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フィジー1人旅3日目〜縁側のような場所 in Fiji〜

昨日の夜は、起こりうる危険性に恐怖を覚え、早く眠りたくなった。

10時間以上眠ったのだろうか。

また今朝は5:00前に起きた。

ゲストハウスのスタッフと話す。

彼には「私はフィジーの家庭の様子を見たいんだ。一緒に食事を囲みたいんだ。」と話の中で昨日に引き続き伝えた。

だからだろうか。

彼とはfacebookを交換していたので、今日のお昼頃、彼から連絡が来た。

👨🏽‍🦱「近くの街にいるいとこの家にkavaを飲みに行くけど、一緒に行く?」

👩🏻「今日?もし良いなら行きたい!」

ゲストハウススタッフの彼はいとこから電話で呼ばれたらしい。一緒にkavaを飲もうよ、と。

私は即答し、すぐにタクシーに乗り、一緒に街へ出た。

途中で車をわざわざ止め
買ってきてくれたポテチ。
うまい。

ついた家は大きくて風通しが良さそうで、開放感のある平屋だった。

たくさんの子どもがいた。

祖父母とその子ども達の両親がいた。

その他親戚の人もちらほらいた。

子ども達はすごく人懐っこかった。

常に色んな人が出入りしていた。

そして一緒にkavaを囲んだ。

私がフィジーへ来た理由、それは去年の夏にフィジーについての新聞記事を読んで、その文化に強く惹かれたから、フィジーの人の考え方をもっと深く知りたいと思ったから、といったことを話した。

魚のトマト煮を出してくれたり、オレンジジュースを男の子が持ってきてくれたり、といったおもてなしを受けた。

スタッフの彼👨🏽‍🦱と彼のいとこはギターを弾いてくれた。

彼らがギターの音を合わせる仕草は、私の父がギターを弾く姿を思い出させた。

一緒に歌を歌った。

私は父の作った歌を歌った。

私の両膝に乗っかってきてくれた。
さすがに重かった。
けど可愛い。

kavaを囲むという文化。

日本では何にあたるのだろうか。

晩酌だろうか。

コーヒータイムだろうか。

鍋を囲む時間だろうか。

フィジーの家庭では、人を招いて一緒にkavaを飲めるように、常に準備してある。

kavaを作るためのボウル(タノアと呼ぶらしい。)も家族用の小さめサイズと、人が集まる時用の大きめサイズがある。

👨🏽‍🦱「今日は何時までここにいる?
あなた次第だ。ここはフィジータイムだから何時でも大丈夫!笑」

👩🏻「じゃあ2時間くらい居ようかな!」

フィジータイム、寛容でおおらかな雰囲気を感じさせる良い概念だと思った。


結局2時間とは言わず、4時間くらいお邪魔していたのだと思う。

kava timeがひと段落したも、家の中でみんなでラグビーの試合をテレビで観戦した。

kava timeは家の中でも続く。

家族やその場にいるみんなで1つのことをする、ゆったりとした時間。

そういった時間がきっと日常的に存在しているのだと思わせる雰囲気だった。

帰り際、少しシャイに見える女の子が紅茶をいれてくれた。

ミルクと砂糖もいれて丁寧につくってくれた。

すごくすごくおいしかった。

スキムミルクで作ってくれたミルクティーがこんなにおいしいとは思っていなかった。


今日はフィジーの文化を心から素敵だと思えた日だった。

人の温かさ、優しさをたくさん受けた日だった。

感謝の気持ちでいっぱいになった日だった。

どんな人も受け入れてくれる風通しの良い空間について、新たな視点をもらえた日だった。

こんな人になりたい。


p.s.

👩🏻「来週あたり、お礼に日本料理を作りに来たいんだけど、いい?」

そこの家にはきちんとしたキッチンがあり、主食で米を食べていて、家族もベジタリアンではないと教えてもらったから、聞いてみた。

親子丼を作りにこれるのではないか。そう思って。

少しびっくりしつつも、
「いいよ!フィジータイムだからいつでもいいよ。」
と言ってくれた。

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