食、連鎖、記憶
先日、こちらの本を読了した。
著者の僕のマリさんの、食に関する記憶の、あらゆるエピソードが綴られている。
どのお話もとても面白かったし、心をくすぐられたけど個人的には「明日のパン」の章の言葉たちが響いた。
なんでだろう。これらの文章も含め、この本を読んでいて私はところどころ目頭が少し熱く感じた。
食を通じて、広がる記憶が、僕のマリさんが日々過ごしているなかで思ったこと…気持ちがそこにちゃんと在ることを感じるからだろうか。
食は香りと一緒で、記憶とともに体に綴られる。それはふっとしたとき、ある瞬間にスイッチがはいってよみがえる。
栄養だけじゃない、そういう記憶も含めて自分というものを構成しているのだなと思う。
そのときの思考を含めて、僕のマリさんを構成したもの…それは特別な日常ばかりじゃない。
だけどどうしてこんな風に感じられて、するりと入ってきて、もう一度きちんと噛み締めたくなるような言葉で書けるのだろうか。
そして僕のマリさんの本を読んで食に関する記憶のスイッチを押されたので、せっかくだから2つばかり、私もその記憶について書いてみることにした。
そのときは何気なく過ごしていたけれど、間違いなく私を構成した、一部の時間たち。
目玉の誘惑
高校のときの同級生で、しょっちゅう一緒に遊んでいた子がいた。彼女の名前はT。
Tとは、高校を卒業して社会人になっても連絡を取り合い、変わらず遊んでいた。
お互い結婚してママになっても、ランチに行ったりしていた。ランチの定番はとあるファミレスで彼女が比較的よく頼むメニューがあった。
それは「目玉焼きハンバーグ」。
ふっくらとした美味しそうなハンバーグに綺麗な形の目玉焼きが上に乗っかっている。
そんな完璧のフォルムの目玉焼きハンバーグを目の前にしてTは私にいつも
「はい、目玉焼きあげる」
「目玉焼き食べてね」
とハンバーグだけ食べるのだ。なぜだろう。
ハンバーグなら他にも色々ある。どうせ食べないのに、なぜいつも「目玉焼きハンバーグ」を彼女は注文するのか。
もちろんその疑問はぶつけたことはあった。だが納得できるような理由ではなかったと思う。(例えば他のハンバーグは身体が受け付けないの、とか)
そんなある日。Tの職場のひとと三人でランチを食べる機会があり、例の目玉焼きハンバーグのことをネタとして話すと、なんと彼女は普段は別のを食べているらしい。
「え、そうなの?私といるときはけっこう目玉焼きハンバーグじゃん。私といると頼みたくなるの?」
目玉焼きハンバーグを頼みたくなるオーラでも発しているのだろうか。
それとも、もう癖みたいなもので身体に「この人とのランチは目玉焼きハンバーグ」という情報が染み付いて反射的に頼んでしまうのであろうか。
が、その後、Tが目玉焼きハンバーグを頼む頻度はがくっと減ったのだ。
と、同時にTと会う頻度も減っていき、そのまま疎遠になってしまった。
もしかしたら、もうこのまま会わないかもしれない。
だけど、もしまたいつか。
ファミレスでランチをすることがあって。Tがメニューに目を通しつつも目玉焼きハンバーグを頼んだらきっと私は笑ってしまうだろう。
綺麗なフレンチトースト
亡くなった父との思い出のひとつにフレンチトーストが浮かぶ。
熱したフライパンにバターを溶かして、バットに広がる黄身と白身が綺麗に混ざった、たまごの海にひたひたに浸した食パンを焼く。
バターの香りが漂うなか、じゅわあといい音が響く。
ムラなく黄金色に焼き上がったそれに、はちみつをかけて砂糖をふりかけたら…。
フレンチトーストの完成だ。
父はよくおやつにフレンチトーストを作ってくれた。
それはとても美味しく、そのときから好物リストに加わったのに正直ある時期から父が作ってくれた思い出のフレンチトーストを忘れてしまっていた。
でも、自分のこどもにフレンチトーストを焼くようになって「そういえばよく作ってくれたな…」と時に思い出して涙する。
私が作るフレンチトーストはムラがあることもあるし、中までしっかり染みてないこともある。
だけどそのことに触れつつもこどもたちはぺろりと食べてくれる。
父もこんな気持ちだったのだろうか。焼いているときの父の横顔をもっと見とけばよかった。
父の作ってくれたフレンチトーストはいつも綺麗だったな。
これからもつながる食の記憶
いざ取り出してみた記憶は、けして美味ではない部分もあった。だけど苦味さえも含めて確かにそこにあったもの。
それらはまた日々を過ごすうちに、また薄れていく。食から繋がる記憶はこれからも重ねられていくから…。
だけどまたきっと何かのタイミングで思い出して、私のなかの感情をそっと撫でていくのだろうな。その感情はその時々で違う形をしていると思う。
そしてその記憶は層を積み重ねるように、底のほうへしまわれていき、段々思い出す回数が少なくなるかもしれない。
けれど確かに私のなかに存在している記憶。
まさか自分自身の記憶を辿ることになるなんて。
そこから感じた思いをいま私はゆっくりと咀嚼している。
こんな読書体験を僕のマリさん、ありがとうございます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
真夜中のカフェでした。