胸に一物なければ心の光は四方を照らす。
もう親の世代がこの世から旅立って
久しいので故郷の北海道に行くことが
なくなった。父方のきょうだいが多かったので、おじやおばには小さい時からとてもお世話になっていた。進学するときなどは、必ずお祝いの品を一緒に選んだりして親以上に
喜んでくれたものだ。お見合い相手を見つけるのも、おばたちの役目のようになっていたり有り難いような余計なお世話のような時代があった。その意味が分かるようになったのは家庭を持ってからで既に遅しだったが。
いまは、
マッチングアプリが代行してるのか…
社会のなかで揉まれていくうちに
自分のルーツとかが気になりだして調べると
両親ともに東北からの開拓民であった。もう
今となっては語り繋がれることも無くなって
途絶えてしまったと言っていいが…そして
うっすら気になっていた父方の家系にあった黒歴史のようなことを知ることになる。血縁の濃さを崇拝するような感覚なのか、、優秀(優生)とされる家系同士を結ばせるということである、サラブレッドを作るのに似ているといっていい。
おばたちは確かにその辺を意識していたようにおもう。そこまで憶測すると怖いから
気にかけないようにしてきただけなのだが、、、
家柄が良かったわけではないので
ふつうの恋愛をしてふつうの結婚して
ふつうの家庭をつくってきて今に至ってる。
ただ
おばたちの好意にそった選択をしていたら
自分の人生はどぉだったのかと興味深くおもったりするのは…やはり断ち切れない血縁に生かされているからなのかもしれない。
きょうは
朝じかんすき間で七夕の
短冊をつくりはじめるがひさびさ過ぎる。
あれっ!!KAMINARIだーーー