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ソロ音楽vs 集団音楽

ほのかです。夏休み、どう過ごしてますか?
わたしは意外と充実していて、BBQや夏祭り、ディズニーなんかにも行きました!🌻
でもその裏で7時間バイトを5日連続でした、、、😮‍💨

まあそれはさておき。昔の仲間と話してて、なんか急に音楽のことを考えたくなったんですよね。
だからちょっと深掘りしようかと思います。笑

とはいえプロの世界ってなるとそれはまた話が変わると思うので個人の趣味の域は超えて本気だけど、プロレベルに行けるほどの本気度ではないくらいの話にしますね。アマチュア、、を狙うか狙わないかくらいかな、、、わかんない。うーん、学生時代に打ち込むってなったら?くらいの視点ですかね。😌


01.ソロ音楽

ピアノとか、バイオリンとか、そういう。私は10年くらいピアノをやってました。🎹
チームでやる音楽を経験して思うソロ音楽の良さは、やっぱり自分で限界まで、納得いくまで時間をかけて作り上げられることですね。他の人の事情を慮って自分では納得いかなくても周りに合わせたり、練習が突然できなくなったりすることもない。
私もピアノガチ勢だったので、毎日練習してこうでもないあーでもないってブツブツ言ってましたよ。笑
もちろん先生に習ってたからその影響は受けてたけど。運指とかもいろいろ試してたり、指が届かないとこはどうしようって考えたり。実力が追いつかなくてイライラすることは本当にたくさんあったんですけど、それでも自分の納得いくものを納得いくまで、強みも弱みも理解しながら突き詰めるのはやっぱり楽しかったです。🎹🎶

プロレベルになるともちろん話は違うんでしょうが、やっぱり本番があってその作ったものを偉い大人たちに見てもらえるっていうのも納得度が高ければ高いほど楽しみでした。😌

でも、楽しいけど、そこには終わりがない。
自分が良くても周りには、というかピアノの先生にすら刺さらないこともあるし、自分が作ったものが全部間違いな時もあって、どうしようもなく嫌になって。習ってる身だったから、難しい曲も嫌いな曲もあって。苦手なことも最後は1人で乗り越えて練習するしかない。そこがすっごい苦しい、、って思う時も多かったですね。乗り越えた時は楽しいけど、乗り越えるまで10000回ダメでヘトヘトになるんですよ、、、(某アーティストの歌詞ですね)

いやでも、誇張でも何でもなくてまじで、
この先もつまづいて傷ついて
やり場のない怒りさえもどかしく抱きながら 
自分と闘ってみる

みたいな感じです。😖

それすらも楽しいと思えたら、ソロ音楽は楽しいけど、そこが私は苦しくなっちゃって、まあ小学生だったしね。こんなことするなら友達と遊びてえ‼️ってなっちゃってピアノからは離れたわけです。

まとめると、
自分が納得いくまで突き詰められることは楽しい。
でもそれをするのに転ぶ数は数えきれない、自分のダメなところに嫌でもぶつかって苦しくなることも。

って感じです。ソロ音楽を大人になっても続けている方をほんとに尊敬しますし、きっと強い人なんだろうなって思います。😌

02.集団音楽〜明確な指導者有〜

次は集団の話を。指導者の有無は結構影響を与えるなあと音楽人生を振り返って思ったので、こんな小見出しにしました。

指導者がいる集団音楽、オーケストラとか吹奏楽とか管弦楽とかね。私は吹奏楽に5年浸かってました。
中学校の頃は、弱小吹奏楽部のパーカッションを3年。高校生の頃は、それなりのレベルの吹奏楽部のコントラバスを2年。

お気づきの方はいますかね。途中でやめてますね。笑高校の吹奏楽。🎻

そう、その理由は指導者との合わなさ。
やっぱり指導者の在り方が、作る音楽に影響するんだってその時すごい思いました。

中学の時は、とにかく楽しく音楽ができればいいっていう指導者でした。自分もアマチュアのトランペット奏者。🎺 なのに指揮を途中でやめて急にコンガ叩きにきたり指揮の途中でカホンやり始める変な人。

曲も、吹奏楽‼️っていう曲よりかはミュージックエイトとかにあるようなポップスばっかやってました。
コンクールにも毎年出てはいたけど万年銅賞。参加賞です。笑笑 だけどいろんなタイプの曲をやるので、土日どっちかは休みで合奏も週1-2しかやらない部活のわりには上手かった気がします。😂 しかもその土日も午前だけとか午後だけとかだしね。🕰️
それでも演奏で大崩れした記憶はない。🎼
でもまあ、最低限のリズムの取り方とか曲の雰囲気とか音程の合わせ方とか、そういうのはきちんと教えてくれてました。トランペット奏者なのにかなり打楽器にも理解があって。普通にドラムとか教わってました。笑

音楽面で嫌な思いすることはほんとに一度もなくて。
弱くても楽しい音楽生活だったと思います。笑

一方高校。こっちはもうちゃんと吹奏楽コンクールを見据えて動いてる部活で、毎日部活はあるし普通に8時から17時まで練習はありましたね。夏休みはホール練もしたし、合宿も行ったし。コンクールに向けてほんとに練習練習の毎日で。個人レッスンみたいなのもあったし、本当にちゃんとした組織だったと思う。
私もレッスンの先生にコントラバスを一から教えてもらえて、それはそれは恵まれた環境でした。😌
中学の頃なんてレッスンはなかったし、先輩が教え上手で経験豊富だったからよかったけどそうじゃなかったら基礎グラグラで何年も演奏するかもしれなかった。そう考えるとやっぱり組織力ってありますよね!
実際コンクールも参加賞止まりではなくて県大会までは少なくとも進めてたし。もっといえば西関東とかそのレベルもいけてたし。

でも、なんだろう。指導者は厳しい人でしたよ。
基礎合奏っていう、曲をやる前に基礎練習の楽譜をみんなで合わせるやつがあるんですが。それに合奏の半分を費やしてしまったり。音源を聴きながらこの曲はこう演奏するぞっていうのを話し合う時間があったり。リトミックって言ってリズムうちの時間があったり。音楽に妥協のない、厳しい人でしたね。

それだけならまだいいけど、結構怒っちゃうというかなんでそんなのも詰めてこないのよ‼️っていう風に言われる環境だったんです。それが、良くなかった。本当に曲を掴めていない時もあったけど、実は大半のケースそうではなかったんです。合奏の前には必ず生徒合奏っていうのをやるようにしてて、先にみんなで曲を掴む作業をちゃんとやっていたんですね。基礎合奏も細かく合わせてましたよ。そしてその時はみんな吹けてたし叩けてたし。
それでもそんな風に怒られてたのは、先生の顔色を窺ってしまっていたから。みんなが先生の正解を狙おうとして悪い方向に行く。緊張して音が震えて萎縮する。そうなると基礎合奏の時点で躓くので、どんどん曲が詰められなくなる。それで納得いかない状態で本番舞台に上がるんです。😔

それが明確にわかっていたから、あまり好きになれなかった。そして萎縮すればするほど結果も出なくなる。どんなに組織力があっても、指導者ひとつでこんなにも変わってしまうんだと。逆に基礎は先輩の受け売りという組織力がない弱小チームでも、指導者のスタイルでなんとかなるのだと。

結果が出ないこともやっぱりあったので、レッスンの先生に顔向けできないみたいな感じで先生が落ち込むことも多かった。それをなんとも言えない気持ちでみてました。笑
緊張してしまうのは私たちに自信がないことも原因だと思う。それでもやはり、必要のない萎縮が悪い方向にチームを引っ張っていることは間違いなかった。
運良く大会ではなかったけれど、なんかの発表会で演奏が途中で止まった時のことを私はまだ覚えてる。
あんなに弱いチームですら、演奏が崩れることはなかったのに。組織としてはまとまってて真面目に練習したのに、合奏がうまく行かなければ止まるんだと。

それが、なんだか馬鹿らしくなって、係の仕事でも萎縮することは同じだったのも苦しくて、辞めました。

集団の演奏は指導者がいる場合、組織としてまとまっていても結構演奏スタイルが変わりやすいんだなと。
でも、レッスンとかそういうプロの指導、基礎能力というのを間違いなく身につけるとなると指導者がいるのはありがたいことだと思っています。🎺🎻🥁
自分に合うか否かは慎重に判断すべきだとは思う。
というところですね。

03.集団音楽〜明確な指導者無〜


最後は集団音楽だけど、指導者が明確にはいない場合。いわゆる【サークル、同好会】の音楽です。
私の場合はアカペラですが、もしかしたら軽音のバンド活動とかもそうなのかもしれません。

結論から言うと指導者がいない場合は、組織力がものをいうかなと思います。アカペラもそうです。自分たちでチームを組んで、どうするこうするって話し合って練習して、録音聴いて、改善点出して、己でやるしかないですからね。本番のステージも、衣装も、楽譜も、自分たちで調達する。こういう特性です。

自分たちでバンドのコンセプト決めをするところからやっていくので、やりたくない音楽をやらなきゃいけないなんてことはないのかなと思います。👌
まあたまに方向性の違いとかいうのは、、、あるが、、それは、、アカペラの場合はコンセプトみたいなそもそものところに納得しないケースは少ない。
どちらかというと本気度、熱量な気がする。😶

ただ、この熱量というのが全てを変えてしまう。
そしてチームがぶつかった時に、指導者という全てを決めてくれる人はいないから誰かバランスを取れるやつがいないとそこで崩壊する。その能力があっても見てるだけじゃダメで、そこに切り込んでいく勇気も必要。

崩壊した時に誰かに全て従うようなバンドは存続が難しくなって、一旦みんなで話し合えるバンドならなんとかなるのかなと私は思う。🤔
あとはシンプルにバンド仲。チームメンバーのことが好きじゃないと、いやせめて音楽的実力の部分だけは尊敬していないと、ひとつの音楽をみんなで作るのは難しい。チームメンバーの体調、技量、その辺にも左右されるからそこを思いやり合えることは大事。
音楽の実力よりも、ハートフルな人間力が大事。💓

でもまあ、音楽の実力だって大切で。笑
もし全員が楽譜を読めるなら、リズムが取れるなら、そんな早い話はない。でもそうじゃない。きっと音楽経験がなくて音とりで苦戦する人もいるし、表現を突き詰めるフェーズに時間をかけたい人もいると思う。
そこをどう辻褄合わせるのか、どこにどのくらい時間をかけるのか、経験者が未経験者にどう教えるか、どのくらい未経験者が食らいつこうとするのか。
その辺の音楽のやり方が揃ってるか揃ってないか、個々人がどれくらいできるのかはもちろん演奏のクオリティにそのまま直結する。笑

私のバンド解散パターンは、経験者が未経験者を置いてって進んでしまったのと一生懸命伝えたけど未経験者が挫折しちゃったのとって感じだ。

やっぱりそういう意味でも、音楽に関する個々の能力にうまく妥協し合って方向性を整えてその道を地道に歩いていく組織力が必要。
そういう意味で言えば、周りにはかなり振り回される。音楽のことよりメンバーのことを考えることが多くなる。このチームならこんな曲かな、とメンバーありきで音楽は変わる。自分の希望が100叶うことはない。だから、メンバーを1人でも許せなくなったらそれはもうかなり苦しくなる。
それでも、辛い時にメンバーが励ましてくれたり、自分のできないところを親身に教えてくれたり、精神的にそこが居場所というか安全地帯になっているのなら多少のことはあれどやっていけると思う。😌
というかその状態ならまずそんな天地がひっくり返るピンチはない。あるとしたら誰かがインフルになって練習ができなくて、急ピッチで合わせるぞ!あせあせ!ってなるくらいかな。笑

まとめると指導者がいない集団音楽は組織力、チームの雰囲気がそのまま音楽の質につながるということ。

【まとめ】

三者三様、その違いをもう一度。

ソロ音楽は、自分と向き合って納得できるまで突き詰めるのが楽しい。でもそのプロセスで挫折することも。

集団音楽は、指導者がいればその人の在り方でかなり音楽が変わる。いくら個人の能力があっても、組織にいいものがあっても指導者が1番強い。
奏者を尊重できる、奏者を萎縮させない指導者がいい音楽を作る。

指導者がいなければ組織のあり方がそのまま反映される。メンバーのことを好きになれるなら1人で突き詰めるよりはるかに楽しくて、自分の苦手なことも補い合えるから負担は軽減する。でもメンバーにすごく振り回される。人間力がないと音楽はできない。

そんなところでしょうか!と思います。
みなさんの音楽話も聞かせてほしいなと思う今日この頃です。最後まで読んでくださりありがとうございました😌

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