、
文章を制限している気がする。このトゲも引っこ抜きたいけど。
それはまた、明日以降、考えよう。今23℃。
設定29℃だとこれ以上、上がらないか。
でも内面化されたデンコ嬢の目が…

DENKO IS WATCHING YOU

…では、また明日♪

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