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京住日誌 4日目
【What day is today?】)
本日も5時過ぎに起床。生活のリズムはできつつある。
日課となっているデジタル版新聞3誌を斜め読みし(突然口座に4650万入金されていたら使っちゃうよね。今ならAmazonで電子書籍を右から左までだな)シャワーを浴び、簡単な朝食を作る。朝食後は地下にあるランドリーで洗濯。偉いぞ、俺(当たり前?)
今日も右京中央図書館に向けてレッツひろみいや、レッツゴー。天気が良いので、自転車で。9時30分の開館と同時に入館。レファレンスに席を取る。京都市民でも府民でもないので、貸し出しはできないけれど、こうして利用させてもらえるだけでもありがたい。日本ってやっぱりいい国ですな。結局夕方まで調べ物。京都の図書館なので、京都関連本が硬軟取り混ぜて充実している。ただし、資料が充実していることと、調べが進むことには必ずしも相関関係はない。とにかく応仁の乱を巡る争いは人間関係その他が錯綜しているのがその特徴だ。
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例えば応仁の乱は一般に「上御霊の合戦」で戦端が開かれたと考えられている。この合戦は「畠山義就VS畠山政長」であるが、要するに畠山家の家督争いである。もちろん突然家督争いが起こった訳ではなく、ここまでの経緯がある。義就の父、畠山持国は家督を継ぐ男子がいなかったので、一旦家督を弟の持富(異母兄弟)を養子にした上で家督を譲ると宣言した。しかしながらその後持国は僧籍に入る予定だった側室の男子(義就)を足利義政の裁可を受けた上で庶子としたのだ。つまり持国は宣言を撤回し、義就に家督を譲るべく準備を始める。逆に約束された家督を奪われた形となった弟の畠山持冨はなぜか異議を唱えず、死んでいった。こういう場合往々にしてあることだろうが、本人よりも支持者の方が怒り立つことがある。畠山家の家督を継げば莫大な権力と財を手にするのだから、その家臣団も簡単には引き下がれない。そしてそれは他の権力者も無関係ではなく、応仁の乱の乱の場合で言えば、足利将軍家、管領細川家、有力守護大名であった山名家の思惑が入り乱れた。結果として単なる畠山家の家督争いに留まらず、時代を揺るがす権力闘争へ発展していったというのが今のところの僕の見立てだ。
【special mention of today】
柏の怪人大ちゃんに教えてもらったレシピでタマネギスープ。
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水が多くて味の深みがイマイチだけど、醤油とバターを足したらグッと良くなった。明日はもっと美味しくなっているだろう。