獣のように歌いながら、慌てずにスッと暮らしてます。
父のような人とは結婚すまいと思って生きてきた。
理由は簡単、辞書に載っている通りの九州男児だったからだ。
仕事では驚くほど律儀で細やかな気配りをしていた父は、その能力を家庭では1ミリも発揮しなかった。
全く近代的な価値観の夫婦であった両親のもとに生まれた娘は、それとは正反対の「問題を癇癪を起こさずに対話を持って、情ではなく合理的に折り合いをつけることで解決する」相手をパートナーに選んだはずだった。
ところが、である。
パートナーと食事に行った時、一口食べて「これはダメ」と小声で言い出したので「やめてください」と慌てて宥めた。
確かに、ドス黒いマグロの乗った刺身定食ではあった。米に至っては煮崩れたといった状態でほとんどの米が割れており、一瞬見ただけでもという感じではあった。
ただ、私としては毎日ご飯を作っている身であり自分の作ったご飯でないだけで有り難く、外食である時点で文句のつけようがない。
「俺はもう来ないだけ。特に米がまずいのは一番ダメだよ」と尚も続けるパートナーに対して、ここでは口に出さないでと急いで食事を済ませた。納得のいかない顔の彼を追い出して会計を済ませ、はたと自分と母親の様子が重なった。
私の父は食事が気に入らないと一切手をつけない人間で、新しい場所での食事の度に家族全員が大抵苦痛を味わう羽目になってきた。
父と行く外食や旅行が嫌いだった。
その感覚を思い出すと心が雑巾みたいに「きゅ」と絞られるような感覚になる。
私のパートナーは実家が料理店を経営していることと美味しいものを食べることが好きなため、父とは全く違う観点で食にうるさい。
パートナーはまずいという理由で食事を残すことは絶対にないし、お店の方に粗暴な態度をとったこともない。しかし、しっかりめに味のジャッジしてしまうため好き嫌いがわかりやすく、雰囲気や価格などの「おいしさ」と「支払い方法」以外の外食店の選択基準の評価が著しく低い。
「…そもそも俺さ、硬い米が好きじゃん?」
無言の私に怯えたのか、ポツリと「ごめんね?」と付け加えた彼にはやっぱり父親の亡霊がぼんやり霞んで見えた。
「…そうでしたっけ?」
「え?……君が炊く米は硬いよ?」
私の父は米が柔らかすぎることを嫌がり、そうなっていると手をつけなかった。
お菓子が嫌いで娘たちからのバレンタインすら拒否していたのに、あんぱんと卵焼きだけはとびきりに甘いやつが好きだった。
「父のような人と絶対結婚しないと思っていたんですけど」
私は思わず口に出していた。心底嫌そうな顔だったのだろう、パートナーはちょっと笑ってから意地悪そうな顔をした。
そして「君は人の目を気にするもんね」と言った。
少し空気が揺らいだ。
家族や親しい人と誰かの共通点を見つけると、それがどんなに嫌な物であったとしても特別な感じが漂うなのは何故なのだろう。
バーナム効果と言えばそうなのかもしれない。
自分はそれに因縁があるのだという確信。
既知のものに対する仄暗い安心感。
乗り越えた過去に対する懐かしさと労り、あるいは乗り越えられないままの自分。
早足になるパートナーの背中に放つ。
「…私とお義母さんも似てるもんね」
「似てないよ!」
しばらく無言で歩いた先で、パートナーはポケットに手を入れながら「…いや、似てるかも」と言った。「似てる、似てる」と繰り返しながら次第に彼が笑い出した。「母ちゃんもほんと人に何も言い切らんのよね」「自分の意思は嫌って言うほどはっきりしとるくせしてね」
ポケットから手を出し、私の手を引いて横断歩道を渡った。
そして、繋いだ手をぶんぶんと大袈裟に振って「難儀やの〜」と言った。
私はいま、毎日飽きもせず「わーい!お弁当に卵焼き入ってる!」と漫画みたいに喜んでくれる人と暮らしている。
▲ タイトルは名曲の歌詞からお借りしました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?