日記
今日はアルバイトに行った。
休憩時間、丘の上の畳二畳くらいのベンチの上で恐るべき子供達を読んだ。あんまり内容が入ってこなくて、読み返したりして本を閉じて寝転がり目を閉じた。自分はどこに居るのだろうか。浜辺の丘の上。でも全然そんな風には感じない。家な訳ないのに、家と違う感じがしない。
どこまで行ってもこうなんだ。外に出ても本当はどこにも出ていない。僕は地中に埋められていて、そこで見ている夢だから陽射しも風も全てが偽物なのか。
僕の中の生きている感覚はOFFになっている。肉体に意識があって、それで人は生きていけるのだろうが。
もしも目が見えなくても耳が聞こえなくても、それさえあればきっと全部分かるのだろう。今の僕から感覚を奪ったら本当に何もかも分からなくなるのだろう。
窓の無い部屋の閉塞感には耐えられない。僕自身が窓の無い部屋なのに、いや、だからこそ本当に光が無くて空気が薄くて辛いのだろう。人は普通、自分の内では外に出ているものなのだろう。
20時、バイトがもうそろそろ終わる時間になり、〆作業をしていると、そわそわした気持ち、エモい?なんだかションベンをちびることも可能だった。
20:30~自転車で帰る。自転車は怖いなあと思う。追突すれば人を殺してしまいかねないし、自分だって死にかねない。なのに今まで乗ってきた。歳を追うごとに怖くなっていく。行き交う車を見て、奇跡という気もする。しかし、自転車は歩行者と近くて、ルールもなんだか淡いで。
21時帰り道、家の近くで歩いている父に出会う。僕の名前を呼ぶ。僕のことを本当に認識して呼んでくれる。温かい気持ちになる。こんな風に呼んでくれる人が、人生に何人居るのだろうか。
「ションベンしようとしたらトイレ入ってんの」
姉がトイレに入っていて、父は仕方なく近所の公園のトイレまで行ったらしい。父と帰って、姉は笑っていて、母は姉を庇ってああだこうだ言っていた。
家族が温かくて、僕はこの前まで働いていなくて、どうして家族を困らせていたんだろうと思った。今の僕はこれでいいのだろうけれど、でもずっとこれでいいのだろうか。正社員とかになって、もっとしっかりお金を貰えたならばそうは思わないのだろうか。何かの職業に惹かれてやっている人に口惜しさを感じる気もする。僕はこれからさらにこんなようなことで苦しい気持ちになるような気がする。でも今は、少なくとも三ヶ月くらいはこれでいいのだろう。