大彦命と武渟川別命⑭越後:三宅神社
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。
大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。
新潟県にも「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。(※弥彦神社は別の記事で紹介します。)
<三宅神社>
所在地: 新潟県 長岡市 妙見町
御祭神: 大彦命
御由緒:創立年月は不詳。
<宇都宮神社(三宅神社)>
所在地:新潟県 長岡市中潟町
御祭神: 波多武日子命(波多武彦命:大彦命の子)
<六日市三宅神社>
所在地:新潟県 長岡市六日市町
御祭神: 波多武彦命(大彦命の子)
天美明命(波多武彦命の妻。天日桙命の娘)
御由緒:
大彦命の御子である「波多武日子命」は新羅の「天日桙命」の姫である「天美明命」と結婚し、三殿が作られた。
三殿とは神名倉(三明山・金倉山)にある三岳で
・幡持山(上の嶺)には大彦命、
・幕山(中の嶺)には天日桙命、
・美明山(金蔵山、北の嶺)には波多武日子命と姫天美明命
がそれぞれ祀られた。
その後、
・大彦命は山麓の妙見(三宅神社)に、
・天日桙命は的場ヶ崎平岡(宇都宮神社)に、
・波多武日子命と天美明命は大久保が岡(六日市三宅神社)に
遷座された。
社伝より
「越の三宅神社二座は、大彦命の御子波多武日子命 が新羅の天日桙命の姫天美明命と婚し、この国の三明山に鎮り、三殿を造つた。三殿とは上の嶺には大彦命・中の嶺 には日桙命・波多武彦命と美明命は陰陽相殿に鎮まる。
三宮殿、二柱の神系により三宅神社二座とす。二神の御子『三宅真人武倉麿』の館は嶺の中腹に御所平という古跡であり、 次に造替の所が今、御所塚といい、『神名久羅の御所』と 称した。
上の嶺が今の幡持山、中の嶺が幕山、北の嶺が美明山で、総名を神名倉(金蔵山)と唱う。
後世、上の嶺に座す大彦命を麓に移し、後の妙見と称す。中嶺の日桙命を的場ヶ崎平岡に遷し、後の中片(なかがた)と称す。下の嶺に座す二神を大久保が岡に移し、姓を神瀧谷連と改む。宇都宮大明神を称す」
<ちょっと考察です>
大彦を追って伝承を調べていたら突然「天日槍(あまのひぼこ)」一族との婚姻の伝承が出てきました。
図解して整理すると以下のとおりです。
「天日槍(天日矛)」の娘と婚姻があったのでしょうか?
「天日槍(天日矛)」は「大彦」と同世代なのでしょうか?
ちなみに、「大彦」は「孝元天皇(8代)」の皇子で、「崇神天皇(10代)」の御代に四道将軍として活躍したことになっています。
「天日槍(天日矛)」は『日本書紀』では、「垂仁天皇(11代)」の御代において新羅から王子として渡来したことが記されています。
しかし、他の記載や、神社の伝承などから系図を書くと以下のようになります。
このように見ると、【「天日槍(天日矛)」と「大彦」は同世代だった】という可能性は十分にありそうです。
「天日槍(天日矛)」の伝承については 別の機会に調べていきたいと思います。
それにしても、北陸周辺には「大彦」の伝承が多く残っています。