20240512 沖縄へ⑦
本日は安里の駅前を早朝散歩
栄町市場と呼ばれるこの辺り
夜はディープな飲み屋街に化けます
繁華街を朝に散歩するのが好きな変な俺
ここらはヤギ料理エリア
ヤギ食うなら安里に行けとゆわれました
でも匂いが凄いとかよく聞くからなぁ
結局、恐れをなして
今回の旅ではヤギ汁には挑戦せず、、、
ゴートやのにチキンやなぁ、、、
だってさ
メニューがストロング過ぎてヤバイんよ
入店してヤギ無理やったら他に頼む物無さげ
ぶらぶらしてたら
朝七時にスナックで平井堅を絶唱する声が
すげえな
お
Aウィッチもそう言えば沖縄か
彼女もかっこいい歌手やんね
朝陽の中、七~八十代位のおじいさんとおばあさんが数人、コンクリートの階段に座って
もう朝になってしまったとか
このあと朝食をどうするかとか
あそこなら空いてるぞみたいな会話をしてた
オールしたんかいな、、
最強やな、、沖縄老人、、
塩沢ときのような大きな眼鏡のおばあさんがそのグループの指揮を執っていて、凄かった
それから首里城へ
朝8時からのガイドツアーに滑り込み
詳しい説明を聴きながら回る事が出来た
やっぱりこういう施設は
ガイドさんの話を聴きながら回るのが良い
竜が守る首里城
普通の建物にはシーサーがいるけど
首里城には王を司る竜が配置されている
竜にもちゃんと阿吽がある
朝にやってる開門の儀式も観た方が良い
修復中の首里城を観られるのは貴重です
首里城の門の前のウタキ
沖縄の人々は神社にお参りする代わりに各地に点在する御嶽(ウタキ)と呼ばれる祠を詣でる
神様が降りてくるウタキの中にまで入れるのは
神職の女性だけだ
男性は外でお参りをする
国王ですら中には入れない
仏教の僧侶やキリスト教の牧師とは違い
沖縄の民間信仰の中心に居るのは女性だ
『台風や自然災害が多かったから』とか
『人々を結束し王政を堅持するために』とか
理由は色々あるようだが
沖縄は本州と比べて神事が多く
人々の信仰心も厚い
神職の女性は『カミンチュ』とか
『ノロ』『ユタ』と呼ばれ
その頂点に位置するのが
聞得大君(きこえのおおきみ)
と呼ばれる最高神女だ
聞得大君は国王の母親や姉などの
王族の女性の間で代々、世襲されていった
琉球神道における神職(ノロ)の頂点
聞得大君は
祭祀を取り仕切り
琉球国王と王国全土を霊的に守護したという
琉球の民は琉球王を父と仰ぎ
聞得大君を霊的な母と仰ぎ崇めながら
生きてきたのだ
今現在は1984年生まれの女性が
第21代目の聞得大君として
尚家(王家)の祭祀を担っておられるとの事だ
ちなみに『ノロ』というのは
公務員の様なポジションだったそうです
一方、『ユタ』は民間人を霊視し、アドバイスや解決を行う霊媒師(シャーマン)である
そう言えば昔スリムクラブが
沖縄ダークあるある
『ユタからむ金は断りづらい』
とか言っていた
なんか分からんけど笑った記憶がある
ウチナンチュにとってのユタは我々ヤマトンチュが思い描く『占い師』とは格が違うし、訳が違うようだ
中国と薩摩(日本)との
二重支配を受けていた琉球
大国に挟まれながら
したたかな外交手腕を駆使し
激動の時代を生き抜いた
徳川幕府260年に対し
琉球王国は450年続いた
『神の声』を名目に
男性だけでなく
女性の声も政治に取り入れてきたから
しなやかで強靭な国家を
作る事が出来たのではないか
とかなんとか思った
首里城の下には洞窟(ガマ)が、、
戦時、首里城の下には
日本軍の司令部壕が築かれていた
そのため1945年の沖縄戦では米軍による爆撃の対象とされ、首里城は破壊される
戦後、首里城の跡地は琉球大学キャンパスとして使われたが、その間も将来の首里城復元の可能性を考慮して、最も重要な本殿等の箇所は極力手を入れないまま、駐車場として利用されていたとの事だ
うちなんちゅはその後47年間『首里城の無い沖縄』を生きたが、大学の移転に伴い首里城再建の機運が高まり
平成の復元によって
首里城は1992年に復活を遂げた
頭が下がる思いだ
こんなにも人々に愛される城があろうか
正面奥が首里城正殿
左の建物は北殿
中国の冊封使をもてなすための建物
右の建物は南殿
薩摩をもてなすための建物
中国と薩摩は、例え人影が見えようとも、向かい側の建物の事は見て見ぬふりをして、それぞれ沖縄を自国の属国として扱ったという
すべて2019年の火災で灰燼に帰したが
それでも首里城は今また
令和の復元によって黄泉返ろうとしている
1453年
1660年
1709年
1945年
2019年
首里城は五回焼失している
もしも不死の鳥が
この世に実在するのならば
その鳥はきっと
朱色で城の形をしているだろうと思う
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