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「さんぽ」岩永いわなのこと

2022 11/12(土)
 
「さんぽのオールナイトニッポン0」を聴いた。
ニッポン放送では深夜3時から4時50分の生放送だったので、俺はリアルタイムを諦めて、ラジコなどのアーカイブで聴こうと思っていた。
だが、寝ようと思った深夜2時頃、賞味期限が今日までのシュークリームがあったことを思い出した。
冷蔵庫を開けると、さらに飲みかけのアイスコーヒーもあったので、俺は受験生よろしくおやつタイムを始めたら、すっかり目が冴えてしまった。
だったら、せめてオープニング曲のビタースウィートサンバまでは聴こうとラジオをつけた。
所が、始まった瞬間からパーソナリティである、「さんぽ」の興奮がこちらにも伝わって来た為、気が付けば最後まで聴いてしまっていた。
「さんぽ」というのは、岩永いわな・とみやん、の二人組みのお笑いコンビである。
とみやんさんに面識はないのだが、岩永いわなのことはよく知っている。
今から11年前に出会った。
その頃、俺は芸人活動をしながらも、放送作家の勉強をする為に、ワタナベエンターテインメントの養成所に通っていた。
半年くらいたった時、同期の作家の卵たちがお笑いライブを企画した。
出演者には同期の芸人コースにいた、たかまつなな、もりせいじゅ、など、後にメディアに登場する出演者たちがいた。
まだ、みんな芸人の卵であるから、フレッシュでかわいらしさがあった。
だが、その中で、異質な風貌の二人組がいた。
ガレージ(のちにノオト)という名前のコンビだった。
メンバーは、岩永義仁(のちの岩永いわな)と春山元樹。
二人は、背が高い割にはイケメンとはほど遠く、若いはずなのにフレッシュさは皆無で、そして何故か、異様に不貞腐れていた。
俺は、そのライブのMCを担当していたので、
「放送作家コースの芸人の三遊亭円丈の弟子のはらしょうです」
と挨拶をした。
こちらの意味が分からない肩書に、二人は面食らっていた。
「あ、ガレージの岩永です、ふふふ」
「あ、ガレージの春山です、ぐふふ」
芸人の卵感ゼロの二人だったが、喋ってみるとすぐに面白い奴らだなということが分かった。
それから、すぐに親しくなった。
俺も作家として何か企画を考えねばならないと思い、
「富士山お笑い芸人登山」「富士山体験を元にした演劇」「お笑いギャング映画」などのイベントに二人を呼んだ。
毎回、芸人として全力で取り組んでくれた。
今でも印象深かったことがある。
富士山に登ったメンバーで公演した演劇が好評だったので、別会場で再演することになった。
所が、公演日がスクールの卒業前ライブ期間と被ってしまった。
俺のスマホには、出演者から続々と降板願いの連絡が来た。
致し方なし。どうすることも出来ない俺は、公演を取りやめようとした。
だが、その中で連絡が来なかった芸人がいた。岩永と春山だった。
スクールで会う機会があったので聞くと、
「卒業ライブ?あれは開催日がはっきりしてないんです、演劇の再演と同じ日の可能性があると思ってみんな降板したんでしょうけど、でも同じ日だったとしても、こっちの話が先に決まってたんだから、そりゃあやりますよ」
岩永はひょうひょうと答えた。
春山の方も、笑いながら「ワハハ、あんなもん、蹴ってやりましたよ!」
損得で動かない二人のことが、また好きになってしまった。
のちに、春山は芸人を引退した。
岩永は地を這うように芸人を続けながら、数年前、突如、
「はらしょうさん、僕、芸名つけることにしました、岩永いわなです」
そう名乗って、新しいコンビ「さんぽ」を組み再出発した。
芸名とは面白いもので、岩永いわな、になった瞬間からお笑いの翼が生えたようだった。
そして今回、お笑い有楽城という番組で優勝し放送の権利を勝ち取ったことで、岩永が子供の頃からの夢だった「オールナイトニッポン」のパーソナリティを一回だけだが、担当することになった。
ラジオからは、ビタースウィートサンバが流れ始めた。
俺は、練馬の部屋で一人、鳥肌がたっていた。
ラジオの向こうには、相変わらずの岩永がいた。まるで、隣の部屋にいるようだった。
人類にとっては、たった一回だけの回だが、岩永にとっては、大きな回となった。アポロ計画の逆である。
明け方5時、聴き終えた俺は、きっと迷惑だろうと思いながらも、岩永のラインに感想を送った。
よし、これで安心して寝れるぞと布団に入ったら、スマホが振動した。
「よかったー!ありがとうございます!」
返信が早すぎて驚いた。送信して、まだ1分しかたってない。
岩永いわなのせいで、俺は、また、目が冴えてしまった。
 
 

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