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さすらい(奥田民生)と船越英一郎と徴候と
YoutubeのTHE FIRST TAKEで奥田民生の「さすらい」を聞きました。
テレビ番組でも良く流れていて、割と耳にすることが多いこの曲を、ちゃんと聞いたのは久しぶりかもしれません。今更ながら、その歌詞の爽やかな深みに驚かされてしまいました。
自然が発するサインを受け取ること。その「やって来た」サインに心と身体を委ねてみること。それを「さすらい」というのでしょうか。
「風の先の終わりを見ていたらこうなった
雲の形を真に受けてしまった」
「海の波の続きを見ていたらこうなった
胸のすきまに入り込まれてしまった
誰のための道標なんだった
それをもしも無視したらどうなった」
歌詞では終列車に「一人飛び乗った」のですが、「さすらう」ことは必ずしも身体の移動が伴う「旅」のことだけではないような気がします。それは、自分に到来する出来事や徴候に、心のまま反応することではないかと思ってしまいます。
10/9日放送の徹子の部屋では、船越英一郎が最近飼った犬について述べていました。それは「たまたま」撮影の合間にホームセンターのペットショップに行き、そこで可愛い子犬と出会ったといいます。「うちに来るか?」という声が後ろから聞こえたので振り返ると誰もいない、それは自分が言っていたみたいだったそうです。翌日、またも「たまたま」撮影が休止になったのでホームセンターに行き、その子犬とゲージ等の一式を購入して帰ったといいます。
子犬との生活で、最初は自分でルールを決めて、家では犬の寝る場所(ゲージ)や移動できる範囲を限定していたそうですが、やがて犬はそのルールを破っていき、今では船越さんと一緒に寝て、家中を闊歩しているといいます。そこで船越さんは、今まで自分自身にもルールや制限をかけすぎていたのではないか、少しそれを緩めてみてもいいのではないかと、犬から教えられたそうです。
この子犬との出会いから、生活と心の変化に至る一連のエピソードこそ、「さすらい」なのだと思いました。
自分が「たまたま」出会ってしまった出来事に対して、心と身体が反応し、そこに合わせていくこと。
それは、自分自身が変化していくことであり、ある種の自由を手に入れていくことではないでしょうか。
サインを見逃してばかりの自分には、とても心に響いた歌詞とエピソードでした。