鴨都波神社 <事代主と下照姫(妹神)>
『日本はどのように建国されたのでしょうか?』
日本の建国について理解を深めていけるように、いろいろと情報を集めています。 以前の橿原神宮の記事で『神武天皇の后である「媛蹈鞴五十鈴媛」の父は「事代主」』ということを紹介しました。そこで、「事代主」を祀る奈良の神社を調べてみることとしました。
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鴨都波神社(かもつばじんじゃ)
「事代主」を祀る神社はいくつかありますが、奈良県御所市の鴨都波神社(かもつば)を紹介。
このあたりは、出雲系の「鴨族」の拠点であり、当神社は下鴨社(葛城加茂社)とも呼ばれていました。
そして、南に「上鴨社」とも呼ばれる「高鴨神社」、「中鴨社」とも呼ばれる「葛木御歳神社」があり、「鴨族」の信仰の対象となっていたようです。
社伝によれば『崇神天皇(10代天皇)の時代に「大田田根子」命の孫である「大賀茂都美」命が創建した』とされています。
鴨都波神社は、葛城川と柳田川の合流デルタ(三角州)に位置し「鴨都波遺跡」という弥生時代の遺跡の中にあります。
京都の下鴨神社も賀茂川と高野川という2つの川の合流デルタ(三角州)に位置しており、この鴨都波神社(下鴨社)と興味深い類似点があります。
そして、「鴨都波遺跡」の近く(東南方向)では、弥生時代前期後半(約2500~2400年前)の最大規模と見られる水田跡が秋津・中西遺跡で発見されています。
伊勢神宮を遥拝する遥拝所がある神社は、他にも見かけますが、ここの遥拝所は、伊勢神宮だけでなく、宮中神殿も遥拝するようです。
この神社が鎮魂の祭礼に預かる宮中八神の一社とされており、初期の天皇家にとって、重要視されていたことがわかります。
【宮中八神(八神殿)】
第一殿 神産日神
第二殿 高御産日神
第三殿 玉積産日神
第四殿 生産日神
第五殿 足産日神
第六殿 大宮売神
第七殿 御食津神
第八殿 事代主神 ★
尚、事代主は出雲の神様とされ、日本神話では「国譲り」で登場します。
美保崎(現在の島根県松江市)で釣りをしていた事代主は「国を譲る」と伝えたあと、船を青柴垣に変化させ、そこに身をお隠しになったとあります。
そして、現地の美保神社で祀られています。
<ここでの学び>
祖神である「事代主」を祀るために、子孫である「鴨一族」が後の時代に創建した神社です。そして、その地には弥生時代の拠点集落になる遺跡(鴨都派遺跡)がありました。
出雲をルーツとする「鴨一族」が弥生時代に移住し、このあたりを拠点に開拓を進めていたことが推し量れます。 そして、大和にやってきた「神武天皇」は、現地の有力豪族である「鴨一族」から「事代主の娘」である「媛蹈鞴五十鈴姫」を后として迎え入れたということになります。
「事代主を祀る神社」はいろいろありますが、その地に弥生時代の遺跡があり、その子孫とされる一族が居たことで、現実味が帯びてきます。