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のりかな毎日エッセイ241107:「ジョーカー現象すなわち流行り病」というタイトルについて(ジョーカー批評①)

2024年11月7日、23時21分。
さて、昨日はジョーカーの話をしようと思っていたけど、
たまたまツイッターの記事を見てその内容について話してしまった
わけで。
バイトの休憩中に、テレビでアメリカ大統領選のニュースがやっていて、
接戦州がどうなるかとか、まだ結果は分かりません、とか言っていたのに、
バイト終わりにスマホを見たら結果が出たという投稿で、もう⁉早くね?
と少し驚いた。トランプ氏の圧勝だそうな。
しかし普段意識してニュースを見る習慣のない僕でも、こうしてニュースに触れてしまうわけで、そこで感じたこと、考えたことをアウトプットする場所が無かったので以前はモヤモヤしていたのだけど。
今は昨日みたいに書き散らすことができるので、インターネットってすごいね、便利だね、と思いました(小並感)。
小学生並みの感想は置いといて、本編に入ろう。
ジョーカー2観てきた感想の話。

というか、意識してニュースを観るようにすると、書くことが多すぎて今より大変になるんじゃないか、という気もするけど。
じゃなくてジョーカーの話。ジョーカー2じゃなくて、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」というんだね。
「フォリ・ア・ドゥ」はフランス語で「二人狂い」の意味で、妄想が感染して広がる精神病のこと、だそうな。ふーん。
なんかこの説明しぐさがオタクというかサブカルっぽい?インテリしぐさというか。
単なるしぐさでないとすると、この用語がちょうどぴったりだったのかな?この用語以外に上手く表せなかった、ということなのかも。
ジョーカーという妄想の広がりを、「病」だと言いたいのかな?
「ジョーカー」という単語と「フォリ・ア・ドゥ」という単語を「:」でつないでいるけど、「:」はコロンで、コロンは言い換えの意味。とするとタイトルの意味は、「ジョーカーすなわち二人狂い病」ということになるね。

医学用語を使うあたり、ジョーカーという病気の蔓延と、その治療のための話だと、伝えたいのかもしれない。ジョーカーは病気であり、それは治療されなければならない。このタイトルで監督が伝えたい意図はこんな感じかな、と僕は思う。
なのでこの先、ジョーカー病の最初の罹患者である主人公アーサーと、テレビを通じて感染した群衆、ジョーカー推しのヒロイン・リーは治療が必要な病人、と考えることにしよう。

さて、「ジョーカー」というとバットマンに出てくる悪役の名前だそうな。
バットマンという漫画は読んだことないし、「ダークナイト」も観たことないのだけど、悪の親玉でサイコパスの知能犯、というのが共通理解らしい。
デスノートの夜神ライトや、「コードギアス 反逆のルルーシュ」の主人公ルルーシュのような巧緻なテロリストのイメージだ。
そういえば、この3つには共通点がある。続編が酷評されるという点だ。
デスノートの第2部、ライトがLの後継者にぶざまに負ける展開はファンを激怒させ、ギアスもいまだに、「一期はいいけど2期はね…」と言われている気がする。僕的にはそんなことないんだけど。
ジョーカーの2作目である本作も、酷評されているといううわさを聞く。
「ジョーカー」で検索すると例えば、こんな記事が出てきた。↓

大コケ映画「ジョーカー2」を責めてはいけない訳 今年最大の注目作があえてセオリー無視で挑んだこと | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

この記事によると本作は、
「北米公開2日前にロサンゼルスで2回のマスコミ試写があり、大勢の批評家の記事が翌日一斉に出たことで、一気に悪評が広まった」
のだという。
「シネマスコア社の調査による観客評価もアメコミ映画で過去最悪の「D」。ネガティブな口コミが広がって、日曜にかけて数字が下がり、予想よりさらに低い成績に終わる。このことは業界で大きなニュースになったが、公開2週目に興行収入8割ダウンというDCキャラクター映画で過去最大の落ち込みを記録し、またもやネタを提供した。」
この記事は、これらの「失敗」を前提として、なぜみんながこの失敗についてこんなに騒いでるのだろう、という疑問の考察を展開している。
すでに失敗は共通認識になっているらしい。
たぶんジョーカーも、「一期はいいけど二期はね…」とファンの間で言われるコンテンツになるのだろう。

僕も映画を見に行く前に、いくつかの感想動画を見ていた。大体、「ネットや本場アメリカでは酷評されてるけどオレは良かったよ」という結論だった。「大衆には理解できないけど分かる奴には分かる映画」ということだ。
インテリやオタク、アーティスト向けの非娯楽的な作品、ということなら、僕みたいな非リアには楽しめる作品だろう、という気はしていた。それでたまたま、以前書いたように、映画を観る時間が取れたので観に行ったのだ。
で、良かった。
予想通り良かった。
でも、と思う。
それが何だというのだ。
僕みたいな非リア、自称インテリ気取りが気に入る作品を作っても、少数派だから映画がヒットしないのは当たり前ではないか?
僕はゴジラマイナスワンよりシンゴジラの方が好きだけど、前者の方が大衆向けで、アメリカ人でも楽しめる娯楽作品だというのは分かるので、前者の方がヒットしたのは当然だ、と思う。数が違うのだから。
本当にそうか?
映画は今や2000円もするのだから、強い思い入れや期待を持っているお客さん、映画を観慣れている人しか見に来てくれない、という可能性もある。
大衆向けの娯楽作品を作っても、「映画館に来る大衆」がそもそも少ないのでは?むしろコンテンツを愉しむのに慣れているオタクとか原作ファン向けのマニアックな作品の方が経済的に当たる、という考え方もありうるのではないか?
その意味で言うと、この映画は①前作「ジョーカー」のフォロワーや、②バットマンシリーズのオタク、③ジョーカーというキャラのファン、④自称映画玄人向けに作った作品なのかもしれない。
僕は前作の続編を観に行ったのだから①に当たる。②③向けの映画だったか?と言うと疑問は残る。僕はバットマンシリーズに詳しくないので、この小物は原作のメーカーと同じだ、みたいなファン心をくすぐる仕掛けがあったのかも知れない。無かったのかもしれない。
そういえば街頭テレビのメーカーが全部ソニーだったのには笑った。
あと凱旋したアーサーを刑務所内の囚人たちが迎えるシーンで、歓呼する黒人の囚人を見て、ああキング牧師とかの時代なんだな、と思って目頭が熱くなった。アーサーと黒人を重ねているんだ。
話を戻すけど、②③向けの映画かというと、そもそも本作のタイトルは、「ジョーカーすなわち二人狂い病」である。前作から続く、ジョーカーというキャラに対する新解釈だ。とはいえ、「悪のカリスマ」だと思っているファンに、いやあいつ病人だから、と言っているわけだから、不快に思う人もいるだろう。「ハリウッドの監督だか何だかしらないけど、俺にとってジョーカーと言えば悪のカリスマ、天才なんだ、ダークナイトのジョーカーこそ正解さ。あんたの解釈は正しいのだとしても好きじゃないね」と言われればおしまいだ。
そもそも、「ジョーカーすなわち二人狂い病」である場合、…
あ、ここから先はネタバレNGの人は読まないで欲しいんだけど…。

ネタバレゾーン開始
「ジョーカーすなわち二人狂い病」である場合、アーサーことジョーカーがあの、バットマンと対決するジョーカーになるはずだ。「バットマンと戦うジョーカー」の起源に関する新解釈であり、だからバットマンファンは映画を観る。
ところがジョーカーことアーサーは、「フォリ・ア・ドゥ」のラストで殺されてしまうのだ。アーサーを殺した男は、恐らくサイコパスで、こいつが恐らく「バットマンと戦うジョーカー」になっていくのだろう。
じゃあアーサーって誰やねん。
2時間×2回えんえんと主役を張ってきたアーサーことジョーカーは、バットマンと後に戦うことになるジョーカー、ではなかったらしい。
僕はこれを見て唸ってしまった。うまいな、と思った。
この2作は、「のちにバットマンと戦うことになるジョーカーの始まりの話」ではなかった。そうではなく、
「なぜゴッサムシティの人間は狂人ジョーカーを推しているのか?なぜ彼らはジョーカーを信奉する病、「二人狂い病」に罹患してしまったのか」を描いた映画だったのだー!だー!だー!・・・
つまりこの映画は、「なぜ現代人は皆、ジョーカーのような男を推す狂病にかかってしまっているのか」という主題を持つ映画とだ、と僕は思った。
アーサーというみじめな男の破滅の過程を通じて、ゴッサムシティにジョーカーというミームが出来上がり、そのミームを演じきれる男が喝采を集めることになった。アーサーはジョーカーというミーム、流行り病が誕生するのに利用されただけの男だ。彼が死んでも、ミームは残る。
この映画は最初から、アーサーの話ではなく、バットマンと戦うジョーカーの前日譚でもなく、ジョーカーを支持する大衆の病の話だったんだね。
「ジョーカーはいかにして誕生したか」ではなく、「サイコパスのジョーカーを応援するゴッサムシティの空気感はいかにして醸成されたのか」という方に監督の興味はあったわけだね。ガッテン!

ネタバレゾーン終わり

これで、タイトルが「フォリ・ア・ドゥ」でなければならない理由も分かった。とはいえ、僕はまだ映画の中の話をほとんどしていない。なのでネタバレゾーンは今日は短くて済んだ。今日はここまでにして、明日は映画の中の話をしようと思う。フォリ・ア・ドゥの理由は分かったけど、キーボードで打ち込むのが大変なのでジョーカー2で代用するね。ドゥが特に面倒…。
それにしても、ジョーカー2を見て酷評してる人は別にいいけど、ツイッターとかで話題にしている人は皆映画を観ているのだろうか、と疑ってしまう。「ジョーカー2酷評でした」という記事を見て、それを前提に話に乗っかってるだけなのでは?
映画を観てなくても、宣伝動画とか感想動画とかネットの反応とか批評家の記事だけ観れば感想書けるものね。「ジョーカー2が酷評という話題ですが、それはいったい何でなのか、それはアメリカの分断と関係あるのだろうか…云々」みたいに。「映画観た人のツイート」と、「映画酷評という話題を見た人の反応ツイート」はどっちが多いのかな?後者の方が影響力大だったら笑えるね。
「「映画観た人の感想」の感想」なんか書くなよ!なんてね♪
せめて映画観てから感想書こうよ。そう思わない?
にしても予想以上に、大統領選挙の話とジョーカー2の話ってリンクしてるな…。
ではまた明日♪


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