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一度諦めたイラストをもしかしたら描けるかもしれないと思ってしまった

少しだけイラストの練習をしていた時期がある。していた ・・・・なので過去形だ。練習しようと思った理由は「何者かになりたかった。その中でイラストは(オタク気質の人間にとって)身近なものだったから」といったごくありふれたワナビー的動機であった。そういった動機からか、自分の中にはやるからには「上手く」描きたいという意識が確かにあった。描いてていたジャンルは王道も王道、ゲームやアニメなんかでおなじみのいわゆる「萌え絵」だ。特に非現実的で綺麗めな画風(例えばゴスロリとかの系統。それだけがやりたかったという訳では無いが)に惹かれていた。練習を重ねていく中で、最終的にはそのようなものを描きたかった。

練習方法はノートへの模写をメインに行っていた。最終的にはデジタルで描くつもりだったが、最初はアナログでクロッキーや線画の練習をした方がいいと思ったからだ。単純にデジタル絵に必要な高額な機材(ペンタブ等)を買うことに抵抗があった、という現金な理由もある。そして、仕上がった線画の中である程度納得がいったものはスキャンしてデジタル化し、ibisPaintで色を付けてたりしていた。他にもトレースの参考書を一冊やったり、youtubeでその手の講座動画を見たりしていた。

そんな生活を半年弱続けていたが、自身の画力向上の速度の遅さにはかなり限界を感じていた。イラストを始めた動機面の脆さ(不健全さと言う方が適切だろうか?)からある程度想像がついてた事と思うが、ノート2冊分程練習した後、ついにイラストの練習を諦める事にした。

せっかく半年も続けていたイラストを何故諦めることにしたしたのか。それは練習を繰り返す中で、自分は(特に先天的な意味において)イラストを描く能力の適正が著しく低いらしい、ということに気が付いてしまったからだ。身も蓋もない言い方をするなら「センス無いと思った」というわけだ。

今思い返しても、自分は相当「描けなかった」と思う。どれくらい描けなかったかを偏差値で例えるなら46~8程度(数字は感覚で適当につけたが)の、「ちょっと苦手」というレベルでは到底収まっていない様に思えた。冗談抜きで本当に偏差値30とかの「劇的にできない」という感覚であった。

自分と同程度のイラスト歴の他人の絵を見ると、明らかに自分のものより上手ことがわかる。普段練習しているはずの自分が4時間腐心して描いた絵と、弟が気まぐれで30分で描いたという絵が大差ないし、なんなら弟のほうが上手まである——と言ったら自分がどの程度描けなかった(少なくても自己評価ではそう思っていた)のかがなんとなくわかってもらえるだろうか。人のイラストと比較して相対的に見れば、もちろん下手。自身のイラストを単品で眺めて絶対的に見ても‥流石に下手な気がする。

そんなわけで、イラストを諦めようと決めた時も、殆ど未練無く実にあっさりとしたものだった。そもそも練習期間も量も膨大という程ではなかった、というのも十二分にあったが。

(これは余談だが、絵を描くことがぶっ飛んで苦手・・・・・・・でむしろ助かったのかもしれない。これが中途半端に苦手・・・・・・・—前述の偏差値の例えなら43くらい—だったとしたら、こうもすっぱり諦められなかった可能性があるからだ。自分の中に、「頑張ればまだ何とか描けるかも」という感覚が少しでも残っていたとしたら、これまでイラストに投じてきたサンクコストを惜しいと思っていたかもしれない。もしそうなっていたら、自身の資質の底を薄々と感じつつも晩成型の成長モデルを辿ることに一縷の望みをかけ、理想と現実のギャップに苦しみながら鬱々と絵を描き続ける化け物が誕生していたかもしれない。)

閑話休題。そんなわけで僕のイラストを描く技術は全般的に低かったわけだが、その中でもとりわけ苦手だったことがある。それは、物を立体的に描くことだ。感覚ベースの話なので上手く説明するのが難しいのだが、何というか「本来立体であるはずの対象を平面である紙面(画面)に落とし込む感覚」らしきものをどうしても身体で理解できなかった。だから平面的な表現だけならまだ何とかなりそうでも、立体は本当に難しかった。自分では立体的に書いているつもりでも、仕上がりをみるとどこかぺチャっとしてしまう。つまり小学生の絵みたいに見えてしまうのだ。

逆にどうにかして立体感さえ出せれば、多少マシになるのではないかという淡い見立てだけは持っていた(それが何ともならなそうだったので結局イラストは諦める事にした訳だが)。


さて、この文章なんとここからが本題である。驚く事にここまでは些か長すぎる前置きだ。

イラストを練習していた時期からから約4年後—つまりはごく最近こんな本を読んだ。

「ヒューマンエラーの心理学:一川 誠著」

この本を要約すると、人間(とその比較として動物)の生物学的な身体機能の構造を解き明かし、その観点から人間がどのような認知バイアスを起こしやすいか—みたいな事が書いてある。

そんな本書では視覚の認知バイアスである「錯視」についても取り扱っており、その項にひっかかる記述があった。少し引用させて頂くことにする。少々長くなるがお付き合い頂きたい。

画像の大きさや長さ、方向が実際とは違って見える「錯視」の多くは、三次元的な実環境の中での奥行きや距離の知覚のために構築された適応方略を、二次元的な平面画像の観察に誤用したために生じる問題と考えられます。
~中略~
画像は平坦で二次元的です。ところが、私たちは、画像に遠近法や陰影などさまざまな「奥行き手がかり」を示すことで、立体感や距離感が感じられるような視覚的コミュニケーションを行っています。何らかの奥行きてがかりが含まれていれば、線画であれ、写実的な絵画であれ、写真であれ、それが平面的画像だと頭ではわかっていても、特に努力しなくても、すぐに立体構造の知覚が成立することを利用しているのです。こうした現象は「立体視」と呼ばれています。
~中略~
立体視の現象は、本当は平坦である画像が、奥行き手がかりを示すことで、立体的に感じられるので、錯視と言えます。ディスプレイにおける奥行きや立体の表現もこの特性を利用しています。

ヒューマンエラーの心理学 より


上記の部分を読んだ時、雷に打たれたような衝撃を感じた。

要するにどういうことか。

①人間の目には、三次元的な世界で立体物を立体物として知覚するための機能が備わっている。

②それは、ある物体が立体であることを示唆するような要素(陰影等)である「奥行き手がかり」を確認することで機能する。

③そのため、仮に平面上の物体であっても、奥行手がかりがあればそれを立体として誤認してしまう。(立体視)

④裏を返せば、絵画等の平面上の物体がしばしば立体的に見えるのは、なんらかの「奥行き手がかり」が存在するからである。

⑤つまり立体的な絵とは、平面的な物体に「奥行き手掛かり」を付け加えただけの目の錯覚であり、本質的には平面である。


ん?要するに2次元上の立体は突き詰めれば平面と同じってことだろ?

僕は立体が上手く描けなかったんだよな?

あれ……?これなら描けるんじゃないか??

と、直感的に確信めいたものを感じた。

その感覚を例えるなら、野球のバッターが綺麗なクリーンヒットを打つまさにその瞬間、「打てる!」という確信めいた感覚を持つことがあるのだが、あれに近い。他のスポーツや試験等でも、しばしばこういった根拠のない成功の予感のような何かを感じることがあると思う。そしてそれを感じた時、物事は大抵上手くいく。

少々オカルティックな話ではあるのが、ここではその感覚のことを「できる感」と呼ぶことにする。(自分でつけておきながら非常にあれなネーミングで恐縮だ)

本で立体視に関する記述を見つけた時、まさにその「できる感」を感じたというわけだ。

では具体的に「立体視」の概念を用いてどのようにイラストを描けばいいのか。実物を見ながら立法体を模写するところを想像してほしい。その時、6つの面がそれぞれの方向を向きながら辺を介して繋がり、一つの四角形として存在する様子を紙面に落とし込もうとする。これが従来の僕の絵を描く時の物体の認識方法だ。

一方、立体視の概念から見た正しい認識方法は、視界という平面世界に映る四角がくっついたような形をした物体を、影や遠近感も含めて見えるまま忠実に紙面に写せばいい。極論すれば視界から見えない面は一切関係がない。…という事らしい。

さて、僕はこの立体イラストに対する「できる感」を感じてから改めてイラストを描く事をまだ試していない。それどころか、しばらく時間がたって冷静になった今、自分の中の「できる感」はどんどん小さくなっているとさえ感じる。仮に今何らかのイラストを描いてみたとして、多分大したものは描けない。小学生の絵に毛が生えた程度のものが誕生し、やがてシュレッダーに飲み込まれるだろう。当たり前の話なのだが、絵の上手さを決める要素は立体感の表現だけではない(自分の中でそれが大きな課題であったことは確かだが)。それどころか、そもそも「立体視的な認識方法を用いて描けば、実際に立体感のある絵が描ける」という前提自体がまやかしかもしれない。というかまやかしだろう。

僕は試しに筆を執って、イラストを1枚描いてみるべきだろうか。それとも獲得した「できる感」を壊さないまま忘却するために、敢えて何もしないべきか。どうするのかはまだ決めていない。

何かを描きたいという純粋なモチベーションはあるか?と聞かれると、正直あまりないような気がしている。

描くかもしれないし、描かないかもしれない。今はそのくらいの心境だ。














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