![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173570512/rectangle_large_type_2_9348eca563da195b9da254563a58586c.png?width=1200)
昇進伝達式と口上と四文字熟語
大相撲では大関(特例復帰時は除く)または横綱が誕生した場合、決定の当日に当該力士のもとへ使者(理事と審判委員の2名)が派遣され昇進伝達式が行われますがその際に当該力士が口上(大関もしくは横綱としての決意表明のコメント)を述べるのが通例になっています。
昇進伝達式のはじまりは明治36年に常陸山谷右エ門が横綱免許を打診された際「できれば二代目梅ヶ谷藤太郎と一緒にお願いしたい」と答えたと言われており、これが現在のような伝達式のはじまりとされています。
昇進伝達式は大関と横綱に昇進した際に行われるため最高位が大関以上の力士は1回(最高位が大関の場合)または2回(最高位が横綱の場合)昇進伝達式を経験します。しかし一部例外もあります。
元大関魁傑が大関昇進後怪我の影響もあって一度大関から陥落し特例復帰も叶いませんでしたが、その後平幕優勝を果たすなど好成績を納めていき大関に再昇進したためもう一度昇進伝達式が行われました。その為魁傑は最高位が大関ながら2回昇進伝達式を行ったという例がありました。
また先月現役を引退した元横綱照ノ富士も魁傑と同じ特例復帰にあやからず大関に再昇進しましたがその後2場所で大関を通過し横綱に昇進したため史上初となる昇進伝達式を3回経験した力士となりました。
※元横綱三重ノ海も一度大関陥落後に大関復帰を果たし横綱に昇進しましたが特例復帰だった為昇進伝達式は行われませんでした。
なお魁傑も照ノ富士も大関に再昇進した際の伝達式での口上は2度目ということもあり「謹んでお受けいたします。」とだけ述べました。
※魁傑は当時「一度大関の名を汚しちゃったのでなんとい言えばいいのかな」と言っていたそうです。照ノ富士は会見で「前回と気持ちは変わらない。やるからには上を目指したいので。もちろん自分の考えもありましたし、親方と女将さんと相談して決めました。」と述べていました。
現在では口上に四文字熟語が使われる事が多いですが、若貴ブーム全盛の頃に旧二子山部屋所属の貴乃花(当時は貴ノ花)が不撓不屈、若乃花(当時は若ノ花)が一意専心、さらには貴ノ浪が勇往邁進とこれまでよく使用されていた一生懸命以外の四文字熟語を使用したことで徐々に定着していきました。
とはいえ昇進伝達式で口上を述べなくてはいけないという義務は全くありません。四文字熟語を使用する例は確かに増えましたが、武蔵丸や鶴竜や稀勢の里や照ノ富士のように四文字熟語を使わずにシンプルに口上を述べる力士もいるため貴乃花が大関に昇進した以降の力士皆が四文字熟語を使用しているわけではありません。思いの伝え方は人それぞれ色々な考えがあると思います。どちらもその力士の個性や考え方や思いなどが見て取れる気がします。