人が食べてられてしまう漫画でしょ?グロいの無理〜 1話目で無理だった! 途中から難しくてやめちゃった! これは『進撃の巨人』を勧めた際に良くある返答である。 これが読める人は、【大人】であると思う。 【よくある漫画】ではない。 私も実は上記のうちの1人で、頭が良くないと途中で話が理解できなくなる。 そして大人でないとまた、理解ができない。 単行本にて読んでいたが、2年ほど前に1度読む手を私は止めた。 ちなみに、うちの長男は私が難しくて単行本を読まなくなってから、
私のお母さんは、私が4歳の時にガンで亡くなりました。 お母さんの姿が少しでもみえないと、私は所構わず泣いていました。 でもお母さんが亡くなる前から今日まで、お母さんのことで私は泣いていません。 亡くなる直前も、亡くなった時も、お葬式の時も。一度も泣いていません。 ずっと絵を描いたり、ゲームをしていました。 今もです。 僕の母は、離婚しました。 小学生になる前に新しいお父さんができ、弟もできました。 僕は弟が好きです。 僕は母が好きです。 母はお父さんと今もずっと仲
今月は、週末に卓球の試合が続いてあった。 前日に熱が出た。 コロナの検査をした。 抗原検査で陰性。 しかし39度まで上昇。 再度NEAR検査で陰性。 熱があるまま本人は朝7時に家を出て試合出場した。 ダブルスはシングルスよりも難しいとされている中、結果ストレート勝ち。 途中、目をぎゅっと瞑りながらも再び開いた瞳は、卓球の球を見ていた。 2日間の試合を終え自宅に帰ると、39度を超えていた。 文化祭、中間テスト、試合、試合と立て続けであった中でも、卓球の練習をかかさな
何かが変 もしかしたら死ぬかもしれない
ここ数日起こっていることをトータルすると80%がマイナスな出来事で、溺れそう 動悸と眩暈で仕事のあとベッドに横になりひと眠りした 目が覚めたらなんかすっごーーーーく ふわぁぁぁ…・:*+.\(( °ω° ))/.:+ ここは…?・:*+.\(( °ω° ))/.:+ ありゃりゃ…? 時空間に迷い込んだのかと思った 2023.08.23 昼寝キロク
会いたい。
蝉のこえが大きくなるとき 肌がジワっと汗ばむとき あれは夢か幻か 大切だった 大好きだった 儚いな
にこって笑ってくれるその笑顔は、私を一瞬で幸せにしてくれる。 毎日話をしてくれておねだりされる。 むちゃぶりな要求もたまにはあるでしょう。 全力で応えるようにしている。 だって近い未来には望んでも望んでも手に入らなくなるから。 愛する人が『あはは』と笑う。 その声だけがスペシャルに聞こえて、こんなに幸せそうに笑うんだいうことを知る。 その声を聞くと心から幸せになれる。 驚くほど自分の心が満たされる。 自分の中の新しいキラメキの発見だ。 わたしにとって、生きることはキラメ
いちねんで、いーーーっちばんお昼ながい日! 雨上がりのお散歩、気持ち良かったねぇ🐕 こんな瞬間が日々おとずれますように。 いつも可愛いと幸せと元気なうんこをありがとう☺️ だいすき♡あいしてる♡
ひとはよくにまみれているねぇ。 それがあるから いきていけるともいえる ふしぎだねぇ。 バズコ
『きらめきは永遠には続かない』 あれから私は毎日小さなきらめきを感じている。 同じきらめきの様で少し違う。 今朝の太陽も、とうもろこし畑も、同じ様で違う。 少しずつ違う。 そのきらめきは、その時一瞬一瞬のものだけれど。 それがコツコツ積み重なって私の中で永遠になっている。 これからも永遠になっていく。 あの言葉をもらった日からずっと。 毎日きらめきをありがとう。 私の永遠のきらめきは、私の中のたからもの。 『過去の反省』 私は後悔や失敗だと思っていない。 ごめ
『昔はよかった』 『自分にもあんな頃があったよね』 『あの頃に戻りたい』 なんて言葉。耳にしたり発したことが誰しもあるのではないか。 かくいう私もそのひとりである。 とある20代の方のnoteを拝見し、自身の20代を振り返ってみようと思いnoteを今書き始める。 20歳 6〜15日間連続で4〜8時間勤務 毎日13時間以上勉強 睡眠時間は3時間あれば良かった 生きるために働き勉強をした とにかく1秒でも寝たかったし勉強をしたかった 仕事は安い給料でゴミ扱いだった 心身ともに
舌ピあけた。 反抗期や。 📝メモ 開ける時、痛みは軟骨よりない…?くらい。 ニードルで開ける勇気なくピアッサー。 結構チカラを込めてギューと押し込む。 仮の透明キャッチ外すのに手間取った。 ボールキャッチするのに唾液でツルツルすべりスムーズにいかず。 気付いたら先端が少し出ていただけでもう閉じそうになっていた。 急いで上から下にピアスを押し込み、タオルで唾液を受けながらボールかなったをはめた。 シャフト18mm14G。その後は動かさなければ痛みはない。 しかし舌はよく動
24年振りに実家に帰った。 今回で4度目の再会となった。 初めて父と数日間を過ごした。 こんなに話をしたのも初めてだった。 (ほぼ聞いていただけだったが) 私は父が大嫌いだ。 昔からずっと。 話に聞いていた父も 記憶の片隅に朧げに残る父も 全てが嫌いだった。 地元から私が帰る日も、父は私を思い出せずにいた。 しかし父は、私が帰るその時にやっと私を娘だと思い出したようだった。 『あぁ…もしかして〇〇(兄の名前)の妹か…?』 「あ…うん…!そうだよ!」 父は
あれ?ボクシングの試合って日曜日だったような…?そんなに電車混んでいなかったなぁ。 電車の克服。私の中で大きな出来事だったな。 あの日、目の前で観たもっちょの試合、私の人生を変えたなぁ。 もっちょ、君は凄いよ。 ありがとうでいっぱいだ。 あの日がなければ、私は車か電車なんて迷えなかったよ! つまり君はどんな君でも私にとってはスペシャルで最高なのさ!ウラ‼︎
って、当たり前だと思うかもしれないが、わたしは今週の水曜日に思った。 朝5時半に、茅ヶ崎で父が発見された。 神奈川県警からの電話であった。 妹が亡くなった時も同じくらいの時間に電話があった。 記憶に残る父への感情は 怖い、他人、不快 育ててもらったという認識もないし…そういえば父の下の名前は結局なんて読むんだろう。 父は何歳なんだろう。 まだ生活能力のない時は、制限のある生活を余儀なくされ、わたしは劣等感にまみれていたなぁ。 だけど。もしかしたら。 わたしのオムツ