Clover Day's プレイ感想
先日ALcotのClover Day'sを全ルート読了したので、記憶が薄れないうちに感想をしたためておこうと思う。
シナリオの大枠としては学園ものの王道キャラゲーといった風情だが、そこに攻略対象全員が幼馴染かつ作中に双子3組(シナリオの過程で後出しで分かるものも含めると5組)という斬新な設定を組み合わせている。攻略対象のヒロイン6人は全員が幼いころ同じ仲良しグループに属しており、それぞれがいわば相互幼馴染である。つまり、各ヒロインは主人公にとってのみの独立した幼馴染というわけではないのだ。その為、主人公だけに限らず、ヒロイン同士も過去の思い出だったり友情らしきものを共有していることがこの作品の大きな特徴だ。このようなキャラクター同士の関係性を生かした複雑な恋愛模様や、それに伴う心理描写や人間関係の変化が本作の大きな見どころであるように感じられた。
Clover Day'sはエロゲなので個別ルートに入る際に主人公は(恋愛的な意味で)必ず誰かを選ぶことになる訳だが、「誰かを選ぶという事」は言い換えると「誰かは選ばない」という事でもある。このような選択の構造自体はルート制の恋愛ADVの殆ど(何なら現実の恋愛でも)においてある種の必然として発生するものではあるが、Clover Day'sでは全員が相互幼馴染であるが故にこれが如実に表面化する。端的に言ってしまえば、選ばれなかった人の「負けヒロイン度」はどうしたって高まってしまうのだ。負けヒロイン好きはマストプレイ。
さらに共通ルートにおける選択肢の作り方が、このような物語の構造に非常にマッチしているように感じた。本作の選択肢は物語全体で3回とかなり数が少ない。加えて、選択肢の文章から選択の結果をかなり予想しやすいような作りになっている。つまりどういう事かと言うと、どのルートに入るのか(言い換えれば誰を選ぶか)をプレイヤー自身が意識的に決めやすい構造になっているのだ。そして、恐らく制作側は意図的にこのような選択肢作り方をしたのではないかと自分は思っている。プレイヤーは選択肢を選ぶことによって、恋愛的な意味での物語の大筋、つまり今回は誰と結ばれるかを決定づける。それはつまり裏を返せば、先程述べたような報われない負けヒロインを生み出すことにも間接的に寄与することになるわけだ。他人の不幸は蜜の味というわけではないが、自身の選択の結果報われないヒロインを生み出す感覚は、ある種の倒錯した娯楽性があると言えよう。と同時に、一度報われなかった世界線を体験することで、次週以降のプレイでそのヒロインのルートを選んだ時の特別感もまた高まるような構造となっている。作品全体として、選択肢式の恋愛ADVというジャンルが持つ特性を上手く生かしているように感じられた。
演出面も力が入っていたように思う。特に各ルートに入ったタイミングで再度流れるオープニング回りの演出が印象深い。オープニング曲の間奏部分にルート対応しているヒロインのセリフがダイジェストで流れるようになっており、ベタではあるがきちんとそのルートに入ったという実感を持たせてくれるのに一役買っていたように思う。他にも各ルートをクリアするごとにタイトル画面の空模様が変化したり、全ルート制覇することで桜が舞ったりと各所に細かい演出の工夫が見られた。
BGMも全体的に作品の世界観にマッチしたものが多く、テキスト以外の要素として作品の雰囲気づくりを担っていたように思う。個人的には「黒猫さんの背伸び」と「ハチミツ色の天使」の2曲が特に気に入っている。
気になった点についても1つ挙げておこうと思う。それは、各ルート同士のテキストの統一性の無さだ。特に泉ルートのテキストはとりわけ異質で、主人公の描き方になろう系らしいテイストが色濃く出ているように感じられた。正味、泉ルート+任意の1ルートを読むだけで、複数ライターであることが如実に透けてしまうくらいにはテキストに差があったように思えた(プレイ後に改めて調べたところ、実際には4人のライターがいるらしい)。複数ライターであることは制作の都合上致し方無い部分はあるのだろうが、なるたけプレイヤー側にそれを悟らせないよう、できる限り文体やキャラクター表現の統一を行って欲しいところではあった。
・おまけ 【ヒロインランキング】
完全主観によるClover Day'sヒロインランキング。ルート補正は当然込み(むしろ何故除く人が一定数いるのかよくわかっていない)。不等号の数は順位を隔てる「壁の厚さ」を表している。異論反論大いに歓迎しております。
杏鈴>>杏璃>つばめ>ヒカル>>泉≒ヘキル
桐谷華が板。