ハンコが押せなくて
なかなか昔から、ハンコを上手く押せない。
事故後の処理書類に多くの箇所にハンコを押さなければならない。
2勝4敗といったところか・・・・・
どうしよう、怒られそう。
ここ数年の
ハンコを失くそう的な政府の運動に関して、
ハンコをうまく打てない自分は、その議題にさえ参加できない分際で。
ハンコを押すには絶対コツがあるはずで
ネットで調べてみたら
やっぱりあって、
捺印マットも大事で
力の入れ加減も大事で
「の」の字を書くように押せばいいようで、
丁寧に調べればこんなに教えてくれる。
インターネットってやつは
字や絵の描き方、
野菜の育て方、
ミシンの使い方、
なんでも教えてくれる。
教えてほしいことが
今になってたくさんある。
しかし若いころにはあまり学習心がないというか、
それほど学ぶことに
欲していない自分に対して、
知識の神様は
その居場所を教えてくれないし、
でも、急に顔を出してきて、
すんなり自分の中に入り込む。
ただ、自分の中に入り込んだ知識を
吐き出すときに、
その知識を使い切れていない自分に気づく。
もったいないなあ。
知識も道具で、
道具は使いかたによって
その効果が分かれる。
人生を大きく切り開くために、
その知識があるのならば、
広がっていく人生の質が、
より良いものであればいいが、
思い通りに行かないのが人生で
しかしその知識という道具ですんなりいったり
リカバリーできたり
知らないだけで損したり、
知っていたから得したり、
面白いもんで、
あとから考えると、
失敗したことから得る知識はたくさん蓄積されていて
それを道具にすりゃいいじゃんって気づくと
もう遅すぎて
でもなんだかんだで
気づけば
目の前には幸せが座っていて、
無意識に目の前の選択肢を上手く選んでいて、
それはおそらく過去の経験、知識からはじき出した答えのすべてで。
目の前の愛の塊は
結局自分の経験からえた知識の結果なわけで。
これからもこの塊と生きてくんだろうだけど
これはインターネットは
教えてくれなかった。
大事な答えは本当に
自分の中にしかないんだってことなんだな。
そういえば婚姻届けのハンコを
上手く押せたんだよなあ。
そういうことなんだな。