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禍福は糾える縄の如し


鍋か?煮込みか??

きょうの紙面から
1969・9・5 全国全共闘連合結成大会
上京した頃には「赤軍派」は分解していたが、まだ全共闘としての抗議活動はつづいていてノンポリといわれてる学生もヘルメットだけは持っていた。今では考えらない過激な行動をしていた訳だが、キャンパス問題にとどまらなくなってしまいセクト間の争いも増えて行った。社会を根本から変える、変えられるという信念は強かったし学生が主導することはその後の日本にはない。そんなふつうのノンポリたちも丸井のスーツを買って
何もなかったように社会に染まっていった。
「ひとり寝の子守唄」を唄う加藤登紀子さんのダンナさんは何かのセクトリーダーで、
獄中にいるときに加藤さんが作った歌である。ダンナさんは出所してから世の中を変えるのは武力でなくても出来ることを証明した。いまは特別ではなくなったが食の生産者と繋がって自らも田畑を耕しながら安全なものを提供するという挑戦をはじめられた。
そういう形で人の気持ちを平和に導くことになるのだからひとりの影響力は想像を超えることになるのである。あらためて紙面を見直すと、全共闘連帯のシンボルといわれた東大全共闘議長山本さんが逮捕されたことによって士気が下がってしまったことを取り上げている。そして当時の学生たちが訴えていた大学の自治が現在も危うい状況にあることを問題視している。60〜70年代は遠い昔ではないことを思い知らされながら、、苦学生も多い時代だったからこその強さは二度ないことかもしれない。そして松本零士さんの
「男おいどん」
を思い出し急に読みたくなった。
サルマタケ、、、



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