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大彦命と武渟川別命⑯越の王

「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。
 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。

 新潟や東北地方には、「こしおう神社」(古四王神社や高志王神社、胡四王神社など)という名で、主に「大毘古命(大彦命)」を祀る神社が多く存在します。

「大毘古命(大彦命)」は「記紀」によると崇神天皇(10代)の御代に、四道将軍の1人として、北陸に進軍した人物です。

 諸説ありますが、この「大毘古命(大彦命)」のことを「越国の王」から「越王」と称し、それが転じて「高志王」「古四王」などと呼ばれるようになったとされます。 
 ※仏教の「四天王」(特に毘沙門天(多聞天))に関連づける説もある。

新潟北部から 東北地方に分布する「こしおう神社」 (一部抜粋)


以下に、各神社を列挙するが、要約すると以下になる。

・「孝元天皇(8代)の皇子であった大彦命は四道将軍として、北陸を進軍した。さらに北上した大彦命は武神である武甕槌(タケミカヅチ)神を祭り,これを「齶田(あぎた,あいた)浦の神」と称した(「秋田」の名の由来とされる)。

斉明天皇の御代(在位は西暦655-661年)阿倍比羅夫(あべのひらふ)が征夷大将軍として蝦夷地に遠征した。その際に、大彦命の後裔であった阿倍比羅夫は,祖神である大彦命を合祀し、これが「こしおう神社」となった。

<ちょっと考察です>

大彦の時代は、古墳時代が始まる前夜の2~3世紀と見立てています。
 古墳時代前期頃に、近畿地方の文化が秋田エリアに流入していたかというとそのような形跡はなく、大彦が北陸から更に「秋田」周辺に北上した可能性は低いと考えます。
 古墳時代の初期に大和地域発祥の前方後円墳の文化はまだ来ていませんでした。このあたりで近畿地方の文化が入り込むのは福島が北限のようです。

 となると、秋田県や山形県に広く分布する「こしおう神社」は斉明天皇の御代(在位は西暦655-661年)に東北地方に遠征した阿倍比羅夫(あべのひらふ)が、「武神」として崇められている「武甕槌神」 自身の祖神である「大彦」を合祀したものが広がったと推察するのが自然のように思います。

※阿倍比羅夫の経歴
 658年4月 比羅夫は180隻の軍船をひきいて奥州に向かい、
  齶田(秋田)、淳代(能代)の蝦夷を服属させた。


以下に、各神社の紹介
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<古四王神社>(秋田県 鹿角市 かづのし)

所在地:秋田県 鹿角市八幡平長根
御祭神:大彦命(おおひこのみこと)
    稲倉魂命(うかのみたまのみこと)
御由緒: 崇神朝の御代四道将軍の一人として、後に越王と呼ばれた大彦命が祭神である。
 「奥風土記巻九」には、『胡四王神社三ケ田村にあり継体天皇の御代十八年(西暦520年頃)に勅命により建立なりし神社なりとなん』とあり、明治6年村社に列せられた。

<古四王神社>(秋田県 秋田市)

所在地:秋田県 秋田市 寺内児桜1丁目
御祭神:大彦命(おおひこのみこと)
    武甕槌命(たけみかつちのみこと)
御由緒:往古のことは明らかではないが、大彦命が北陸巡撫の際、我が北門の鎮護として武甕槌命(たけみかつちのみこと)を奉祀し、齶田浦神(あぎたのうらのかみ)と称した。
 次いで斉明天皇の御代(在位は西暦655-661年)に 阿倍比羅夫(あべのひらふ)が下向したおりに、大彦命を合祀し古四王と称してあがめたという。この地は往古、齶田村(あぎたら)と称し、鎮座の地を高清水岡という。

https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/shrine_search/古四王神社-6/

<古四王神社>(秋田県 大仙市 大曲)

所在地: 秋田県 大仙市 大曲 字 古四王際30
御祭神:大彦命(おおひこのみこと)
 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 豊受大神(とようけのおおかみ)
 建御名方命(たけみなかたのみこと)
 八坂刀売命(やさかとめのみこと)
 水波女神(みずはのめのかみ)
御由緒:建立については、前責任役員富樫氏の文書に、『古四王大権現建立、元亀元年(西暦1570年)卯月吉日、戸沢六郎、又兵部トモ云伝也、奉行富樫左衛門太郎』とあって、富樫家の祖、誠白より7代目左衛門太郎勝家が領主戸沢兵部の命により、奉行として建築したものと見える。

<古四王神社>(秋田県 大仙市 太田町)

所在地:秋田県 大仙市 太田町 中里字新屋敷
御祭神:  (※大彦は祭神に含まれていない) 
少名彦名命(すくなひこなのみこと)
    経津主命(ふつぬしのみこと)
    武甕槌命(たけみかつちのみこと)
御由緒:寛政年間(西暦1800年頃)に一宇建立。
 高さ6尺の石の鳥居を一基建て信仰せりと刻んだ石が今に残っている。

<古四王神社>(秋田県 横手市)

所在地:秋田県 横手市十文字町植田字宮ノ前
御祭神:大彦命(おおひこのみこと)
  天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
  伊邪那伎命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)
  事代主命(ことしろぬしのみこと)
  品牟陀分命(ほんだわけのみこと)
  稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
  少名彦名命(すくなひこなのみこと)

御由緒:文亀元年(1501年)、植田の地に小鼓城があり、古四王神社は城主:大石駿河守誉九郎藤原定景が祀ったものと伝えられ、社祠は北向き、御神像は天那鬼を踏まえた多聞天王(県指定有形文化財)であり、現在の奥殿は明治29年に上棟されたものである。

<古四王神社>(秋田県 湯沢市)

所在地: 秋田県 湯沢市川連町大舘屋布前
御祭神: ※詳細不明
御由緒: ※詳細不明

<古四王神社>(秋田県 由利本荘市)

所在地:秋田県 由利本荘市中館字堤台
御祭神:大彦命(おおひこのみこと)
御由緒:延宝9年(1681年)6月7日往古、国幣小社古四王神社の御分霊を奉移したことは、緒人の知るところである。然して神徳を仰ぎ参詣社籠するもの男女老若を問わず、数多あるも、従来の社殿一宇のみでは狹隘にして衆庶の信仰を欠くのみならず霊明の神鑑を晩するを恐る。

<古四王神社>(秋田県 にかほ市)

所在地: 秋田県 にかほ市象潟町五丁目塩越
御祭神: (※大彦は祭神に含まれていない) 
 経津主神(ふつぬしのかみ)
 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
 甕速日神(みかのはやひのかみ)
 㷬速日神(ひはやひのかみ) ※火に莫
御由緒: 古里山に鎮座する産土神古四王神社は、亀山天皇の弘長3年(1263年) 南秋田郡寺内村(現秋田市)古四王神社の御分霊を勧請し塩越村横山新田に一宇創建し守護神としたのを創始とする。
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/kennsaku/nikaho/16_kosiou.h


<古四王神社>(こしょ様)山形県

所在地: 山形県 鶴岡市 由良古四王田23
御祭神: 武甕槌命・大彦命
御由緒: 
当社地は今より一千五百余年前頃の坂上田村麿(758-811年)将軍一行御陣屋をつくり、永く御滞在された。田村麿将軍は常に古四王の祭神を尊崇なされ堂宇を建立、大神を祀り産業開発をみちびき、あわせて庶民の難病をお救い下された。のち元亀年間(1570ー73年)に当村鄕氏 和田善右衛門自ら社殿を管理され地区の守護神として祭祀し、今日に至ったものであると伝えている。

<古四王神社>(五十川)山形県

所在地: 山形県 鶴岡市五十川
御祭神: 大毘古命、武内宿弥命、大山祇命、少名彦名命。
御由緒:崇神天皇10年、四道将軍の大彦命は北陸道平定のため海路を秋田に向うべく北上の途次、大時化(おおしけ)に遭い難破して五十川に漂着、此の地に滞在し農業、製塩業等の新しい業を授け、再び遠征の途についた。土地の人々はその徳を慕い一宇を建立し祀ったと伝えられる。
 延享二年(1745年)に古四王権現堂を造替、明治九年村社となる。

<古四王神社>(新潟県 村上市)

所在地: 新潟県 村上市
御祭神: 大毘古命 ・ 天照大神
御由緒: 観年中(859~876)
に創立され、当初は高志神社と称していた。

<高志王神社>(新潟県 新発田市)

所在地:新潟県新発田市五十公野(しばたし いじみの)
御祭神:大毘古命(大彦命)
御由緒: ※創建は不詳。


<古四王神社(腰王神社)>(福島県喜多方市)

所在地:福島県 喜多方市慶徳町新宮 松舞家丑ノ尾
御祭神:大畏古命・武渟名川別命 
御由緒:
斉明6(660)年、蝦夷追伏と鎮護を願い創建。 
【日本三社】
 ・古四王神社(腰王神社)(福島県 喜多方市)
 ・古四王神社(秋田県 秋田市寺内/古四王社)
 ・高志王神社(新潟県 新発田市五十公野)


<東山温泉高志王神社>(福島県会津若松市)

所在地:福島県 会津若松市 東山町
御祭神:大毘古命
    建沼河別命
御由緒: ※創建は不詳。

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