古代天皇の系図を読み解く⑨まとめ
【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この「纒向遺跡」の成立が『実質的な日本の建国』と考えます。ここでの最大の疑問は、「卑弥呼」と「古代天皇」の関係です。
そのため、ここまで「初代」~「13代」の古代天皇に関する記紀の記載を調べてきました。
<まずは古墳の築造時期から>
9代天皇以降の天皇には「古墳」の築造時期が推定されています。それを『見える化』すると下図になります。
9代天皇の御陵は、時期がおかしいですが、10代から13代はだいたい4世紀頃(西暦300年代)ということが見えてきます。
<後の天皇(大王)の古墳>
念のため、後の世代の天皇の古墳についても築造時期を確認しておきます。後の世代は『倭の五王』として『中国の文献』にも記載されています。
上図の通り、後の世代である「15代~19代天皇」の御陵とされる『古墳』の築造時期は『西暦5世紀(西暦400年代)の頃』とされています。
そしてもう1点、奈良の「石上神宮」に伝わる「七支刀」の銘に刻まれる年号です。諸説ありますが、「369年」に神功皇后が百済から贈られた説が有力です。
<ここからの推察・外挿>
上記のような情報から、13代より前の天皇が活動した時期も、ある程度推察できます。直系で繋がっているとして、1世代につき「25~35年程度」と仮定して、活動時期を入れてみると下図のようになります。
このように見ると、7代~12代天皇が「実質的な日本の建国」に絡んでいそう ということが推察できます。
<ここまでの系図の特徴をまとめてみると>
特徴をまとめると以下のようになります。
ここから気になるキーワードは「3つ」。
『孝霊天皇の鳥取遠征』
『孝元天皇が物部氏と連携』
『垂仁天皇が丹波国と連携』
これらを引き続き調べていきたいと思います。
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