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ノスタルジアと蒐集の情熱ー四方田犬彦「女王の肖像 切手蒐集の秘かな愉しみ」ー

 小学校一年生のとき祖父は切手を集めるように言った。祖父は自分のコレクションから選んだ切手を貼ったノートを手渡した。その中の一枚は洛陽の白塔を描いた地味なデザインで満州の文字が書かれていた。その切手は、ガイドブックにも掲載されておらず、何年もの間なぞの切手だった。
 十二歳のとき、日本郵趣協会の会員になり、外国の色彩豊かな切手を通信販売で購入できるようになった。これからどれだけ買い集めようか思ったが蜜月の日々は長くは続かない。切手蒐集ブームの盛衰も影響したのだろうが、電気工作や読書やその他友達とのつきあいの遊びの方が忙しくなって切手蒐集のことはすっかり忘れてしまった。

 四方田犬彦氏の評論のテーマは多岐に渡っているが、切手蒐集について語ったエッセイは、フィラテリストの矜持と情熱がそこまではたどり着かなかった読者にもノスタルジアとともに伝わってくる一冊である。

わたしがこれから書こうとしているのは、ノスタルジアと蒐集の情熱という、人間のもっとも根源にある感情のことである。人はなぜ喪われたものを心奪われるのかと問うことは、人はなぜものを集めようとするのかと問うことと同義ではある。かつて世界が無邪気で幸福感に満ちていたときがあった。だがそれは遠い昔のこととなり、今では無慈悲と強いられた労働だけが、なかば発墟と化した世界を支配している。そのとき喪失された時間を蘇らせるためには、かつて存在していた幸福の破片を一つひとつ拾い上げ、それを根気強く組み立てしていくしかない。蒐集という行為は、世界の全体性が崩れ落ち、すべての事物が繋がりを見失って散乱しているという意識をもって、初めて自覚的になされるものなのだ。

四方田犬彦「女王の肖像 切手蒐集の秘かな愉しみ」

 生家に帰省して書棚の中にストックブックを見つけると、切手という破片を蒐集して世界を作り上げようとしていた歓びを思い出すとともに、蒐集途上のストックブックが砂漠に埋もれた幻の王国のようにも見えてきて、頁を閉じるほかの術はない。

 数十年の間に記憶に残った(あるいは忘れかけた)本のことを、せっせとNoteにかき集めているのも切手蒐集と大きく変わるところはないのかもしれない。
 
 四方田氏のエッセイはクロス貼りのストックブックに似せた装丁が嬉しい。加藤郁美氏の「切手帖とピンセット」(国書刊行会)もおすすめである。

出典:前掲書

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