2025/01/24 先回りばかりの私が気づいた、本当に大事な備え
「今日はお友達と早く登校する約束をしていたから、一人で先に出るね。いってきまーす!」
そう言いながら、長女はランドセルを背負い、いつもより少し早く家を出ていった。
一人で歩く時間は、どんな気持ちで過ごしているのだろう? 学校までの道は何度も歩いているけれど、もし途中で地震が来たら? 事故があったら? そんな「もしも」を考え始めると、親としては不安が尽きない。
たまたま夕食の時間に大きな地震についての話題が出たので、改めて聞いてみた。
「もし今、大きな地震が来たらどうする?」
学校にいる時、道路を歩いている時、家で一人の時。
前にも話したはずなのに、意外と忘れていることが多かった。忘れて当たり前なのだけど、長女なら覚えているだろうと勝手に思っていた。
「机の下に隠れるんだっけ?」
「ドア開けとくんだよね?」
うんうんと頷きながら話すけれど、実際にその場になったら、とっさに行動できるだろうか。
何度でも繰り返して話しておかないと、いざという時には思い出せないかもしれない。
きっと親の役目は、こういう「もしも」に備えて、何度も伝え続けることなんだろう。
それは、災害のことだけじゃなく、生活の中のちょっとした工夫や、困った時の対処法も同じだ。
「先回り」は、誰のため?
子どものためを思えば、「見守ること」が大切だとは重々承知。それでも、心配性の私たちはよく「先回り」をしてしまう。
明日の持ち物をチェックして、忘れ物がないように声をかける。急に寒くなってもいいように、カイロやマフラーを玄関に用意しておく。転んでしまった時のために、小さな絆創膏や替えの靴下をランドセルに忍ばせておく。
でも、自分のこととなるとどうだろう?
子どものコップ袋の予備はすぐに作るのに、自分のパンツのホックが緩んでいるのはそのままだ。
子どもには「早めに準備しておいたら安心だよ」と言うのに、いつも私自身の備えは後手に回ってしまう。これは、母である私の性なのか、それとも一人の女性としての課題なのか?
「自分のための先回り」をもっと意識できたら、毎日はもっとスムーズに、もっと心地よくなるのかもしれないのに。
これもまた、私自身の「もしも」に備えることのひとつなのかもしれない。今後の課題の一つです。
子どもたちの小さな世界
長女の体育の時間、跳び箱を片付ける時に足の甲をぶつけたらしい。痛々しい傷を見て、私は悲鳴を上げた。見た目の割に平気らしいことを聞いて落ち着きを取り戻す。
「学活のお楽しみ会がめっちゃ楽しかったよ!」
そう言って、嬉しそうにその日の出来事を話してくれた。私の頭はそれどころじゃなく傷のことでいっぱいだけれど、楽しかった印象の方が強い長女はたくさん話してくれた。
次女は保育園で「ねこグッズ」を熱心に作ってきた。
「ねこが推しなの!」と先生に伝えて、たくさん作ったらしい。私は犬推しだと思っていたので少し驚いた。けれど、子どもっていつのまにか変わるものですよね。
「スマホと、スマホポーチと、猫耳カチューシャ!」
工作が大好きな彼女は、大人の持ち物をよく観察していて、ポッキーの箱で作ったスマホポーチは、驚くほど大人のそれにそっくりだった。
私が急いで用意した予備のコップ袋も、キラキラピンクのハート型ループエンドをつけたら大喜び。
「先生にも、お友達にも『可愛い!』って言われたよ!」
嬉しそうに話す顔を見て、好きに作れるのが手作りのいいところだなと改めて思う。生地から子どもに選んでもらうので、子どもに選択することの楽しさを味わえて良いのです。
子どもたちは今日も、成長を続ける。私もまた、少しずつ『自分のための先回り』を覚えていこう。
明日はどんな日になるかな?
また小さな気づきを、大切に書き残していこう。