”自閉症スペクトラム?„ Cちゃんのケ―ス
Cちゃん(男児)は、3~4歳頃に、お母さん、お兄ちゃんと一緒に(障がい児)通園施設に通って来るようになりました。
殆ど言葉を発することはなかったような気がします。要求する時は態度で示します。必要時に、お母さんの側に来るといった状況でした。母親に、何も言わずに外に出ようとするので、母親は本児の行動に、いつも悩んでありました。
ただ、本児の行動・行為によって、本児のしたいこと等、意思の疎通はありました。指導員の呼び掛けにも反応しました。
暴力的な面はありません。ただ本児が遣りたいことを一人で黙々と遣るといった感じでした。
個別指導の時は、数字やカナのカ―ドを自分で読むことはありませんが、指導員が数字の番号を読み上げると、間違いなく、そのカ―ドを指しました。トランプの「神経衰弱」とか楽しそうでした。
能力は高かったので、同年齢の児童(Dちゃん)との組み合わせで、個別指導をすることにしました。
Cちゃんは、個別指導の時間が好きでした。Cちゃんは指導員の学習の指示に対して、きちんと理解していました。「〇〇カ―ドはどれでしょう?」との声かけに、2人とも反応しました。間違いなく、そのカ―ドを取りました。
その後、三兄弟になり社会福祉法人の保育園に通園することになりました。同年齢の児童に交わることで、本児に良い影響があるのではという目的もありました。
卒園後は、公立の小学校に就学し当施設に通うことはなくなりました。
祖父母・父親との7人家族で、母親は大人しく、古風な方でしたので、家庭内では大変に気を使われていたのではと思っています。
保護者が子育ての悩みを、気軽に話せる場所があることは、とても大事なことです。子どもの発達の悩みを抱えている母親が、気兼ねなく悩みを言い合える場所。2人の指導員は、敢えて(障がい)という名称を使用しないことに決め、門戸を広くしました。
発語のない子どもが或る日、ひと言発しました。保護者は皆で「話したね」と、一斉に拍手し共に喜びました。そんな雰囲気の場所でした。
Cちゃんの話しに戻ります。
保育園に通園するようになり、会うのは個別指導の時間だけになりました。こちらに通園しないことは寧ろ、園や小学校に馴染んできたということです。寂しいけど喜ばしいことでもありました。
現在も1人の保護者とは交流があり、子どものその後を聞くことが出来ました。
Cちゃんは、その後、県で難関の高校に合格したとの話でした。
その後のことは分かりませんが、こういった事例があることを知りました。大変、嬉しい話でした。ご家族の喜ぶ姿が目に浮かぶようでした。
このようなケ―スがあることを今、育児に悩んである方にと思い記事にしました。
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