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出雲口伝における物部伝承⑬九州勢の東征2回目-4/4

「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。

※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。


<磯城王朝の終わり>

 丹波国では、大和の最後の勢力である「道主大王」の軍勢には、物部勢力から寝返った「武内宿祢」の勢力が合流していた。

 そして彼らは抵抗を続けたが、最終的には豊国と物部の軍に取り囲まれた。

 勝ち目が無いと悟った「道主大王」は、物部イクメ王に降伏した。ここに磯城王朝は終わりを告げた。



 新しく大王になったイクメ王(垂仁天皇・11代)は実質的な支配地は近畿方面だけであったが、近畿方面の旧支配者・道主王の娘・ヒバス姫を后にしたいと考えた。それが、近畿方面の地盤固めに効果的であった。


 ※以前の記事でも紹介したのですが、【記紀】においても、「彦坐王」の娘「サホ姫」だけでなく、「丹波道主」の娘たちが多く、「垂仁天皇(11代)※イクメ王のこと」の后妃となっていることが書かれています。


<追放された豊来入彦と豊来入姫> 


 その後、勝利をおさめた「物部」勢力と「豊国」勢力は不和となり、 豊来入彦と豊来入姫の勢力は、物部勢力の攻撃を恐れて東に移住した。

 豊来入彦の勢力は尾張国や三河国に移住した。その地で「武豊」や「豊明」・「豊田」「豊川」「豊橋」などの「豊」のつく地名を付けた。



 豊来入姫は布教のため「竹野郡船木里」に移って、奈具社を建て、「豊受神」の名で月読の神を祭った。

【奈具神社(なぐじんじゃ)】
所在地:京都府京丹後市弥栄町船木奈具
御祭神:豊宇賀能賣神(とようかのめのかみ)
御由緒:丹波の郡比冶の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比冶の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
比冶の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。



 その後、豊来入姫は招かれて、伊勢国の一之宮である「椿大神社」(三重県鈴鹿市)に移住した。


 彼女は、豊国の宇佐から来たので、「ウサ女の命」と呼ばれた。ちなみに記紀では、発音を変えて、「ウズメの命」とされた。


【椿大神社】(つばきおおかみやしろ)
所在地:三重県 鈴鹿市山本町
御祭神:猿田彦大神(さるたひこおおかみ)
御由緒:垂仁天皇(11代)の二十七年秋、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された。
仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。

【別宮 椿岸神社(つばききしじんじゃ)】
御祭神:天之鈿女命(あめのうずめのみこと): 猿田彦大神の妻


 そして豊来入姫はイクメ王の送った刺客により命を奪われ、その地で没したとされる。


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