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大彦命と武渟川別命⑬信州エリア

「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。
 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。

 長野県にも「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。

<布制神社>(篠ノ井 布施五明)

所在地:長野県長野市 篠ノ井布施五明
御祭神:大彦命
   豊受比売大神、健御名方命、矢坂斗女命
御由緒: 創祀年代は不詳。
 祭神の大彦命は第八代孝元天皇の御子で布施氏の祖先にあたる神様です。
 日本書記によると、崇神天皇が地方平定のため四道将軍を派遣されたとき北陸道に派遣されたのが大彦命です。
 伝承によれば、命は布施五明海道 北山(瀬原田)の長者窪を本拠に、北陸道や北信濃を鎮撫し当地で薨じられたといわれています。

御由緒

⇒「大彦命は この地で亡くなった」という伝承が、ありました。

 ※ただし、「大彦」は古墳時代が始まる前の弥生時代末期の人物と考えており、「古墳」のような形で「陵墓」が残っているようなものでないと考えています。

<布制神社>(篠ノ井 山布施)

所在地:長野県 長野市 篠ノ井山布施1
御祭神:天照大神・大彦命
御由緒:
 神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ
 下総国結城布制郷の人民を従えて当地に移住し、土地を開拓した。
 後、宝亀八年(777)布施氏の祖・大彦命を勧請したという。

<布制神社>(篠ノ井 石川)

所在地:長野県 長野市 篠ノ井石川
御祭神:
 大倭根子彦国玖琉尊(孝元天皇:8代)
大毘古命 (大彦)
 彦太忍信命
 (合祀)誉田別尊 建御名方命 八坂刀賣命 大山祇命

 御由緒: 宝亀8年(777年)の勧請
 口伝によると、布勢朝臣某が当地に下向し、布施郷の地を開拓に際し、祖神として正殿に三神を勧請。

<布制神社>(篠ノ井 布施高田)

所在地:長野県 長野市 篠ノ井布施高田
御祭神:天照大神
御由緒:創建詳細は不明
 この地が布制神社の旧地と言われている。
 神社の前身は鎌倉時代の豪族「布施八郎」と後に「天照大神」とを奉斎した布施神社である。


<布施神社>

所在地:長野県 長野市 篠ノ井山布施8519
御祭神:建御名方命
     八坂主売命(八坂刀売神)※建御名方命の妃神
     天照大神
     豊受大神
御由緒:創建詳細は不明
⇒この神社は大彦に関係がなさそうです。布施は地域の名から来た様子。

<武八布施神社>

所在地:長野県 上水内郡 信州新町 大字竹房
御祭神:
  天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
  保食神(うけもちのかみ)
御由緒:
  信州新町竹房塩本の東南上方に標高850mの名峯八布施山がある。
  この頂上に鎮座されていた駒形大明神が、天明3年(1783)現在地に移転、
  その後、明治25年12月武八布施神社と改称。
⇒この神社は大彦に関係がなさそうです。布施は地域の名から来た様子。


<この地域の古墳について>

このあたりの山稜には、古墳がいくつもあるようです。

●川柳将軍塚古墳
墳丘の規模は全長93m、後円部径45m、高さ10m、前方部幅26m、高さ5mである。墳丘上の葺石と円筒埴輪の樹立が知られ、封土の規模が大
この古墳は4世紀末から5世紀前半に築かれたもので、畿内の勢力と密接なかかわりをもつ首長の墳墓として重要視されている。

●姫塚古墳
姫塚古墳は川柳将軍塚と同じ尾根の200m北、比高差30mの高所にある前方後方墳で、全長31m、後方部幅20m、高さ4m、前方部高さ2m。未発掘墳だが、立地、墳形から川柳将軍塚より古く、松本市弘法山古墳とほぼ同年代の4世紀中葉ごろに築造されたと考えられている。

http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1016.html



<この記事のまとめ>

この地には、「大彦命は この地で亡くなった」という伝承が、ありました。

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