見出し画像

語られぬ帰郷

 里帰りは小説や映像によってしばしばドラマチックに描かれる。
しかし、現実の里帰りというのはもっと地味で何事も起こらないのがほとんどである。そこで僕は今回の里帰りでは少しノスタルジックかつドラマチックなフィルターをかけて過ごしてみようと思う。

 先ず帰郷する理由を作ることから始めよう。今は10月、正月もお盆も近くない。実家に帰るのに理由なんか要らないと思うかもしれないがそうはいかない。やはり、ドラマチックな帰郷にはドラマチックな理由が必要なのだ。
飛行機が安い時期だからでは格好がつかない
 ドラマチック…ドラマチック…かなんかドラマチックなものないか…ジブリか…
じゃあジブリにするかドラマチックだしノスタルジックだし。

 そんな訳で僕は実家のある○県の空港に着いた、空港は相変わらずのせわしなさである。ビジネスマンたちが憑りつかれたように駅に向かっていて、
それを横目に暇を持て余した老人たちが大きな声で会話をしている。そんな久しぶりの空港の景色を懐かしみながら僕も駅へと向かう。電車に乗っているとどんどん景色が田舎になっていくのを見て学生時代を思い出した。

 実家に行くためのローカル線は一時間に一本しか来ない。まだ30分以上の時間があるので少し駅の外を歩いてみることにした。駅から出ると寂れた商店街が目に入る。僕が学生だった10年前はまだもう少し店があったはずなのにもうほとんどの店のシャッターがしまっている。あまり利用したことのない店だがやはり少し寂しい。そんなことを想いながら街を歩いていると僕の横に一台の車が止まった。「お兄さん。光丘会館てどこか知ってる?」と初老の男性が話しかけてきた。(なんか、いつも慣れないところにいるときに限って道聞かれるなぁ)おそらくあまり知らない街を歩くときはいつも以上に郷に従おうとしているからむしろなれた町にいる時より馴染んで見えるのだろう。僕はほとんどこの駅で降りたことがないのであまりこの辺のことを知らない。偶におりたときは友達が先導してくれていたので正直いって商店街のところまでしかピンと来ていない。しかし、さっきそれっぽい建物を見つけていたので丁度案内できる。そんなことを考えていると「なんか気に障ることでも言ったかい?」と初老の男性は僕に話しかける。とんでもなく間が空いた上に、僕は考え事をするとき眉間に皺をを寄せながら白目をむく癖があるのでおじさんは不安になったのだろう。「この癖は本当に直さないとな」そんなことを思いながら僕は初老の男性にさっき見かけた建物の場所を教えると、彼はお礼を言って車を走らせた。そんなことをしているうちにもうすぐ電車がくる時間になった。僕は急いで駅を目指して歩いた。駅に戻る途中で先ほどの初老の男性の車とすれ違った。やはり一か八かうろ覚えで人に道を教えるのはよくない。僕は少し申し訳ない感情になった、このことを忘れないようにこの感情にコスモスという名前を付けよう。コスモスは僕の一番好きな花の名前だ。忘れることはないだろう。

 そうして無事電車に間に合い、実家の最寄り駅に着いた。駅から降りて少し歩くとどこからか僕を呼ぶ声が聞こえた。「もしかして御子柴?」青年が僕の名前を呼ぶ。「あ、あぁー!おう」僕は返事をする。誰だっけ?「何お前どっからきたの?」「こっちから」僕は指をさしながら答えた「えっどこいってんの?」「あっち」「そうなんだ。じゃあこっちに帰ってんだったらまた会おうぜ」そういって彼はいってしまった。そうだ、彼は石田君だ。思い出せな過ぎて受け答えが旅人みたいになってしまった。石田君には悪いことをした。そんなことを考えていると前のほうからまた知った顔が歩いてきた今度は覚えている。「おーい、池野じゃん俺わかる?御子柴御子柴なんだお前全然変わんねえじゃん」さっきの石田君の件を踏まえて僕は今度こそと高テンションで話しかけた。「え、あ、おお」池野は戸惑っていた。しまった、このテンションは池野とMAX仲良かった時のテンションだ。そういえば後半はそんなにだった。しかし、もうテンションは変えられない「うーい、へいへいへい」「わかったわかった、俺仕事あるからまたな」…仮にMAXなかよかったままだったとしても大人としてこれがなしなことくらい分かる。この狭いコミュニティでさっきの二人との会話がどのように流布されるのか知る由もない。そんな、ドラマチックやノスタルジックからは遠く
離れた失敗ばかりの帰郷になってしまったが、それでも家の戸を開け漂ってくる夕飯の香りを嗅げばそれなりに郷愁に浸れるものである。

 皆さんも偶には適当な理由をつけて帰ってみてはどうでしょうか?

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?