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私という人間2

こんばんは。今回、またまた私という人間について、お話させていただきます。

なぜまた自分についての話を書くことにしたのか?実は、こちらの企画に参加しました😄

このnote企画のテーマが
私という人間がどう生きてきたか?
そのなかでどんな考えを持っているのか。

まぁようは、
「どんな人間か教えてください!」
ということですね(笑)

そもそもなぜこの企画に参加しようと思ったのか?それは自分自身の深掘りによいかも!と思って参加を決めました。

いままでのことを振り返り、私はこれからどうありたいのか?何を思っているのか?

考えることが大切であることを、この本で改めて感じ、私という人間を深掘りしてみようと思いました!

素敵な文章がたくさん綴られています

もしよろしければお付き合いください!

さて、今回のnoteを書くにあたり、どうしようかな…と悩みました。

「いつ」の私のことを振り返るかな…と。

丸2日たっぷり悩み、私の歩いてきた道の要所要所には本があったので、本との出会いや、また出会ったことでどんな思考が浮かんだのか。

そんなことを書いていきます。
また全ての本の出会いを書くことは難しいので(笑)
特に変化の場面のときに出会った本に限定して書かせていただきますね!


モヤモヤと悩んでいた結婚生活

いまから約3年前、私は結婚していました。年月を重ねるごとに私は離婚を考えることが増えてきました。ある友人にそのことを話すと1冊の本を読むことを薦められました。

それがこちら。

画像のは、当時読んでいた本とはまた別のものです。
私は7つの習慣を読んで、どれだけ自分が他責思考でいたかを知りました。同時に他力本願であるということも。

「どうしてなにもしてくれないのだろう」
「誰かいまの状況を変えてくれないかな」

人のせい、環境のせいにする。
視点を変えて自分が変わらないと物事は変わらない。すべては選択の積み重ねである。

そんな思考を7つの習慣では教えてくれて私は考えました。

モヤモヤした思いを抱えながら、
「だけど長い時間を経た結婚生活なんてこんなもの」
「この先も変わらない」

そんな日々を過ごしていた私は「そんなの嫌だ」と思いました。

どんな人生にするかを決めるのは自分以外の誰でもない。

私はこの文章を目にして、
自分らしくいたい。もっと笑顔で過ごしたい。

誰かのせいにしながらこの先の人生も暗い顔で過ごすのは嫌だ。

そう強く思い、離婚という道を選択したのです。

こどもの不登校に直面。

離婚して3人の子供を連れて、引っ越しをして新しい生活がスタートしました。

子供たちも新しい学校に行くことになりました。慌ただしくも、ちょっとずつ新しい生活のリズムが整ってきたかな…という時でした。

一番上の子が、不登校になったのは。

とてもショックでした。
子供が不登校になったのは自分のせいだ!と
責めて、とにかく登校させないといけない。

その一点思考で毎朝、登校の意思の確認をしては、このままじゃだめと呪いの言葉をかけてました。

毎日、家にいる上の子。それをなんで?とストレートに疑問をぶつけてくる下の子達。

この先どうするの?とメールしてくる実母。とにかく登校させてくださいと言ってくる学校。

私は、なんてダメな母なんだろう。
この先、どうなるの。一生このままかも。

そんな不安の渦中にいた私を救ってくれたのはこちらの本でした。

温かいイラストと話に癒され、元気をもらいました。

特に響いたのはこの話。
●私だけのパフェ
●心配性なお母さんとバナナケーキ

どちらもお母さんの話です。
それぞれの話に救われた言葉がありました。

パフェの由来は‘’パルフェ‘’つまり‘’パーフェクト‘’(完全な)
どんな選択をしたっていいんですよ

「完璧」ってなんでしょうね
自分が納得できたらそれでOKなんじゃないですか?

泣きたい夜の甘味処 中山有香里

バナナは置かれた環境で遅かれ早かれ熟していきますからね…

バナナは自然と熟していくすごい果物です

泣きたい夜の甘味処 中山有香里

涙があとからあとから止まりませんでした。
なにも動いていないように見えても、ちゃんと時は動いているし、子供もなにもしていないように見えてもちゃんと成長している。

そう優しく背中を撫でられているような感覚になりました。

「学校に行かすことがなによりの最善策!それが一番いい」

私はそのことばかりが頭の中でも巡ってて、だけどこの本を読んで「あれ?でもそれ私の望みで子供はいまそれ、望んでいない」

私は世間体を気にしていたのだなあと、そう思ったのです。「学校に行くのが当たり前」

そのレールを外れたら、将来も危ない。なぜかそう思い込んでいたのですよね。

子供じゃなくて、周りの目を気にして、みんなと「同じ」ように通わせること。

それに固執していたなあと最初の頃を振り返るとそう思います。

いまは、不登校に前向きに向き合えるようになり「まだ道を歩いている途中」「自分のペースで歩いているだけ」そう考えられるようになりました。

「普通」は「世間一般」?

私は、よく「普通さあ」と相手の態度に満足できず不満を抱えたりしてました。

最初の「結婚」のところの話と重なるところがありますが「普通こうすべきだよね」「どうしてしてくれないのかな…」

そんなことばかり思っていました。
だから、ココロがいつも渇いているような状態でした。

「不登校」のところでもやはり自分が当たり前に通ってきたから「学校には行かせないと、行かないと大変」

それで無理やり子供を通わせようとしたりしました。でもその「ねば」「べき」イコール「普通」って世間一般のことではない。

そのことを気付かせてくれた本がこちらです。

何度も読み返す、お気に入りの本です

この本の中でこんな文章があります。

『俺が嫌なことはみんなも嫌』は、最初の考え方としてどうなんだろう。『俺が嫌なのに、なんでおまえは好きなんだ』って疑問が湧くんじゃないかな。そこで話し合えればいいけど、短期なやつだと『俺が正しい。おまえは間違っている』って喧嘩になりそうだ

わたしの美しい庭 凪良ゆう

できれば『ぼくたちは同じだから仲良くしよう』より、『ぼくたちは違うけど認め会おう』のほうを勧めたい。

わたしの美しい庭 凪良ゆう

そうだ。それぞれが思う「普通」は通ってきた道の経験によって重ねてきたもの。

だから、人によって違って当たり前なのに。
どうして自分の「普通」をなぜかまわりの「普通」と感じていたのか。

まだまだ難しいですが、私はそれから自分の
おもう「普通」はイコールまわりの「普通」ではないし、ましてや「世間一般」じゃない。

そう、考えを切り替えるように心掛けるようになりました。

そうしたら心が軽くなる瞬間が増えました。

「普通こうでしょ」「普通こうだよね」
そういう視点で見ると、相手に期待してしまいます。でも相手の考えが違う場合はもちろん自分が期待する行動じゃないわけです。

私は、いままでそれで勝手に反応して怒ったり悲しんだりしてたわけですが、それってちょっと違いますよね(笑)

これからも自分だけの「普通」にこだわらないように気をつけていきたいと思います。

改めて思ったこと

いま改めて、3冊の本のことを思い返し、そして振り返って感じたことがあります。

相手のことを無理に変えようとしないこと。私は、とにかく自分がしてほしい、やってほしい。

そのことばかりが先行して、それで自分が思う反応じゃなければ「なんで?」と勝手に落ち込んでました。

繰り返しになるのですが自分の主観はみんなの「普通」でも「当たり前」でもないのに、そういう風に思い込んでいて認めさせようとしていたのですよね。

だけど、それは相手の考えを否定することに繋がります。そんな風にずっと押し付けられたら相手だって「もういい」ってなっちゃいますよね…。

どの本でも伝えているのは「自分が自分でいること」。そのことを大切にすることなのかなと思いました。

つまりそれは価値観は人それぞれということです。

そんなの、当たり前じゃん!って思いますよね(笑)

だけど日々を過ごしているうちに卵ひたひたの、フレンチトーストみたいに、自分の価値観だけにとっぷり浸かってしまうんですよね。

だから、時に…立ち止まって「大丈夫かな。ごり押しスタイルになってないかな」とちょっと考えることの大切さを、本達に教えてもらいました。

自分がコントロールできないことに反応しすぎないこと。心地いい自分の状態を知ること。自分で自分にハナマルを出すこと。相手に期待しすぎないこと。

もう真逆なことばかりしていた私は常にココロがきゅうきゅうでした。

いまもうっかり「普通」の思い込みトンネルに入っちゃうことも正直あります。

だけど、前はその勢いで迷走して「もういいや」状態になってましたが、この中で話した本たちに出会って「だけどちょっと待って」と考える余白がちょっとだけできているのかな?と思います。

これからも自分の「普通」という枠にこだわりすぎないように「違う」考えを否定するのでなく、受け止めること(無理に理解しようとするのでなくて)を心がけていきたいなと今回振り返り、感じました。

そして自分の心地よさを大事にしたいです。

ついつい長く書いてしまいました(笑)

ここまでお読みいただいたかた、本当にありがとうございます。

みなさまのココロのどこかに触れられたら、嬉しいです。スキ、フォロー頂いたら更に嬉しいです♪

真夜中のカフェでした!



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