油性ペン

比喩としてはいささか解れがあるが、しかし今のところ他に思いつかないし、まあ比喩って煎じ詰めればそうなるし、とりあえずホワイトボードで行こうと思う。でも急にホワイトボードを用意したから水性ペンがない。油性ペンしかない。皆もきっと油性ペンしかないんじゃないかな。別にそれで構わないと言うかもしれないけど、今回の想定では一人一枚マイホワイトボードを持っていることになるので、どうか一緒に困ってほしい。マイホワイトボードとは言えど、他人のホワイトボードに書き込むのも自由に可能であって、唯一変な設定と言えば、マイボードは自分にしか見ることができないということになっている。ホワイトボードの名前を思考として、以下思ったことを書く。

・他者と過ごすというのはこういった設定の中で、相手のボードに書き込んだり、自分のボードに書き込まれたり、そういうことなんじゃないかと思う。
・それは人と居る以上はおおよそ不可避的な現象になると思う。 
・個人の集まりとして集団を捉えられるのは肉体ベースの話であって、精神的には入り組み合っている。
・卵とご飯と卵かけご飯。
・変な記述も消すことはできないため、書き込むことで訂正していくしかない。訂正しなきゃそういうものとして残るのではないか。自分で書き込まなければボードにまとまりが生まれない。

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