しゃもじ
しゃもじがないとご飯がよそえない。
釜からお米をよそう方法としては
スプーンでも可能かもしれないが、
一食分の
茶碗一杯分に対して
お米の量を調節するには
しゃもじほどの大きさがちょうどいいと感じる。
そして先日
わが国の代表が
戦火に包まれている国の代表に対して
このしゃもじに渡して少し前に
話題に上がっていた。
しゃもじにお土産感覚な部分を感じてしまうのも
わかる。
広島の宮島のお土産店の多くにしゃもじが並んでいる。
おみやげなのかなあ
自分は広島出身である。
しゃもじが小さいころから身近にあったというか、
小学校から高校までの運動会では必ず
しゃもじを応援道具に使っていた。
両手にひとつづつ持って
ペチペチ叩いて、音出して自分の組を応援していた。
なので応援としては間違っていない道具である。
実際自分たちには応援しかできない。
ただ、このしゃもじをお土産と認識してしまうのも
広島県民でなければ、そうなのかもなあ
なぜそれが
なんの意味を持っているんだろか
とか考えなければわからないものは
表にでてはいけないのかな。
こんなにいろんな思想を感じれる社会になってきているのに
なんでその人の行動の意味合いを考えず、
自分の考えが正しいと突っ走り
相手を攻撃してしまうのだろう。
くりかえすようなあ。
かわらない世の中を
上手く受けながしながら生きていこう。