丹波王国の畿内進出:水主神社(城陽市)
『元伊勢・籠神社』に伝わる『勘注系図』によると「建田勢」(天火明命六世孫)が、「孝霊天皇」(7代)の時代に 山背国(京都)の久世郡水主村に移り住んだとある。
このころ「大和国」と「丹波国」は密に繋がっていたことが伺えます。
そのゆかりのある神社が「京都府城陽市」にあります。
ここでは、この「水主神社」について紹介したいと思います。
<水主神社>(城陽市)
【水主神社・御祭神】
天照御魂神(饒速日命・天火明命)
天香語山命
天村雲神
天忍男神
建額赤命
建筒草命
建多背命(天火明命六世孫)
建諸隅命(天火明命七世孫)(由碁理:ゆごり)
※娘「竹野姫」は「開化天皇」(9代)の妃。
倭得玉彦命(天火明命八世孫)(川上眞若)
※「開化天皇」(9代)の皇子「彦坐王」と「陸耳御笠」討伐に。
山背大國魂命(玉勝山代根古命)
御由緒には「山背大國魂命(玉勝山代根古命)がこの地方(水主)に居を構え、木津川水系、巨椋池周辺での治山治水と農業や産業の復興に努め人々の厚い尊崇を受けていた。」とある。
ちなみに「水主」とは「船乗り」や「船頭」を意味します。「木津川水系」の水運に関連した地名と推察します。
【衣縫神社・御祭神】
大縫命
小縫命
豊組野命
当社の御祭神第二柱の「天香語山神」は一つに「衣縫神」といい、古来、衣類を縫う方法を教える神とされ、今も日本和裁士会が奉賛会を組織され、祭礼には裁縫関係者が多数参拝される。
<ちょっと考察します>
『元伊勢・籠神社』に伝わる『勘注系図』によると「建田勢」(天火明命六世孫)が、「孝霊天皇」(7代)の時代に 山背国(京都)の久世郡水主村に移り住んだとある。
この神社のご由緒では、「3世代後の山背大國魂命(玉勝山代根古命)(天火明命九世孫)が「水主」地域の発展に貢献した」とある。
この間の世代には、以前の記事で書いた陸耳御笠討伐などで彦坐王と共闘した倭得玉彦命がいます。
このころ、丹波王国の勢力が、木津川周辺に勢力を伸ばし、同時期に「奈良盆地北部」を中心に拠点を持つ「彦坐王」の一族と、密な関係を築いていったことが 想像できます。